2、歯には歯を
イゼルは痛みには慣れていた。しかし、好きだったわけではない。
たとえ手首の小さな傷であっても、繰り返し刺激されれば不快感は募る。ただ……今の状況は、それ以上に得体の知れない“ゾワリ”が主だった。
柔らかく、湿った感触が、かすかな痛みと共に脳裏へ伝わる。温かな吐息がそれに加わり、まるで小さな手がひっきりなしに掻いているようで、心の奥がむずむずし、言い表せない気分にさせられた。
やっぱり止めるべきだった。
ヴィオレッタの言葉に乗って、舐めるのを噛むように変えさせたのは失敗だった——せめて腕なら問題ないはずだったのに。
ふぅ……
イゼルは心の奥で深く息を吐き、顔を背けて見ないようにした。
しかし、予想外の事態が起こった。油断していたイゼルは全く反応できず、ヴィオレッタがまさか自分に飛びかかり、首を狙って噛みつこうとは。
防御しようと気づいた時には、もう遅すぎた。
牙が皮膚に食い込み、首に微かな痛みが走る。しかしそれはすぐに、強烈な痺れるような快感に取って代わられた。快感は津波のように押し寄せ、脳天を突き抜け、彼女の悲鳴は、自分で聞いても骨の髄まで蕩けるような恥ずかしい嬌声へと変貌した。
脳は一瞬、フリーズした。
原因を作った張本人のヴィオレッタも、さほど良い状態ではなかった。
より多くの血を吸おうとしたその時、首輪が拘束機構を発動。白銀の電光が走ると、ヴィオレッタの頭部全体が電気の奔流に包まれ、絶叫と共にまっすぐ横へ倒れこんだ。
イゼルは虚ろな目で天井を見つめ、頬を紅潮させていた。焦点が戻るまでにはしばらく時間がかかった。
我に返った彼女の最初の反応は、恥と怒り——恥ずかしさと怒りだった。今すぐこのバンパイアをこてんぱんに懲らしめてやりたかった。戦利品として、ペットとして、どうあるべきかを思い知らせてやりたかった。
頭上に落ちた影を感じ、半殺しの電撃を受けたヴィオレッタが顔を上げると、そこには真っ黒に曇った顔のイゼルが立っていた。
「待、待って!あ、あんた何する気?!近づかないで、やめ——ぎゃああああああああああっ!」
幸いイゼルは夜中だと自覚しており、手を下す前に防音の術式を張っていた。さもなければ、ヴィオレッタの凄まじい悲鳴で、街の半分の住人が苦情を言いに来ていただろう。
◇
図々しいバンパイアを“修理”し終えたイゼルは、自分の部屋へ行き着替えを手に取り、浴室へと向かった。
——墓地で捕まえた後、イゼルはヴィオレッタを直接自宅へ連れ帰っていたのだ。
浴室のドアを閉める直前、リビングの真ん中で痙攣しているヴィオレッタに警告した。
「逃げたり、余計な小細工をしようなんて考えるな。結界の術式は張ってある。もう一度感電したくなければ、大人しくしていろ」
ヴィオレッタはぐったりとソファに突っ伏し、何も言わなかった。
イゼルは相手を相手にせず、浴室のドアを閉めた。鏡の前に立つと、手を伸ばして首を触った。ヴィオレッタに噛まれた場所はとっくに血は止まっており、傷口さえほとんど消えかけていた。バンパイアに噛まれた証拠として残っているのは、小さな二つの赤い点だけだった。
「はあ……」
イゼルは訳もなく強い不快感を覚えた。
出会って間もないのに、勝手に自分に痕を残すなんて。しかもその痕はすぐに消えてしまう。まるで、ようやく出会ったのに、またすぐに去っていくような、そんな不安を掻き立てられた。
彼女はその味にうんざりしていた。
原因は彼女の特殊体質にある。
この世界には【夜帳】と呼ばれる特殊な次元空間が存在する。それは現実世界とは完全に平行しており、通常は干渉することはない。外力が働いた時のみ、現実を覆い尽くす。
そして彼女の体内には、【夜帳】に由来する怪物——【影魔】の血が流れていた。【夜帳】への潜入が必要な任務の度に、教会は必ず彼女を案内役に任命する。
影魔の血は彼女が【夜帳】を容易に干渉することを可能にする一方で、【夜帳】内では彼女を極めて目立つ存在とした。まるで闇夜の蝋燭のように。
【夜帳】の深淵から現れる怪物たちは、火に飛び込む蛾のように、絶えずイゼルのいる方へと集まってくる。
影魔の血を持つ彼女自身は怪物に襲われることはないが、同行する仲間たちにはその特権はない。任務が終わるたびに、彼女を待っていたのは葬儀だった。少なくとも一人、時には彼女一人だけが生還する。
彼女は単独行動を考えたこともあったが、教会は決して許可しなかった。任務の効率や、イゼルの命が何より大事だといった、どうでもいい理由ばかりで。
他のウィッチャーの命は、大事じゃないのか?
「ちっ……ああ、もう、アイツのせいでめっちゃイライラする」イゼルは服を脱ぎながら、愚痴をこぼした。
彼女は素早く浴槽を満たすと、頭までずっぷりと湯に沈めた。ぶくぶくと泡を立てながら。
明日にはヴィオレッタの素性を調べに行くことを決めた。問題がなければ、上司に掛け合い、ヴィオレッタもウィッチャーにし、自分のパーティーに組み込む方法を考えるつもりだ。
バンパイアなら、そう簡単には死なないだろう。
目標を整理すると、イゼルは頭を空っぽにして雑念を払い、入浴の快楽に専念することにした。どれだけ浸かったかは気にせず、湯の温度が冷め始めてようやく湯船から上がった。
体を拭き、部屋着に着替えてリビングに戻ると、ヴィオレッタはすでにきちんと座り直し、人形のように静かにしていた。
「小蝙蝠ちゃん、お風呂入るか?」イゼルが声をかけた。
ヴィオレッタはぽかんとし、何かを思い出したように警戒して胸の前で腕を組んだ。「何をする気です?」
相手の行動にイラッとしたイゼルは笑った。「へぇ~?小蝙蝠ちゃん、見た目はまともそうなのに、心の中は結構カラフルなんだな」
「そんなことないわ!」ヴィオレッタの顔が再び真っ赤になった。「私より、むしろあんたこそ、一体何がしたいの?教会にも審判所にも引き渡さない、殺しもしない、それどころか…お風呂入るかまで聞く?それがウィッチャーのすべきこと?」
「確かにウィッチャーのすべきことじゃないかもしれない。でも、これは『主人』としてすべきことだ」
「主、主人……?」ヴィオレッタは相手の断固たる態度に完全に面食らった。
「状況を理解できてないんじゃないのか?」
イゼルは数歩前に進み、片手をヴィオレッタの背後のソファの背もたれに突き、見下ろすように言った。
「お前は今、私の戦利品で、兼ねて私のペットだ。主人としてペットの世話をするのは、最低限の義務だろ?」
そう言いながら、イゼルはわざとヴィオレッタの首輪を引っ張った——疑いようもなく、それは彼女が自分のペットである証だった。
こ、この人いったい何言ってるの?!
ヴィオレッタは自分の耳を疑った。たった数言で、自分の人権が奪われてしまった——彼女は人間ではないが、人間とバンパイアの契約により、世俗的な意味での人権は保証されていた——口をパクパクさせてしばらくして、ようやく三つの単語が絞り出された。「変態ですか?」
ヴィオレッタの答えを聞き、イゼルは不満げに頬を膨らませると、突然力を込めて彼女を押し倒し、ソファにぴったりと押さえつけた。
「きゃあっ——!」ヴィオレッタが悲鳴を上げ、もがこうとしたが、上から押さえつけている者の力が意外にも強く、すぐには抜け出せなかった。「何するのよ?!離して!」
イゼルは相手に構わず、首をバンパイアの首筋と肩の間へと埋めた。ほのかな香りが鼻をくすぐり、とても良い匂いだった。
汚れてはいないだろうな。鼻先の香りを嗅ぎながら、イゼルはひそかに思った。
今はただ、ちょっとしたお仕置きをしてやりたいだけだ。
邪魔な首輪を軽く歯で押しのけ、最も柔らかい皮膚を見定めると……思い切り噛みついた!
「ぐえっ!あんたあんたあんた何してんの?!離してよ!」
体の下で抵抗の力が強まるのを感じ、イゼルは手足を絡めつつ完全に相手を拘束し、口にはさらに力を込めた。
「痛い!イゼル!離して!イゼル、イゼル!本当に痛いの!やめて、手を離して、離して……やめて、やめて……ううっ、止めて……」
ヴィオレッタの声は抵抗から恐怖へ、ついには嗚咽を帯び、言葉もろくに出せなくなった。イゼルはようやく自分がやり過ぎたことに気づいた。
彼女は口を離した。視線は自分が噛みついた場所へと向く。白い肌は裂け、人間と同じ鮮やかな赤い血が流れ出し、ソファに滴り落ちていた。
目線をヴィオレッタの顔に移す。泣き崩れているわけではないが、涙の跡ははっきりと残り、水気を帯びた紅い瞳には怨みと怒りが満ちていた。
「あ、あの、私……」イゼルは謝ろうとしたが、謝るべきではない気がして、躊躇った末に結局口に出せなかった。
彼女は起き上がって相手を解放すると、傍らのテーブルからハンカチを一枚見つけ、投げて渡した。「拭いておけ」
ふと唇に湿り気を感じ、手の甲で拭うと血だった。
舌先で唇の血痕を舐め取ると、一言だけ残してリビングを離れ、自室へ戻ろうとした。
「風呂に入らないなら、今夜はここにいろ。この家には強力な結界が張ってある。死にたくなければ大人しくしていろ。どうせバンパイアは夜眠らなくてもいいんだろう」
「ちょっと待って!」ヴィオレッタが彼女を呼び止めた。
「……なんだ?」
「私、ある特別な事情で、【夜帳】に長く留まる必要があるの。さもなければ、すぐに空腹に襲われる」
「勝手にしろ。だが、どの次元にいようと、この家からは出られない。知っての通り、お前が【夜帳】に入れるなら、私も入れる」
ヴィオレッタがそれ以上何も言わないのを見て、イゼルも逃げるようにリビングを去った。
寝室のドアを閉めると、世界は二つに分かれたようだった。イゼルのドキドキと高鳴っていた心も次第に静まっていく。
「……」
彼女は流れで寝室のドアに背を預け、膝を抱えて座り込み、無言で床を見つめながらぼんやりした。
一体、私は何をやっているんだ……
イゼルは自問した。
ただ単純に、こいつを懲らしめてやりたかっただけだ。戦利品のくせに、傲慢な態度を取るなんて、本当にムカつく。
そうだ、そうに決まってる、悪いのはアイツの方だ!
だってさっきアイツが噛みついてきた時、私が感電させても泣かなかったじゃないか。私はただの『牙には牙』だ。
「……もう、最悪。せっかく風呂入って気分良くなったのに、また台無しだ」
イゼルはぶつぶつと呟きながら床から立ち上がると、部屋のガス灯を消し、二歩三歩でベッドに飛び込んだ。
ガス灯の明かりが消え、部屋は暗闇に包まれた。窓からわずかな月光が差し込むだけだった。
何もない天井を見つめながら、イゼルは今夜は眠れそうにないと感じた。