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ファイアーウォール 2

 丸の内。連合保安局本庁舎二号館の地下にある薄暗い射撃訓練場。断続的に耳を打つ破裂音が鳴り響き、コンクリートの床に薬莢が跳ね返る音がかすかに響いた。

 グレーのトレーニングウェアを着た、三十歳くらいの男性保安官はセミ・オートマチック拳銃を握った両腕を真っ直ぐにレンジから突き出し、十メートル先に吊るされた人型を印刷したマンシルエット・ターゲットを狙って引き金を引いた。覇音と共に銃口から九ミリの拳銃弾が飛び出し、人型からはずれた余白の部分を貫いた。二発目はかろうじて脇腹の位置に穴を穿つ。三発目は右肩をこすった。そこまで撃ったところで拳銃のスライドが後退したままとなって、残弾が無くなった事を射手に教えてくれる。

「引き金を引く瞬間に銃がブレてるね。人差し指を真っ直ぐに絞るように引けよ」

トレーニングウェアの男は不意に声を掛けられたことに驚き、声のする方に振り返った。

「なんだ、笠木じゃないか。組織犯罪部の敏腕保安官殿が何の用だ?」

そう言って男は、わざと嫌な顔をして見せた。中折れ帽を頭に載せてトレンチコートを羽織った笠木が入口の蛍光灯を背に立っていた。

「上で聞いたら射撃練習中と聞いたんでね。しかし…… ここの射撃場は暗いな」

笠木は薄暗い射撃場のレーンを見回す。

「省エネなんだよ。それより聞いたぞ。昨日もまた三人殺したそうだな?」

「警告しても銃を捨てない馬鹿だから致し方あるまいね…… それにしても、君は下手くそだな。現場ならすぐ殉職だ。そもそも、お偉いさんの法務保安官が銃なんて持つ機会あるのか?」

そう言われ、トレーニングウェアの男はしぶしぶ首を振った。

「保安官としての最低限のたしなみさ…… とはいえ、現場に連れて行ってもらえる事はまず無いけどな」

だろうねと、笠木はうなずいて腕を組んだ。レンジの壁際にあるテーブルに腰掛ける笠木を、トレーニングウェアの男は訝しげに見た。

「それで、本題だが…… 今日は何しに来た?」

笠木は腕を組んだまま視線を逸らして答える。

「昨日の秋葉原の一件聞いているだろう?」

「ああ、新米の保安官補がミスをやらかしたやつだな?」

「一週間後、査問にかけられる。自治警からも小賢しい連絡要員とカウンターパートが二、三人来るはずだ。その時の弁護を君に頼みたい」

それを聞いた男は急に難しい顔をして腕を組んだ。

「査問の弁護か…… さっき、とうとう犠牲者が出たらしいな。事と次第によってはその保安官補、危ないかもしれないぞ」

「その点は心配ない。その犠牲者は今回の過失の有無とは関係なかったようだ。いずれにしろ弁護は君のとこの誰かがやるだろ? できればこういうケースに慣れてる人間に頼みたい」

笠木の言葉に、トレーニングウェアの男はしばらく考え込んだ。

「あれから三年か……」

保安官はつぶやき、うなずいた。

「わかった。上に相談してみよう。ただ、お前さんが依頼する事か? ミスった保安官補はたしか都市警備の所属だろ? なぜ組織犯対策のお前さんが、わざわざでしゃばる?」

「僕にも色々事情があるの」

顔を背けて笠木がそう答えたので、相手の男はようやく納得した。

「オーケイ。いいだろう。約束は出来ないが、すぐ上に掛け合ってみよう」

「手間かけさせて悪いね。大丈夫なら後で電話をくれ。明日の午前中に本人を来させる」

笠木は、そう礼を言って練習場の出口へと歩き出した。

「なぁ笠木。人の腕にケチつけるんだったら、お前さん自身で模範例くらい見せてくれよ?」

拳銃の黒いポリマーフレームのグリップに新しい弾倉を叩き込みながら、トレーニングウェアの法務保安官が笠木の背中へ冗談交じりに声を掛けると、笠木は肩越しにニヤっと歯を見せて笑った。

「また今度ね。とにかく、銃は変えろ。グロックは薦めない」

相手の手にしている拳銃を指さし、そう言うと笠木は射撃練習場を後にした。



 翌朝午前十時きっかりに、関口は笠木に伴われて連合保安局東京支局本庁舎へと赴いた。笠木に連れられ地下駐車場から一階へと上がると、グレーのスーツを着た長身の男が二人を待っていた。ほりが深く、精悍だが目が大きく、普通にしていてもびっくりしているような顔つきの男だった。昨日、笠木が地下の射撃練習所で会った法務保安官の中原啓一だった。

「やぁ、連れてきたぞ。この男だ。東京支局都市警備部所属の関口伸一 三等保安官補だ」

笠木に紹介され、関口はちょっと緊張した面持ちで深く頭を下げた。左手は三角巾で吊っているので、腕を通していないスーツの左裾がだらんと下がった。

「保安局法務部の中原だ。明日の査問では君の弁護を引き受けさせてもらう。急なので万全の対策という訳にはいかないが、できる限り力になろう」

中原が右手を差し出したので関口は慌てて握手した。中原のスーツの左胸には天秤をあしらった金バッジが光っていた。

「何でも包み隠さず正直に話す事。嘘をつくと後で厄介な事になる。後は中原に任せておけばいいよ」

「はい…… よろしくお願いします」

関口はそう言って再度お辞儀した。

 昨日一晩考え、関口は自分の考えや気持ちを整理しはじめた。自分はあの時、冷静ではなかった。何が適切な行動であるか、深く考えていたか? 答えはノーだ。一方、敵を前に臆する事はなかったのか? 確かに臆した。だが、それ以上に何かしなければならないという義務感に駆られ、職務を放棄しようとは思わなかった。自分の不真面目さや、甘ったれた普段の心構えに対する非難は甘んじて受ける。ただ、逃げずに敵に立ち向かった。関口の主張したい点は、ただその一点だった。このまま、自治警察やマスコミに勝手な非難をされるまま、お払い箱にされるのは納得できなかった。たとえ結果がそうであったとしても、あの時銃弾の飛び交う路上で、自分は何を考え何をし、何が正解で何が間違っていたのか、その過程だけははっきりと主張し、記録に残しておきたいと思った。その後の事は、なるようになるだろう……

「よし、時間が無いから取り掛かろう。さぁこっちだ」

 中原は腕時計を見ながらそう言って関口を促した。

「じゃあ中原。あとはよろしく」

笠木はそう言い、中原は関口を伴ってエレベーターホールへと歩き出した。


 笠木は二人を笑顔で見送った後、表情を険しくしてロビーの隅に置かれたベンチに腰を下ろし、備え付けの今朝の朝刊を手にとった。

 一面には、右派・左派双方による総督府と保安局を非難するデモ行進の記事が載り、そのわきに秋葉原事件で死者が一名出た事と店内の被害状況を伝える記事が紙面を大きく使っていた。今回の事件が保安局と総督府の行政に対し大きな反発を誘引する事は避けられないようだった。それに、後手に回った自治警察の落ち度について多くのメディアは言及していない。秋葉原事件と保安局、そして世連の総督府は今、マスコミにとって最適なサンドバックとなっていると、笠木は思った。偶発的に発生したこの潮流を、多くの後暗い集団が利用しようと暗躍を始めているはずだ。

 その最も目立つものが自治議会だった。元々、国会だったものが、総督府に行政権と立法権の一部を奪われ、『総督府へ対する市民代表の抗弁組織』という形で生き残った姿だ。市民と統治の観点から、このような機関は民主的に不可欠な存在だったが、この地が制度ではなく意味の上で『民主的』な議会を運営できていたかどうかには疑問が残る。実際、自治議会の背後には様々な財界や圧力団体、政治結社、テロリストそして『日本共和国』が暗躍している。それらがこの潮流に乗って、世連と総督府に挑戦しようしていように感じられた。

 扇情的な新聞の社説や見出しを見るに、どこも総督府への批判を繰り返してはいるが、だからどうするべきかのビジョンは書かれていない。一層のこと北海道の軍事政権にでも任せればいいとでも思っているのだろうか?

 笠木は新聞を乱暴にラックへ戻し、正面玄関から外へ出た。正面の国道には多くのクルマが勢い良く流れていたが、歩道のあちらこちらにカメラを構えた男やマイクを握って原稿をチェックするリポーターの姿が散見された。その数はもっと増えるに違いない。笠木は建物の裏に隣接する本庁二号館の方へ首を巡らせた。大きく背の高いビルの更に遠くの空には、報道のヘリコプターが薄雲の下を這うように旋回している。

 世論に火がついた場合、連合保安局はバッシングの矛先を変えるために何らかの手を打たなければならなくなるだろう。笠木は空を飛び回るヘリを睨みつけながら思った。笠木は自治警察の治安維持能力を全く評価していなかった。仮に現時点で、総督府と連合保安局の権限を自治議会と警察に返還した場合、以前経験した地獄のような無秩序な生活が戻ってくるに違いないと笠木は確信していた。『東京のためでなく局のため』に働くという形式が気に入らなかったが、桜田門の先手を打たねばならない状況が確実に醸成されつつある事を笠木は感じていた。



 事件から二晩を経ても、秋葉原のアケボノ電機館は警察によって封鎖されていた。封鎖テープの前には、抗弾ベストの上から官品である黒革のハーフコートを着た警察官がひたすら通りの向こうの一点を凝視するようにして立っている。

 台東エリアの巡回を終えた伊月は、この日の午後はじめて秋葉原の事件現場を訪れた。

「ここかー、なんかテレビで見るより、全体的に小さくないっすか?」

ドラムのテンポでもとるように窓枠をカツカツ叩きながら、まるでガキのようなしゃべり方で助手席の男が言った。

 普通のサラリーマンとしては許容範囲ギリギリくらいの明るいこげ茶に染めた短髪をワックスでツンツンと立てた、中背の筋肉質な男だった。ワイシャツの襟元のボタンをはだけさせ、紫とシルバーのストライプが派手なネクタイを緩く巻き、肩幅のサイズがやや大きすぎるライトグレーの背広を着ている。知らない人間が見れば、やんちゃ系のホストと見られても文句は言えない風体の男だったが、スーツの襟には保安官補である事を示す銀バッジが留められていた。西新宿オフィスの都市警備部に所属する有坂幹夫だった。かつて十代だった頃は渋谷でストリートギャングの一員だった過去があり、当時刑事だった加瀬に捕まり更正した今でも、その頃の垢は抜けきれていない。

「カメラ越しには、どこも奥行きが広く感じられる」

運転席の伊月はそう答えながら歩道脇にセドリックを停め、車外へと出た。続いて外へ出た有坂は、コートを着ていないので思わず身震いした。

「あー、さびぃー」

 道路を挟んだアケボノ電機の向かいに位置するビルでは、ちょうど新しいウィンドウを取り付ける作業が行われていた。街路に視線を巡らしていた伊月は、店の前に止まっている覆面捜査車両の向こうに見覚えのある顔をみつけた。

「少し待ってろ。覗いてくる」

「へーい……」

 伊月はバッジを掲げて封鎖テープをくぐり、ガラスや看板等の破片が散乱する現場へと入っていった。伊月が声を掛けるより早く相手が気づき、驚いた表情で会釈をする。伊月も黒い中折れ帽のツバに手をやり、挨拶した。

「お邪魔するよ、上溝巡査長」

「驚きました。保安官もこの事件の捜査ですか?」

警視庁・機動捜査隊の上溝巡査長が駆け寄ってきた。

「いいや、巡回の途中で寄っただけで…… 機捜も応援ですか?」

「ええ、捜査一課の応援で、警視庁あげてしゃかりきになって犯人追ってます。こっちはいい迷惑ですよ」

「どちらも考えるレベルは同じだ…… 私も、本業から人手を奪われ困っています」

二人はそう言って苦笑いする。

「中の様子を見たいので、ご案内頼めるか?」

「ええ、どうぞ保安官。証拠採取も弾道検査も済んでますから」

 上溝は伊月を伴って、大型バンが突入したウィンドウの穴から店舗内へと入った。床一面に大小のガラスの破片が散乱し、ガラス屑は靴裏で踏む度にガリガリと音を立てて砕けた。ひっくり返って中身を床にぶちまけたデスクトップパソコンをまたぎ、伊月は床のゴムタイヤの擦れた汚れを見つめた。

「河川敷で見つかったライトバンの話は聞いているね? タイヤ痕の鑑定は?」

「先程、結果が回ってきました。ぴったり一致したそうです。それにバンの車内で見つかった拳銃弾の薬莢とここで見つかった薬莢の種類とエキストラクター・マークが一致したそうです。両方で採取した銃弾の旋条痕が一致すれば完璧ですね」

 銃には人間同様「指紋」があるといわれる。銃弾が銃の銃身を通って発射される時、その弾道を安定させる為にらせん状の回転がかけられて目標へと飛翔する。銃身に刻まれたらせん状の溝が飛び出す銃弾に干渉しながら回転を生み出すのだが、その際、金属の銃弾にはらせん状の溝によって削られた痕跡がはっきりと残る。これは「ライフルマーク」もしくは「旋条痕」と呼ばれ、同じ種類の銃火器であっても二つと同じ物が無く、原形を留めた鑑定可能な銃弾を調べれば、銃の種類を特定し、同一の銃から撃たれたものかどうか判断する事が可能だった。それと同様に、銃火器から排出される薬莢には、発砲後に銃本体から弾き飛ばされる際に、特定のキズがつく場合があり、それが銃の種類や個体を特定する材料にもなる。

 伊月は立ち上がり店内を見回した。道路に面する正面のウィンドウは枠の部分を除けば殆どが砕け散って店内の床に散乱し、商品を展示していた台座や陳列棚は商品ごとなぎ倒されて、災害の後のように積み上がっている。威嚇の為に連射の可能な火器で弾を乱射したらしく、天井や壁、陳列棚が無残に穴だらけになって破壊されている。伊月が天井を見ると、防犯カメラが蜂の巣になってコードだけで天井からぶら下がっていた。店舗奥の壁から伸びた可動アームにのせられたカメラも、本体に数発の穴が穿たれてボディが砕け散っていた。

「防犯カメラの映像は見たんですか?」

「はい、それが妙なんです。連中の犯行の一部始終が写ってました。今回、警備会社と契約してた自動警報・通報装置は綺麗にカットされてたんですが、犯人達は仕事の途中まで防犯カメラの事を忘れていたようなんです。しばらくして、一人がカメラに気づいて騒ぎ出し、機関銃でババババババ…… 録画してるんですから遅いですよね」

伊月はうなずいた。確かに違和感のある話だった。銃の乱射の仕方といい、カメラの破壊するタイミングといい、警報装置の解除できる超一流の技術を持つ用意周到なグループであるにも関わらず、その手口は非常にお粗末なものだった。

「一流という感じはしないな……」

「一流どころか無茶苦茶ですよ。客や従業員が逃げ回るなか機関銃を乱射して、客と従業員合わせて四人が撃たれ、昨日、頭を撃たれた従業員の女性が亡くなりました。ここです。彼女はここなら安全と思って身を隠したのでしょう…… 二十歳で、まだ働き出して一年も経っていなかったそうです……」

上溝はパソコンコーナーの陳列棚の裏へと伊月を連れてきた。どす黒い血が固まって水溜りのように床に張り付いている。数発の銃弾が陳列棚を貫通したらしく、棚の反対側からこちらへ銃弾が通り抜けた穴が穿たれている。

「彼女の隣に伏せていた同僚の子は無傷で済んだそうです。もう少し頭を低く下げていればこんな事には……」

上溝はやるせなさそうに言った。伊月も、表情はいつもどおりの仏頂面であったが、心中では犯人への怒りを募らせていた。大切なのは、保安局と警察のどちらが犯人を検挙するかという事などに頓着せず、情報を一本化して一刻も早く敵を捕らえることだと感じていた。

「実は……」

上溝は言いにくそうに話し出した。

「この事件で、我々は保安局へまだ伝達していない情報を幾つか抱えています。我々の捜査本部はこの事件を、同一グループによる連続強盗殺人事件の最新の事件と判断しました」

「連続強盗……」

「先程話した薬莢のエキストラクター・マークですが、以前の事件現場のものと一致しています。そして、どの現場でも非常に信頼性の高い防犯装置が全て、機能しないよう細工されていました」

「ここが、初めてではないと」

伊月の返答に、上溝はうなずいた。

「最初の事件は今年八月、八丁堀の北総銀行が襲撃され、警備員二名が死亡し、現金三千万が強奪された事件。その三週間後には御徒町の宝石店が襲撃され、幸い犠牲者はいなかったんですが総額一千五百万円以上の宝石貴金属が奪われています。三件目は一ヵ月後の九月に太平洋銀行飯田橋支店が襲撃され警備員一名が死亡し、現金およそ二千万の被害が出ています。あとまだ確定できないのですが、警報装置がいじられる似たケースでの倉庫荒らしが、江東、川崎、品川で一件ずつ、全て出荷前や流通中の家電を保管していた物流倉庫です」

腕を組んで聞いていた伊月は首を傾げた。

「物流倉庫…… 以上の理由ではあまり統一性ないようにみえるな」

「そうなんですよね。被害総額も最初の三件と比べると、この店の被害額は桁違いに低いんです。聞いたところ最初の三件の手際の良さは、ここを襲った連中の比じゃありません」

「まだまだホシには遠いようだな……」

伊月は顔をしかめて言った。

「ええ、保安官。うちの上層部は保安局への情報公開を遅らそうと、無茶をやりはじめてます。自分はそんな事やってる場合じゃないと思うんです。大切なのは奴らを捕まえる事だと思います」

そう力を込めて言う上溝を見て、伊月は内心少し驚いたが、警視庁にも自分と同じ考えの者がいるという事実が少し嬉しかった。

「私もそう思うよ、巡査長」

伊月はそう言って、深くうなずいた。


 伊月が上溝と別れて外へ出ると、封鎖テープの外側には多くのテレビクルーが夕方のニュースの為に取材を始めていた。セドリックのところまで戻ると、有坂が缶コーヒーの空き缶を片手に震えて立っていた。

「伊月さん、超ドSっすね。車のキー、持ってっちゃうんすから」

伊月は答えず、キーでドアを開けて運転席に乗り込んだ。

「ちょっとコーヒー買いにいったんすけど、そしたらテレビ局にインタビューされかかっちって。リポーターの女の子が結構、カワイかったから……」

エンジンをかけた伊月が運転席からジロリと有坂を睨んだ。

「お前、何かしゃべったのか? それに場所柄も考えずコーヒーとはな……」

「な、何も話してないっすよ! それにすげー寒かったんだから、コーヒーぐらいいいじゃないすか」

助手席の有坂は慌てて手を振って弁解した。

「今後マスコミには注意しろよ。局に戻る」

不貞腐れたように舌打ちする有坂を無視して、伊月はセドリックを発進させた。



 あれからの数日間、関口は法務部の元で朝九時半から夕方の六時半まで、本局の会議室で缶詰になって査問対策のレンクチャーを受けていた。

 はじめは事実確認のため、事件のあった日に、朝起きてから出勤し、巡回へと出て事件後に自治警察の取調べを受けるまでのありとあらゆる細かい行動を、脳を絞るように思い出させられて、供述させられる作業に一日半。その後調査員がその裏付けを行っている間に、関口の現在の法的地位や、世連や保安局そして自治議会や自治警察とマスコミ、さらに世論がどのような行動をとりつつあり、どういう意図を抱えているかという、まるで高校の社会科のような説明を丸一日受けた。

 その翌日からは、査問に対しどういう態度で臨み、査問委員による執拗な詰問や叱責をどう言葉巧みにかわすのかという、理論について説明を受けた。その後はひたすら、査問の想定問答について様々な角度からの尋問にどう返答するべきか、そしてどう言葉のやり取りを有利に進めるかについての訓練に費やされていた。

 二日目から、安全とマスコミ対策の為、関口は自宅のアパートではなく本局近くのホテルの一室に滞在させられ、ホテルから本局へ清掃業者用のライトバンで送迎されるという毎日を送っていた。実際に朝から夜までひたすらレクチャーと問答の練習をすることは非常に厳しいものだった。新入局員研修以来の過酷な数日間、関口はホテルに戻ると夕食もそこそこにシャワーを浴びてぶっ倒れるように寝てしまう毎日を過ごしていた。もっとも、笠木の指示でホテルの部屋からテレビやネット回線は撤去されていたから、暇の潰しようもなかったのだが……。 そんな一週間のなかで、時々、笠木や村岡が差し入れにお菓子を持ってやってくる事が唯一の気分転換だった。

 査問まで残すところ三日となった夕方、笠木がコンビニで買った中華まんじゅうを手に会議室へと現れた。良い頃合だったので、想定問答の練習中だった中原は同僚らに休憩を命じてコーヒーブレイクとなった。

「で、どう? 関口君の勝算は」

壁に寄りかかって肉まんをかじりながら笠木は中原に聞いた。

「まぁ、判断ミスと巡回中に遊んでた事は大きく突っ込まれるかも知れないが、他はなんとか弁明できそうだ。実際、警察も事件への対応酷かったろ?」

中原はそう言いながら、あんまんを袋から取った。

「昨日、秋葉原にある犬小屋へ行って大喧嘩してきた。どうやら連中、火器を持った強盗と聞いて、どんな装備を持ってゆくか、他の署から応援を呼ぶべきかで、通報後しばらくグズグズしていたらしい。その点は叩きどころだな」

笠木が犬小屋と言えば、警察署か交番を指している事が多い。関口は、まだ湯気の立つ海老チリまんにぱくつきながら、二人のやりとりを黙って聞いていた。

「そういえば、関口。君、意外に人気者なんだな。秋葉原へ話を聞きに行ったら、君のケガの具合を心配している人が結構いたぞ。普段、あそこで何やってるか知らないが、なぜか評判は上々みたいだ。目撃情報なんかもわりと簡単に集められたそうだ」

笠木の言葉に、まんじゅうを咥えたまま、関口は驚いたよう表情で顔を挙げた。

「マジですか?」

「うん。だから、あまり悲観しないで真面目に練習さえしていればいいよ」

笠木は関口にそう言って、中原を手招きしながら廊下へと出た。

「実際のところ、どう思う?」

 二人が廊下の休憩所まで歩いてきた時、笠木が感情のこもらない声で聞いた。

「楽観はできない。マスコミの騒ぎ方が大きいしな。三年前と単純には比べられない。心配なのは、警察局の人間を査問に参加させる点だ。どう出てくるか……」

中原はあくびをしながら言った。顔には疲労の色が見える。

「お前には釈迦に説法だとは思うが、おれが心配しているのは査問後の世論だ。こればかりは理屈じゃないから…… 対応を誤ると総督府まで吹っ飛びかねない。その辺はシュルツのジジィが考えているんだろうから、おれには判らんが」

そう言う中原に、笠木は視線を背けて厳しい口調で返した。

「間尺に合わないオチは嫌いだ」

「おれもそう思うけど、この世の中法律ですら条文通りに動いちゃいない。社会なんてもっとそうだろ」

中原がなだめるように言う。

「とにかく、査問まで、よろしく頼んだ」

「ああ、最善を尽くすよ」

中原の言葉にうなずき、笠木は足早に階段へと歩き出した。

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