石橋から飛び降りたら…時戻りしてしまいました
けっこうシリアスです。ご注意ください。
曇り空の下、村人たちが大勢集まってガヤガヤと活気のある道を、柔らかい栗色の髪の少女が走り抜ける。
心を込めて作ったお守りを少女の許嫁と弟に渡すために。
人混みを抜けると大人たちの中に許嫁の蓮と弟の宵がいて、早く渡したいと気持ちだけが急く。
早足で近づく私に、先に気づいたのは宵だった。すぐに宵が隣に立っていた蓮に声をかけ、彼がこちらに顔を向ける。
でも、私はその時は蓮しか見えていなかった。
私に気づいてくれた事がとても嬉しくて、舞い上がりながら近づこうとした。
「止まれ」
静かな声で、宵が私に制止をかける。
なぜ、と思いながらも足を止める。
私の手には、青色と茜色の包みが握られていた。
「それは?」
問いかけてくる蓮。
1週間ぶりに声が聞けたことが嬉しくて、宵に止められたことも忘れて駆け寄ろうと足を踏み出した時。
「――っ!」
私の中の時が止まった気がした。
宵が腰にある短剣は抜かないものの、明確な敵意を持って睨み、蹴りをくりだす。
反射的に後ろに飛び退くものの、呆然と弟を見つめる。
なんで.....?どうして?と暗い、重いような気持ちが心の奥深くからどろどろと溢れ出す。
村長である父の跡継ぎとして、一緒に訓練されていた、双子の弟の宵。
いつからか、底が知れない薄い笑みを浮かべて私を見るようになっていた。
実の姉であるはずなのに。家族なのに。
家族ではないと示すように、静かに拒絶された。
小さい頃は、仲の良い姉弟だった。
一緒に訓練を受けて、一緒に課題の解決策を考えて、2人で乗り越えていた。
いつだったか、最近からか、私はなにか違う...と思った。何がちがうのか分からない。だけど、何かが足りない。
―その感情は「寂しさ」だったのかもしれない。
違和感が私を飲み込みそうになっていた時、蓮に出会った。はじめは、許嫁というより歳が近い同士仲良くしたらどうだ?という、親達の計らいだった。
感情があまり出ない子だけど艶やかな黒い髪に夕日のような赤い目、整った顔立ちに見惚れてしまった。
弟が嬉しそうに話に行く様子に我に返って、これも違うのかと落胆した。
でも、私は愛されていた。
愛されていた自覚はある。弟も、同じくらいの愛情を両親から注がれていた。弟との仲もとても良かった。でも、何かが欠けていた。
…いつからなんだろう。
私のする、行動のほとんどを母が監視をするようになったのは。
いつからなんだろう。
父から、訓練にも参加させてもらえなくなったのは。
そういうときは必ず、森の近くの『私の特等席』に行った。
森の入口近くの橋の上に登ると夕日が沈んで夜になっていくのが見えるのだ。その場所には何故か、誰も来ない。
だから、一人になりたいときによく行った。
―いつからだろう。
『私の特等席』に蓮が先回りするようになったのは。私が泣いているときは、何も言わずにただ、近くに居てくれた。
…いつからだとかは覚えてないけど、私の居場所はないと思っていたから。
たまたまでも、人から言われたから、という理由だとしても、私を見つけてくれる人がいるという事がうれしくて、欠けたものが満たされた心地になった。
私に興味はないということは解っていたけど、それでも私だけの居場所になって欲しかった。
10歳を迎えた日から、隙あらば蓮に付きまとうようになる。いつもつきまとう私が居なくなったとき、寂しく思ってくれるんじゃないかという打算からだった。
つきまとううちに、振り向いてもらえないということに焦りのようなものを感じた。
そこからだろう。
蓮に依存するようになったのは。
自分でも、馬鹿なことをしていると思っていた。
蓮に近づいてくる女の子に威嚇し、心配で注意してくれた弟を無視して、険しい顔をしながらたしなめようとしてくれていた父を避けて、自分の世界を作った。
誰も邪魔してこない世界が欲しかった。
何故そんなことを考えたのか分からない。
分からないけど、使命感にも似た感情でそんなことをしていた。
蓮が私の世界になって欲しかった。
私を、見つけてくれた人だったから。
そんな彼は、弟である宵に攻撃された私に、冷めた目を向けた。
彼自身はそんな感情を持ってなかったのかもしれない。でも、私には、そう見えた。
蹴りをよけた私に宵は再び攻撃をくりだす。
15歳の時に訓練を抜けさせられた私には、同じ歳でも体格がちがう弟の攻撃を避けることが精一杯だった。
敵意を肌で感じ、なぜそこまで、と困惑すると同時に腹が立った。
(1回くらい反撃したい)
私が出来ることはもうないのに足掻いて、さぞ弟には滑稽に映っただろう。
ごちゃごちゃした思考の中、視界の端には蓮の姿が入る。私を助けたいと思うなら、すぐにでも助けに入っただろう。だけど、今でも興味がなさそうに私ではなく、宵を見ている。
宵のことを。
(私の世界には、なってくれないの…)
やっと、と言うべきだろうか。
それに気づいてしまって、ふっと見える世界が色褪せた。景色が遠くに見える。
攻撃してくる宵も、どうでもよくなって力を抜く。
宵がぴたりと動きを止めてこちらをじっと見つめる。
瞳が綺麗だなと思う。
私と同じ色、だけど私よりきれいな澄んだ青空みたいな瞳。
そんな瞳が私を見て揺れていた。
(さっきまで、思いっきり敵意を向けてたくせに)
そう思いながらも、弟だ。双子の。考え方もむかしは似ていた。
だから今もわかるだろう。
弟だったから。
――私の世界が、跡形もなく崩れ去ったことが。
諦めの感情が心を満たして、口角がふっと上がったような気もする。
蓮を見遣る。
むかし、きれいだと思った夕日のような瞳には私に対する何の感情も見つけられなかった。
(まぁ、分かってた)
さっさと目を覚ましていたら、今よりは楽だったかもと、今更どうしようもないことを考えながら二人から背を向けて歩き出す。
私の特等席へ。
空を見上げると、曇っている。それに、もうすぐ夜がくるのか、薄暗くなってきている。
夕日は見えないかと橋の上へ行く。
宵にも、野次馬に紛れていた両親にも、むかし仲の良かった女友達にも、蓮にも、見えているだろう。この場所は、そういう場所だ。
姉弟喧嘩だと、気にしなくなったひとたちは、それでいい。
私の普通すぎる空気に違和感をを感じてこちらを食い入るように見つめている宵は、相変わらず察しがよすぎて困る。
(夕日が見える...よかった...)
私にも、居場所があるはずだと思っていた昔の私。
(――なかったよ。そんなもの)
私の特等席は柵なんてないから遠くに、行ける。
自由になった鳥のように羽ばたいて。
(あ、2人にあげようとしてたお守り落としてる.....。......まぁいいか)
「…もう、いらないし」
座って、色褪せて見える夕日が沈むのを追いかけるように立ち上がり、宵の方を振り向く。
宵はまだ私を見ていた。両親も、蓮も、友達だった子も。
私の居場所にはなってはくれなかったけど、18歳、成人まで育ててくれてありがとう。関わってくれてありがとう。そういう思いで、体の向きを変えて、深々と礼をする。
宵が何かに気づいたようだけど。首を振って今度は私が制止する。それでもこちらに走って来ようとするけれど、残念でした。茶化すようにふっと笑う。
宵が何かに阻まれる。
私の張った結界だ。
ここに座った時点でこちらに来れないように、緩く結界を張ったのだ。すぐに破られてしまうような脆いものだけど、別に食い止めたいわけじゃない、時間を稼ぎたかっただけだ。
15歳まで、訓練したのだ。
義務だと思ってたとしても。楽しんでいて、いつか弟を支えられたらなと思いながら取り組んでいた。
はっと宵が気づいたようだけれど、もういいかな。
ばいばいという思いを込めて、そちらに手を振る。
夕日に視線を戻して、下を見る
霧がかっている、はるか下には川が流れているだろう深い谷。
目を閉じて薄く笑いながら、躊躇いなく足を踏み出して飛び降りる。
ありがとう。とすこしだけ微笑む。
よかった。解放はされないけどちょっとだけ、楽になる。
遠くに宵の声が聞こえた気がした。
――私の弟...。
(...あぁ、でも、.....)
雫が光って空に消えた。
まどろみの中で声が聞こえた。
「は......き、........づき」
誰の声だろう。
今までにないくらい良い気分なのに。
「華月、華月!」
すこし、不貞腐れながら目を開ける。きれいな赤と青がみえる。
「..........」
6歳の誕生日の時と同じ服の、宵と蓮がいる。
私と、初めて出会った日だ。
忘れるわけがない、あんなにキレイな夕日のような瞳を。
(――時戻り、した..........?)
私はぱちぱちとゆっくり瞬きしながら、それは大きく首をかしげながら二人をと見つめた。
混乱しながらも口をひらく。
「どうしたの?こんなところに。......宵、なんで泣いてるの。」
そう言いながら、宵のさらさらなほっぺに手を伸ばす。
私と同じ茶色の、サラサラの髪が揺れる。
「華月っ、帰ってこないと思ったら、こんなとこで寝ててっ、っ.....死んでるのかと思って、びっくりした.......っ」
.....死んでるのかと思って、か。
(間違ってないんだよなぁ....)
「宵、...寝てただけだから大丈夫だよ」
そう言いながら、手を伸ばしてよしよしと宵の頭を撫でる。
こんな場所で寝てて、大丈夫と言うのもおかしいけど。
(――なんで、蓮も一緒なんだろう......)
私と宵が話している間、じっと私を見ながら会話を聞いていた蓮。
宵と、今着ている私の服とか早めに帰れと言われてたあたりからして、今日は6歳の誕生日だったような気がするけれど...。
(前の私もここで寝てたけど自分で起きて焦って帰ったからなぁ)
どうしたものか、と考える。
前の私の記憶は、もちろん覚えている。
とても、鮮明に。
だけど.....。
この頃は私も両親からちゃんと愛されている自覚もあったし、宵とは一心同体で、いつも一緒だった。
その記憶もちゃんと持ってる。
6歳に戻ったからか、その頃の感情に私は染っていた。
『今』の私は、考え方は『前』に引きずられているけど、感情はちゃんと『今』だ。
――それと、もうひとつ。
(......今世が3回目)
そう頭の中で言葉にすると同時に、足りないものが、欠けたパズルのピースが、カチッとはまった音がした。
『私』は『日本』という国に住んでいた、高校生だった。
それ以降の記憶がぱっと出てこないから、たぶん死んでしまったんだろう。
その『私』が好きだったラノベたち。
(異世界転生とかループとかあったなぁ....)
と思いながら、少し遠い目をする。
宵のサラサラの髪を丁寧に手で梳きながら蓮をじっと見つめる。
今の私は、なんの違和感もない。
前の私の足りないものは愛情とかではなかったのだ。
『私』そのものが欠けていたんだ。
(――蓮、前の私に巻き込んでごめんね)
今の私、前の私。
もっと前の、前世の『私』。
色々思うところはあるけれど、でも、今は。
『今の』私だから。
「宵、おちついた?」
「うん......」
蓮は、相変わらず私のことをじっと見ていて、宵のことをなだめようとかは思ってなさそうだ。
一度、光だけ残っている夕日を見て、蓮に目を戻す。
「.......――はじめまして、夕日みたいな子」
(私の居場所、だった子)
そんな私の言葉に驚いたのか、少し目を見開いて、夕日のようなきらきらした目をパチパチした。
(あぁ、やっぱりキレイだなぁ)
小さい蓮は、私に興味のない未来があったけど、可愛く見えて、今度は蓮の頭をよしよしと撫でる。
すると、ますます見開く子どもらしい大きな瞳。
(ちょっとやりすぎたかな...。今の私は、はじめましてなのに)
嫌そうにはしてないから良いだろうと勝手に解釈する。
宵は、まぶたを腫らしながら、目をまん丸にして蓮の頭を撫でる私を見る。
それまでの私は初めて会った子を一日で受け入れたことは一度もなかったから。
でも、私はやっと『私』になったのだ。
宵が復活した事に気づいて、蓮の少し癖のある柔らかい髪から手を離す。
「いきなり撫でてごめんね、宵も、しんぱいかけて、ごめんね。かえろー!」
あえて明るめに声をかけて、橋から石畳の地面へ飛び降りる。
すこし、ほんのちょっとだけ、前の私の飛び降りた感覚が、重なった気がした。
そんな感覚を振り払うように後ろを振り返る。
屈んでいた蓮はスっと立って、宵もすこし目を擦りながら、危なげなく地面へ降り立った。
「帰ろうか。...迎えにきてくれてありがとうね」
微笑みながら二人に両方の手を差し出す。
「手、つないで帰ろう?」
宵と蓮は顔を見合わせて、私がやっぱりいいやと言う直前、蓮がそっと私の右手を取った。
子どもの暖かな体温だった。
宵もめずらしいと喜んで私の左手を取った。
初めてかもしれない温かさを両側に感じながら、穏やかな気持ちで帰り道を進んだ。
東の空に星がひとつ、輝いていた。
帰ると、まず両親から叱られた。
今日は早く帰るように言っただろう、と。
予定通り、私と宵の6歳の誕生日を蓮の両親もまじえて祝うことになった。
「華月、蓮くんに会うのは初めてよね?仲良くしてね?せっかく同い年なんだし。それに........子どもであんなに整った顔の子はなかなかいないわよ!!頑張って捕まえてね!」
「えぇ.....、無理だよ....」
母の言葉にこの時から許嫁の話は出ていたのかもしれないと気づいた。
宵と楽しそうに話している蓮を見ながら、お母さんと蓮の母の咲さんがコソコソ喋る。
「なになに?蓮の話?光ちゃんうちの子は将来有望だから、華月ちゃんに決めておく?」
「えぇ!!イケメンで、将来有望で!――優良物件ね...。ぜひともうちに来て欲しいわ....」
「咲さん、お母さん......私じゃない方が良いですよぉ......」
もう私の声は届いてないだろう、母親たちにぼそっと告げる。
今のうちに逃げようと視線を動かした時ちょうど気づいた宵がこちらを見て、手招きをした。
「華月!蓮すごいんだよ!俺たちがなかなか出来なかった結界張るの3日で出来るようになったんだって!」
興奮したように私に報告してくる宵は可愛い。
少し遠い目をしながら蓮を見る。
(この頃から天才なのか.........)
「別にすごくないよ。風麻さんの教え方が上手なんだよ。」
(しかも、良い子っ..........)
「そんなことないよ!俺たちも父さんから教えて貰ってるんだから。飲み込みが早いなって褒めてたよ!」
たしかにそんなこと言ってたような気がするくらいの認識だった、今の私。
(覚えとこうよ私!)
「きみは、はづきっていうの?」
現実逃避に走っていた私は、その言葉にはっと我に返る。
「うん、そうだよ。あなたは...蓮、くんって言うんだよね?」
(あぶない。蓮って言うところだった)
「.......」
「?どうしたの...?」
なんだか、反応がおかしいような。
(もしかして!呼び方、蓮くんもダメだった!!??なんて言えば!?.......蓮さん?.....いや...ないな...)
混乱している私に気づいているのかいないのか、蓮が再び口を開く。
「蓮」
「ん....?」
「蓮って呼んで」
「え.....蓮くん、じゃ....?」
(ダメなの?)
「俺も、華月って呼ぶから。蓮って呼んで」
最初にしてはレベルの高い…。
(良いんだけど!良いですよ?癖で蓮ってポロッと言っちゃいそうだから!)
荒ぶる心の声を鎮めながら、じっと私を見つめながら自分を呼ぶのを待っている蓮から目を逸らした。
「...........蓮」
小さく呼んでみる。
顔ごと逸らしながら。
ちらっと見ると
「うん」
と言いながら、満面の笑顔な蓮。
(そんな笑顔見たことないよ?!)
せっかく鎮めた荒ぶる心が、大嵐になる私。
そんな私を嬉しそうに蓮は見つめてくる。
宵も、私たちが仲良くなれそうな雰囲気にニコニコしている。
そして、蓮の笑みにやられてしまった私はたぶん、顔が真っ赤だ。
未だに私は、夕方になると決まって夕日を眺めにあの特等席に行く。
前の私に会えるような気がして、会えたら今の私の気持ちを伝えたくて。
ある日、蓮が女の子たちに囲まれているのを見た。
前の私に引きずられるように、なぜかひどく悲しくなって、夕日を見つめながら静かに泣いていた。
普段からなかなか人が通らないこの場所は、人が来たらすぐ気づくのに、蓮が来た時は気づけなくて。
「どうして泣いてるの」
そう問われながら、頬を人差し指の背の方で拭われるまでぼうっとしていた。
前のあなたはそんなことしてくれなかったよ、と言いたくなるけど、それは今の蓮には分からないし、戸惑ってしまうだけだろう。
何も言わずに、じっと夕日色の瞳を見る。
涙が止まらない私の頬を手のひらで包みながら蓮が言う。
「一人で泣かないで。俺のとこに来て」
それはどの私も見たことの無い顔だった。
泣きそうな、悔しいような、それでいて嬉しそうに、私の顔を覗き込んでくる。
蓮に触れられるのは嫌いじゃない。
前の私は、触れさせてもらえなかったから。
依存はしていたけど、好きではなかったと思う。私の居場所になって欲しかっただけ。
……今の蓮は、どうして私に構うのだろう。
返事をしない私に優しく微笑みかけながら、今度は頭を撫でる。
その手つきは、慣れてないのかぎこちないけれど、そっと優しく撫でてくれるのが心地よかった。
こんな優しい顔も、前のあなたはしなかった。そんな事を『前の私』は考えてしまう。
いつになったら、今の私に戻れるのか。ずっとこのままかもしれない。
隣に座って私の頭を撫でる手を掴まえて、自分の額に押し当てる。
ぴくりと蓮の体が揺れた。
「......蓮」
「ん?」
「......ありがとね」
「...うん」
私が掴まえている手とは違う手で、また、頭を撫でる。
「ふふっ...頭、撫でる好きなの......?」
嬉しいけど、気恥ずかしくて茶化すように聞いてみる。
「...すきだよ。華月の髪さらさらだから、触り心地が良いし」
なるほど。触り心地か。
肩を揺らして笑う私に安心したように、蓮から力が抜けた。
両手で握っていた蓮の手を離して、少し乱暴に服の袖で涙を拭う。
「ちょっとまってっ」
蓮は荒々しく涙を拭う私の手を掴まえて、ポケットから出した手拭いで、優しくあててくれる。
「これ、俺も使ってて汚れてるかもしれないけど。でも、もうちょっと優しくやりなよ」
「うん......ありがとう」
「ん」
私も蓮も6歳なのに、蓮の方が大人みたいだ。
「華月」
手拭いを仕舞って、再び私の頭を撫ではじめた蓮が呼ぶ。
「なぁに」
「初めて会ったときに、夕日みたいな子って言ったのは、なんで?」
その瞬間に、すっ今の私に戻れた気がした。
理由なんて、蓮の瞳が夕日みたいだからというだけなのだけど。
今の私になって、初めて感じた心の揺れだった。
「......蓮の瞳が、夕日みたいにキレイな色だから。私の、......安心する色。夕日は」
「...だから、ここに来てるの?」
「うん」
「そっか」
蓮の問いに頷く。
心なしか蓮の声が嬉しそうに弾んでいる。
ちらっと蓮の顔を見てみる。
柔らかな笑みを浮かべながら、 山の向こうへ沈んだ夕日を眺めている。
赤く照らされた横顔が、とても輝いて見えた。
10歳の誕生日、母と、咲さんから蓮の許嫁にならないかと言われた。
前の時は、お父さんから言われたのにどうしてだろう。でも、私の答えは決まっている。
「嫌ではないけど、まだ早いよ。これから蓮に好きな人ができたら、許嫁なんて邪魔になるかも」
その答えには母親たちも「たしかに、息子(娘)には欲しいけど、お互い別の人を好きになったら困るな」と頷く。
「許嫁、なりたくなったら言ってね?」
とニッコリしている咲さん。
ならないけど、一応頷いておく。
蓮もうすうす気づいていたのか、気まずそうに
「華月はいやだった?」と聞いてくる。
何言ってるんだろう?嫌なのは蓮じゃないの。
「いやではないよ。でも、お互い違う人を好きになったりしたら、許嫁っていう関係、邪魔になるかなって思って」
(主に蓮が)
私も、気付かないふりをしていた部分もあるだろう。でも、前の私の経験がある以上、軽く決められる事でもなかった。
と、これから数年後言い訳したくなる。
「ふ〜ん......」
少し尖った雰囲気になった蓮。
「どうしたの、蓮。別に許嫁じゃなくても、蓮のことは好きだし……知ってる?女の子たちみんな蓮に憧れてるんだよ?私が気まずくなっちゃう」
その言葉にひとまず納得したのか、ひとつ頷き私に抱きついてくる。
(あれ、ほんとに聞いてたかな...)
振り払えるくらいやんわり抱きしめられているけど、蓮の腕は居心地が良くて、私からもぎゅうっと抱きつく。
すると、さっきより強く抱きしめてくるから、可笑しくなって笑った。
そこにお父さんと話していた宵が、戻ってきて「あ!ずるい!俺も入れて〜」と横から勢いよく抱きついてくる。
よろけた私に、蓮がぎゅっと腕に力を入れて支えてくれた。
「蓮、ありがと。宵?勢いつけすぎ!」
「ごめん〜。でも、蓮ばっかりずるい。
俺の華月なのに」
むすっとふくれる宵。
ブラコンの姉にして、シスコンの弟だ。
ふっと笑って今度は宵に抱きつく。
「宵、大好きだよ」
今も、むかしも。
心の中で、そうつけ加える。
「俺も大好きだよ!華月!」
ふふっと嬉しそうに宵が笑う。
蓮が隣からいなくなったとしても、宵がいれば私は大丈夫。
「俺は?」
今度は蓮がむすっとしている。
(蓮ってこんなに表情豊かだったかな?)
「もちろん、――」
「蓮も大好きだよ!」
私が言う言葉を遮って、宵が言う。
さすが弟。一言一句、同じだ。
言いたかったことを言われてしまった私は、うんうんと笑いながら頷く。
そして、蓮はお礼を言うように
「はづき、宵、大好きだよ」
照れくさそうに笑った。
17歳になって数ヶ月。
前の私は、蓮につきまとって、訓練も受けられなくなって、しかも友達もいない、という散々な状態だったが、
今の私は、違うことで少々困っている。
「ねぇ、蓮」
「ん?」
「いつまで、くっついてるの」
そうなのだ。蓮が離れてくれないのだ。
子どもの時は可愛いから許してきたけど、今はもう、立派な大人に近づいて来ているのだ、私も、蓮も。恥ずかしくて仕方がない。
いつもの特等席で、景色を眺めていた私を後ろから抱えこむように抱きしめている。
「ずっとがいいなぁ」
不穏なことをぼそっとこぼす蓮に抵抗を始める。
「今から、森に行くんだから。離して、蓮」
「やだよ」
「なんで!」
「まだちょっとくらい時間ある。それに、俺も行くし」
「……まぁ、そうだけど」
大事なことだから2回言う。
そうなのだ。本っ当に、蓮が離れてくれないのだ。
今の私は、15歳から森の中にある結界の祠に、定期的に参っている。
前の私は知らなかったこと。でも、今の私の知識では、祠は特に秘匿されていたことではない。
これは、私が蓮しか興味がなかった証拠だ。
お父さんも宵も、知らないならそれでいいと思っていたんだろう。
「よし、行くぞ」
お父さんの掛け声とともに数人で森へ向かう。
これから向かう森にある祠は一応、神聖な所で旅商人たちが迂闊に入ってしまわないように気をつけている。
月に一度。新月の日の夕暮れ時。
日が沈むころから夜、日付けが変わるまで交代で舞を奉納する。
今の私は、訓練も受けながら舞の稽古もつけてもらっていた。
巫女装束というのだろうか、袖や裾が少し広い赤と白の服。それを身を清めてから身につけ、舞う。
男も女も関係なく同じものを舞い、そして、交互に舞わなければならない。
今回私は最後の締めを舞うことになっている。
舞が始まる。
からんっ、からんっと薄暗くなった森に鈴の音が響く。
「蓮、頑張って」
控えの天幕のその入口から、そっと顔を覗かせて次に向かう蓮に声を掛ける。
振り返った蓮は、ふっと微笑んで私に近寄り、手をぎゅっと優しく握りしめる。
突然のことにびっくりして振り払おうとしたけど、蓮が緊張しているのに気づいた。
目を数秒とじて、ひらくと透明な膜みたいなものを纏った。
「行ってきます」
と私の顔を覗き込む。だから、うなずいて、
「行ってらっしゃい」
そう返した。
私の番が来た。
私の前の人がすっと私に視線を向ける。
それに頷くと、ぴんっと背筋を伸ばして段を登り前に進み出る。
膝をついて、鈴を受け取ると静かに前の人は降りていく。
私は、ゆっくりと、優雅に見えるように立ち上がり舞いはじめる。
舞台を囲った松明がゆらゆらパチパチと動く。
すると、祠の方から清らかな青い光が浮かびあがった。
目を閉じて無心に舞っていた私。
だから、舞台の下で、前に舞っていた人たちが、息を飲んで、私を、舞を見つめているのを知らなかった。
私の感覚では、舞の時間はあっという間だった。
無事に終わったことに安堵しながら最後の段を降りきったところで、勢いよく蓮が私に抱きついて来た。
「...っわぁっう!」
すっかり安心しきっていた私には不意打ちで、驚きすぎて変な声が出る。
私の声に反応して、お父さんと咲さんがこちらを見る。
蓮にぎゅうぎゅう抱き締められて、困ってしまった私は蓮の肩越しに二人に目で助けを求める。
すると、二人とも顔を見合わせて、呆れたように首を振り、お父さんさんは大丈夫だというふうにうなずき、咲さんは、がんばれっと言うように拳を作った。
助けは来ないことを悟った私は、痛いくらいに抱きしめてくる蓮の背中に手を回し、ぽんぽんとたたく。
「なに?どうしたの、蓮。なんかあった?」
私がそう言うと、グリグリと肩口に額を擦り付けてくぐもった声で言う。
「どこにも、行くなよ、絶対」
蓮のその言葉に動きを止めた。
自分の心の困惑の中に嬉しさをみつけ、それに動揺する。
蓮は少し腕を緩め私の顔を覗き込む。
「みんなに聞いたらわかると思うけど。華月が舞っていたときいらっしゃったんだ。」
(だれが?)
首を傾げながら蓮の目を見つめる。
「神奈様と新夜様だよ。」
息を飲む。
その名前は、この祠に祀っている夫婦の神様の名前だった。
「......私が舞っているときに?」
「うん。」
「みんなも見てたの?」
「...ん。」
(え、ほんとに?)
戸惑いすぎて、言葉が出ない。
どうして?という思いが頭の中でぐるぐる回る。
(.....私が『私』に戻れたからかな)
そう思うことにした。
私には、なにも特別な力なんてないし、ちょっと他の人とは違う記憶を持っているだけだ。
村へ戻ってきたその日の夜。
お父さんとお母さんに話があると言われた。
跡継ぎの話かな、と軽い心持ちで部屋に行った。
しかし、話の内容は、「蓮と婚約しないか?」
というものだった。
「え」
「華月も蓮君のこと嫌いではないだろ?」
お父さんが言う。
(まぁ、たしかにそれは、そうなんだけど......)
この世界では、別に結婚することは強制ではないし、恋愛結婚が多い。
許嫁から夫婦になったとしても、仲良しの人がほとんどだ。
「蓮君が、華月に許嫁になって欲しいって言ってきたんだ」
「...............え」
たっぷり間が空いた後に、気の抜けた声が出た。
「.......蓮から、言ったの?許嫁になりたいって?」
「そうなの。華月、今すぐでなくてもいいから、よく考えてあげて」
今度は、お母さんが言う。
「そ...うだね。考えてみる……」
二人の顔が見れなくて、俯きながらうなずく。
話はこれだけらしく、もう寝なさいと言われ部屋を出る。
「おやすみ.....」
「おやすみなさい」
翌朝、さっそく私を構いに来た蓮に聞く。
「――蓮。...許嫁になりたいってほんと?」
すこし、疑いの気持ちが溢れて嫌な言い方になってしまう。
そんな私の様子を、分かっていたのかすんなりと、
「そうだよ。俺が華月を欲しいから。誰にも、何も言われないように、許嫁になりたいって思った」
真剣な目で見つめられて、言葉につまる。
(私を欲しいって言った......?)
混乱の境地にいる私の頭に手を伸ばし、いつものように蓮が優しく撫でる。
突然の行為に「頭撫でるの好きなの?」と聞くとふっと笑いながら「好きだよ。華月の髪好きだから」
ここでも困るようなことを言ってくる。
しかし私の中では今、嬉しい気持ちもあるがそれよりも困惑や、否定の気持ちが大きかった。
「...――なんで、私?」
「...好きなのに理由、いる?」
「...え、すきなの?...私が?」
ここで、蓮が動きを止めてまじまじと私の顔を見つめてくる。
「......なに」
私が混乱しすぎて喧嘩腰な言い方になったのも気にせず、聞こえないくらい小さい声で「伝わってなかったのか......」とつぶやく。
「なんて?」
「華月」
どこか改まって名前を呼ばれ、はいと返事をしながら目を合わせる。
「これから、分かってもらうから」
「え」
「俺は、華月のことが、だ、だいすきだから。覚えておいて」
「......」
前が前だったので、蓮が自分のことを好きとは微塵も考えてなかった私。
そうかもしれないと分かっていても、石橋を飛び降りる直前のあの態度が思い出されてすぐさま否定していた。
でも、蓮は、今の蓮は違うのだ。それを私は、頭の中では理解していたつもりになっていた。
私が、しっかり動揺したのを見て、満足気によしよし、と頭を数回撫でると
「俺、あっちで素振りしてるから」
と言い残して去っていく。
(なんで私が、今さら......)
前の私を思い出して、気持ちが沈んでいく。
前の私は、見向きもされずに、終わったのに。
どうして。今の私はいいの。何もしてないのに。今の私は何も……。
顔を隠すように手で覆って、近くの木陰にしゃがみこむ。
(ふつうだったら、喜ぶような事だなぁ、これ)
その日は、蓮も、お父さんも、お母さんも、分かっていたのか、私を無理に訓練に参加させようとはしなかった。
次の日の朝起きると、食卓で宣言する。
「ーお父さん、お母さん。私、蓮と許嫁になるよ」
「まぁっ、ほんとうっ?」
「......そうか」
お母さんは、蓮が義理の息子になるかもしれない事が嬉しいのかはずんだ声を出す。
お父さんは、暗い感じだけど何だろう。大丈夫かな。
「お父さん、何か、悪いことでもあった?」
「ん?なんでだ?」
「いや、もっとお母さんみたいに喜ぶと思ったけど、暗いから......」
私のその言葉にお父さんは、バツが悪そうにお母さんから顔を逸らして、ボソボソ話す。
「華月の相手が決まるのはもっと先だと思ってたんだが....お母さんと咲さんも、許嫁に、と言うから...」
「あぁ...」
母と咲さんから詰められる父が想像でき、同情から遠い目をしながら相づちをうつ。
お父さんが、気の強い女性二人に詰め寄られている図がはっきりと頭に浮かぶ。
そして、咲さんを宥める、棗さんの姿も。
(棗さんも、咲さんには弱いからなぁ)
それに、蓮本人が許嫁になりたいと言っているのであれば、お父さんも断れないだろう。
それに、よく考えたら私は、別に蓮が嫌いなわけではないのだ。昔から。
前の私みたいに、無関心になられるのが怖くて、逃げてただけで、むしろ...
「ーぇぇええええ!!!華月!!蓮と婚約するってこと!!???」
宵のものすごく驚いた声で思考がかき消される。
「んー……まあ、そうかなぁ」
なんだか、実感がわかなくて、気の抜けた返事になる。
「そっかぁ。蓮がんばったんだ…」
「ん?がんばったって?」
「あ、いや、なんでもないよ!それより、おめでとう?だよね、華月」
「うん、ありがとう、宵」
宵にそう言われると、嬉しくなってくる。
たとえ、心を占めるのは不安がほとんどでも。
決め手としては、蓮が自分から許嫁になりたいと言ったということ。
前の時は、どう決まったのかわからないけどお父さんから言われたので、咲さんとお母さんが今回と同じように推しまくったのかもしれない。
そして、むしろーー
むしろ、私は、蓮のことが本当に好きだったのかもしれない。
だから、頭を撫でられるのも嫌いじゃないし、心配されたりすると嬉しくなるのかもしれない。
だから、大丈夫。
2回目の18歳の誕生日を迎えた。
前の私が飛び降りた日は、初めて蓮と宵が参加する任務の出立式だった。
過去の私と同じように、組紐の腕輪を作る。
二人にバレないようにこっそりと。
前と同じようにその一週間はなかなか会えなくて、出来上がったものは出立式当日に渡すことにした。
前の私と同じように。
曇り空の下。
朝早く集まる、人達。
その間をぬって、宵と話している蓮の所へ早足で行く。
最初に私に気づいたのは蓮で。
胸の中で、今までにないほど喜びがあふれ出す。
「華月!」
「華月、どうしたの?」
次いで気づいた宵に問われる。
「これを、渡そうと思って。…ふたりに」
といって、茜色の包みを蓮へ。青色の包みを宵へ渡す。
(やっと、わたせた...)
前の私と、今の私が完全に重なってひとつになった感覚がした。
こみ上げてくるものがあり、泣きそうになる。
「開けてもいい?」
ハッとなり、開けていいよっと慌てて答える。
「上手くは出来てないけど......」
二人とも、それを手に取ってじっくりと見つめる。
そして、蓮がふっと視線をあげた。
「華月、ありがとう」
満面の笑顔で言う。
「うん……うん」
いつもなら、その笑顔にやられて真っ赤になる私だけど、この時ばかりは泣きそうになってしまう。
「華月、僕のもありがとう!華月と僕の色だよね」
「ーうん、そうだよ」
そうなのだ。前の私も、宵に渡したかった私たちの色。
もう、我慢できずに涙がぽろっとこぼれ落ちる。
蓮は、ちょっとびっくりしたような顔をしながら、優しく涙を拭ってくれる。
宵も、ありがとうと嬉しそうに笑いながら、私の頭を撫でる。
そのまま止まることなく流れ落ちる涙。
「華月、待ってて」
少し俯いていた私の顔をのぞき込みながら、宣言するように蓮が言う。
「帰ったら。俺が帰ったら結婚しよう?」
「ー......っ」
何も言えなくて、ただただうなずく。
しばらく泣く私をなぐさめていた2人だったが、そろそろ時間だと離れていく。
遠くの方から、二人を見つめながら、二人とも無事に帰ってきますように、と手を組んで神に祈る。
歩き出した、二人の背中を押すように一陣の風が吹き抜ける。
風に乗って、からんっと音が聞こえた気がしたーー
その後蓮と宵は頑張って1ヶ月で爆速帰宅します!
2025/4/4