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スモーカーチルドレン

作者: 恋猫 なつき

いつもなら、布団に入りスマホでくだらないネットの記事や動画をだらだらと漁る。頭は使わず、指先だけを使う。暗い部屋に一つだけあるスマホの明かりは、半分以上見ていないのと同じだからさほど眩しくない。そんな時間を過ごしている間に、自分の意識は薄れていく。展開が不自然すぎることに違和感を覚えることもなく、夢を見る。そして気づけば朝日が昇り、窓からは暖かい光がさしている。今見ていたものは夢であると気づくことのできる違和感を実感する。

そこから俺の、新しい一日が始まる。

いつもならね。

今日の夜は違う。くだらないネットの記事や動画なんて見ていない。頭はフル回転だ。手の指だけでなく足の指まで神経を集中させる。親父の部屋の中には光なんて持ち込めないから、黒目を最大限に大きくする。意識がはっきりとしていて眠くなることなんてありえない。最悪の展開を避けるために警戒する。そして気を張り続けながら、玄関の先に向かう。今やっていることはいけないことだと、自分でもわかっていることを実感する。

これから俺の、いけない夜が始まる。


「はぁっ…はぁっ…」

家から逃げるように走っていた俺の足はだんだんと速くなっていた。最初は走った音でばれるかもしれないという用心深すぎる考えをしていた。しかし、距離が進むにつれてそれも考える必要がなくなり全力を出した。無我夢中で走り、気づけばここにいる。息を止めながら走っていたのか、想像以上に疲れてしまった。冬に近づいている真夜中の風はひんやりとしている。汗ばんだ俺の体には心地よかった。

「…っはは、どうってことねぇな」

達成感とともに独り言が漏れる。それと同時に緊張もほぐれ、体の力が抜けて、流れるようにわき道に入りそのまま地べたに腰を落とす。体育の先生が言っていた。走った後は少し歩いた方がいいと。あれは嘘だ。座った方が落ち着けるに決まっている。現に今俺はとても落ち着けている。固いはずのコンクリートは普段なら糞みたいな座り心地だけど、今なら安っぽいソファーよりも心地がいい。

初めて見る夜の街は、昼間とは世界が違った。いつも車が走っている道路には風が通り、学生であふれかえっている歩道には俺だけが走っていた。学校帰りに見る近所のおばさんはいなく、公園で遊んでいた子供も今頃夢の中だ。街の明かりはほとんどが点いていない。かと思えば、ネオンが輝き始める。それでも月明かりはきれいだった。

理由といえば一つだ。親に言われるのが嫌だった。お前はまだ子供だとか、お前にはまだ早いとか。親の相談もなしでやってはダメだとか、お前には関係ないとか。子供という言葉ですべてを片付けているように感じた。でも、俺ももう十七だ。十七にもなった自分には何でもできる気がした。もう大人になったと思った。自分のことは自分で決められる。頭だって、その辺の大人より賢い自信がある。体は、確かに大人より少し小さいかもしれないけど、そんなの誤差だ。俺のクラスにも先生よりでかいやつがいるけど、そいつは子供っぽくて気の小さい奴だ。つまり、体なんて関係ない。それに俺はあんなやつとは違って子供っぽくない。

だから今日確かめることにした。自分が大人だってことを。俺はポッケトに手を入れて、落としてないかを確認した。そして押し込まれたものらを取り出した。焦っていたから、乱雑にポケットに入れられた一本の煙草は少ししなっている。ライターも取ってきている。親父に聞いてやったんだ。親父は大人なのかって。あたりまえだと言われた。なら、親父が吸っている煙草を吸えば、俺が大人かどうか分かると思った。単純だけど、これが一番分かりやすい。

壁に体重をかけながら立ち上がり、煙草を摘み、再度体に力が入る。唇に挟み、上と下でしっかりと銜える。唇から少し指をずらして煙草の中心部分を摘まむ。右手にライターを持ち、少し前かがみになる。親父がやっていたように、手首で勢いを付けつつ親指で弾いて蓋を開ける。親指をライターのホイールに添えた。できる。できるに決まっている。俺はもう大人だ。こんなの余裕だ。やってやる。

ホイールを親指で、回す。

「……?」

回す。回す、回す。

「……おい、なんで」

いつも見ているように、うまく火が点かない。火どころか煙すら立つ気配がない。

「クソッ!クソッ!」

「おや、こんなところで何をしているんだい、少年」

全身の筋肉が跳ね上がった。同時に、反射的に煙草とライターを後ろに隠す。そして声のする方へ顔を向けた。そこには女性が立っていた。

「君のような少年がくる場所じゃないんだけどなぁ」

彼女は少しづつ俺に近寄ってくる。それと同じように俺は後ずさりをした。見られたかもしれない。

「だ、誰、ですか」

「妖しいものじゃないよ。いやね、少年が持つものが見えてしまってね」

やっぱり見られていた。どうする。まずい。逃げないと。逃げないと。俺は振り返って全力で走った。

「あっ。ちょっと!」

暗い方へ走って逃げようとした。が、暗すぎて足もとにあったゴミに躓き盛大にこけた。

「あらら…」

派手なこけ方をしたせいで腕と頬に擦り傷ができた。痛い。

「大丈夫かい、少年」

「……」

彼女は俺に駆け寄ってきて手を出した。

「べつに少年を叱ろうとか、そういうことは考えていないから安心したまえ」

そう言って笑顔を見せる。ネオンの光が零れてくるその路地裏での笑顔は、子供のようにも見えた。


「痛むところは他にないかい?」

壁にもたれ掛かっている俺に彼女は絆創膏を張り付けて手当をしてくれた。彼女の背は俺よりも高く、俺と視線を合わせるために少し屈んでいる。

「大丈夫…です」

俺よりも彼女は年上だろう。

「ならよかった」

そう言って彼女は俺と同じく壁に背を付けた。

「少年が持っていたもの、見せてもらってもいいかな?」

一瞬戸惑ったが、ばれてしまっているから隠す必要も無くなっている。俺はライターと、手で強く握って折れてしまった煙草を彼女に見せた。彼女は煙草を拾い上げるとまじまじと煙草を見つめ始めた。

「あー、これは少年にはまだ早いかもしれない」

やっぱり俺を叱る気なのかと思い顔をしかめる。

「ああ、違う違う。この種類の煙草はある程度慣れてないときついって話だよ」

そう言って彼女は丈の長いコートのポケットに折れた煙草をしまい、ピンク色の箱を取り出す。そして箱から一本の煙草を取り出し、俺に差し向けた。

「ほら、こっちを吸ってみなよ、少年。こっちの方がマシだと思うよ」

「…止めないんですか?」

「言っただろう?叱る気なんてないよ」

そう言って彼女は笑った。この人の笑顔は子供っぽい。彼女からの煙草を受け取り、壁から身を起こす。ライターの蓋を、今度は親指で押し上げる。左手で摘まんだ煙草を口元に持っていき唇で挟む。親父の部屋から取ってきた煙草とは感触が違うことに気づく。そして親指でホイールを、回す。やはり火は点かない。

「っんだよこれ」

何度も親指で回すが全く点かない。焦りと困惑が混ざって乱雑になっていく。

「クソッ…」

「えっと、ここはだねー」

それを見兼ねたのか、彼女は俺に火の点け方を教え始めた。しかし、彼女の説明が頭に入ってこない。それもそうだ。彼女は俺の後ろから覆いかぶさるように手を回し、背中に体を押し当て、耳元で説明を始めたからだ。彼女から溢れる匂いは喫煙者であるにも関わらず、花のような甘い匂いと温かさを感じる優しい匂いがした。前を占めていないコートの間からは、彼女の体温がじんわりと背中に伝わってくる。俺の手と重ねる彼女の手は柔らかく細身だ。耳元で説明をするその声は、背筋にまで伝わってくる。

ハッと気づき、彼女に溺れそうになった自分を起こし、彼女を振り払った。

「あらら、どうした少年」

「何でもありません。その…点け方。教えてください」

「…ああ、ふふ、いいよ」

彼女はなにかを察したようだった。


「よし、じゃあやってごらん」

点け方を教わってから、またホイールに親指を置く。位置はホイールの上部。そして下ろす時には少し力を入れる。すると、全く点かなかったライターに火が点いた。温かい光を放つライターの火に俺は感動と安心を感じた。

「点いた…」

「おめでとう少年。そのまま吸ってみなよ」

ゆっくりと火を煙草の先に当てると煙が出始めた。そしてそのまま煙草を唇に挟み、吸った。瞬間、思っていたような煙草の臭いとは違ったものがあった。甘いフルーツのような匂い、いや、味がした。親父が吸ってる時の臭いを想像していたが、全くの別物だったことに驚く。しつこくない甘さの後には夏の乾いた風のような爽やかさがある。それらは喉を通り、肺を巡り―――――

「ゲホッゲホッ!ウェッ!ゲホァッ!」

盛大に咽た。

「おいおい大丈夫か少年」

彼女は俺の背中をさすりながら声をかけた。膝をつき、下を向いて煙を肺から出そうとした。俺の顔には、赤くなった目から落ちる涙が零れている。しかし、一通り咽た後も顔に溢れていた。

「……」

彼女は声をかけようとしたが、俺の顔を見てやめた。もう煙は出し切っている。

ダメだった。できなかった。俺は。気づけば嗚咽は沈黙に代わっている。


――――――――――――――


あの後も俺が落ち着くまで彼女は背中を撫でてくれていた。今は彼女と壁にもたれて座っている。

「落ち着いたかい?」

優しく話かける彼女に俺は頷く。でも、それからは黙っていた。

数分経ったころに彼女が話し始めた。

「分かるよ、少年の気持ち。私もそうだった」

伏せていた顔を少し上げて彼女の顔を見た。

「私も少年と同じことをしたよ。咽すぎで喉が切れて血が出てきてさ。大変だった。でもライターは使えたがね?」

彼女は笑って見せる。俺は彼女の顔から目を逸らした。子供のような笑顔だ。

「最初から、なんて人はいないさ。焦る必要なんてない。徐々に近づけばいい」

彼女からの言葉には響きがあった。それは、彼女だからこそ出せる響きなのかもしれない。彼女はポケットからピンク色の箱を取り出し俺に渡した。

「あげるよ。今度吸う時はゆっくり吸うといい」

「ありがとう…ございます」

「ありがとうでいいよ。多分、少年と私はそんなに離れてないと思うし」

そう言って彼女は立ち上がり、ポケットに手を入れた。

「それじゃあね、少年。また会おう。大丈夫、きっとなれるよ」

彼女は夜の街へと消えていった。去り際に見せた彼女の笑顔は、大人だった。



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