魔女
※この作品はフィクションです。実際の人物、団体、地域は関係ありません。
魔女といえば魔法を使う老齢の女性が思い浮かぶ。箒で空を飛び、呪文を唱え、怪しい魔法薬を調合する。潤子さんのインタビューの数日後、アポイントメントをとった魔女がうちに来た。しかし、彼女は来る前からおかしなことを言う。
『当日は晴れの時に来るから、窓の外を見ないで』
予報なら降水確率100%なのだが、どうするつもりだろうか?まさか魔法で天気を変えるのか?気になった私はつい約束の時間まで空を見ていた。天の神様がバケツをひっくり返したような天気だった。
「ごめんください」
インターホンが鳴って聞こえたのは鈴を鳴らしたような可愛い声だった。若いということは聞いていたが、10代だったとは。バタバタと玄関へ出向いてドアを開けると、ずぶ濡れになっている少女が入ってきた。
「なんだ?傘持ってなかったのかい?」
「みてたでしょ?」
「へ?」
「あなた、ずっと外を見ていたでしょ?」
不機嫌そうな仏頂面で睨みつけてくるこの彼女こそ現代に生きる魔女、羽佐間 空美さんだ。日系とクロアチアのハーフらしく、黒髪ながらも色白で、線の細い可憐な子だった。黒を基調とした上品なワンピースを来ているが今は台無しだ。
「あなたが窓の外を見てたから晴れているうちにこれなかった……」
そう言って私を責め立てながらしずくをポタポタ垂らして玄関から上がる空美さん。今日は朝からずっと雨だったと思うが……。少し理不尽に思いながらもお客さんなのでとりあえず洗面所に案内しバスタオルを用意してあげる。
「これで体を拭いて、脱いだ服はこの籠に入れといてね」
「はい、ありがとう」
「着替え要るよね?ちょっと待ってて」
そう言ったものの、自分の男物の服を渡すわけにはいかない。妹の部屋に入るも勝手にタンスの中を漁るのが気が引ける。散々悩んだ末に妹に電話をかけて事情を話そうとしたが……。
「あの……」
「ん?わぁ、ちょっ!?」
部屋に空美さんが来ていた。濡れた服をすっかり脱いでバスタオルだけを体に巻いている。着るものがないとはいえ、ちょっと大胆な彼女の行動に私は動揺した。
「ああ、えっと、ごめんね、着替えは……」
「これを借りていい?サイズも合いそうだし」
「ん?え?あ、ああ」
彼女がいつの間にか手に取っていたのはピンクのリボンがあしらわれた白いワンピースだった。妹のお気に入りだが、待たせてしまったこともあり、貸してあげることにした。妹ならわかってくれるだろう。
空美さんが着替えている間に、リビングであったかいココアを用意してあげる。そしてリビングに来た彼女に椅子をすすめ、ボチボチインタビューを始めた。
「魔法について聞きたい?」
「そう、できれば一回見せてほしい」
フィクションでしか馴染みのない魔法を生で見られる。こんな機会はめったにない。しかし空美さんは困った表情をした。
「魔法って見せるものじゃないよ?」
「見せちゃいけないものなの?」
「そうじゃなくて、見るとはちょっと違うような……」
どうも話がかみ合わない。色々話しているうちに私と彼女で魔法として認識の違いに気が付いた。
「魔法って人間が理解できないもの、認識できないもので成り立っているから“見る”ことはできないの」
「手から炎とか出せないのか……」
「出ないよ火傷するし。むしろそういうのってあなたの領分じゃないの?」
急に話を振られて何のことかと思ったら、どうやらライターのことらしい。確かにインタビュー前にタバコを吸おうとして未成年が相手だからやめたんだった。その時に一瞬火をつけたのを彼女はじっと見ていた。
「人間は科学の力を使って生活を便利にしているからね。君たちも魔法で生活を便利にしてるんじゃないの?」
「便利じゃなくたって生活できるし、魔法ってそういうのじゃないし」
聞くと空美さんの故郷は電気も水道も通ってないらしく、井戸水を汲んで暖炉を使う前時代的な生活をしているらしい。そして村のしきたりとして十代半ばに近づいた若者は一度人間の街の中で暮らし、そのまま暮らすか、故郷に帰って家を継ぐかを選ぶという。アメリカのアーミッシュと呼ばれる人たちが似たような暮らしをしているのを聞いたことがある。
「どれくらいの若者が戻ってくるのかな」
「ほとんど戻ってくるわ。最初は楽しくて便利だけど、ストレスたまるし、実家が懐かしくなる」
「あ、それわかるかも」
私たちも都会の喧騒を離れてキャンプに行ったりもするからなぁ。冗談交じりに遊びに行っていいかと尋ねると、困ったような顔をされた。
「私の故郷は人間が認識できない領域なの。だからどんなに探してもたどり着けないし、招くこともできないの」
おお、ここでファンタジー要素が来た。異世界のようなものだろうか?どこかに入り口のようなものがあるのだろうか?つい色々と質問をしてしまうが、空美さんは肩をすくめて繰り返した。
「人間が認識できない領域だから、説明することもできないの。私にとっては普通に“故郷を出る”“故郷へ帰る”だけだからそれ以外言いようがないし」
「呪文とか唱えたりは……」
「それは呪術師ね。私たちとは別物」
よくオカルト系で言われる予言や黒魔術をやったりする魔女はそのほとんどが人間のカルト宗教で空美さんたちとは無関係らしい。もっと驚いたのは15世紀から17世紀にヨーロッパで盛んにおこなわれていた「魔女裁判」について話題を振った時だった。
「魔女裁判?初めて聞いたわ」
「過去の記録に残ってるんじゃないか?君たちにとっては受難の歴史だと思うが」
「いいえ、ご先祖様の記録は小さい頃から叩き込まれたけど、人間に迫害されたことはないわ。ただ……」
「ただ?」
「その時期は人間界で思想革命が行われて距離をとっていたことは聞いている」
後で調べて分かったことだが、魔女裁判は反キリストや異教徒に対する組織的または私人によるリンチだったらしい。魔女に対するイメージもこのころに形成されとされる。そのことごとくが空美さんたちとはやはり無関係だった。
「魔女集会というものもオカルト系であるけど」
「それはサタニスト(悪魔崇拝)たちね」
「サタニスト?実在するのか?」
「ええ、人間界において禁欲的なキリスト教のアンチテーゼ的な存在よ。快楽主義を基調としていて、カール・マルクスも影響を受けて教師の道を閉ざしたそうよ」
カール・マルクスといえば社会主義の父として有名な哲学者だ。オカルトとは無縁そうな人物の名が出てきたことに私は驚愕した。
「魔女との関係は?」
「ないわよ。人間社会学のレポートとして調べただけだし。さっきも言ったでしょ便利じゃなくても生活できるって」
そういえばそう言ってたな。空美さんたち魔女は電気も水道もない昔ながらの生活だ。ここと比べたら娯楽は絶対少ない。
「じゃあここにいる間、思いっきり楽しんだらいい」
「程々にしておくわ。あんまり羽目を外すと寿命を縮めそうだし」
「淡白だな」
これまで話して分かったが、空美さんは感情の起伏が少ない。なんというか電波を通して話しているようなそんな感覚に陥る。この間の潤子さんの方が人間味にあふれていたくらいだ。聞くところによると彼女は人間界に来て3年になるのに私以外に2人くらいしか人間の知り合いがいないらしい。
「どうしてそんなに人とのかかわりを避けてるんだ」
「私たちというよりもあなたたちの方が避けてる」
「?どういうこと?」
「この世界には人だけのものじゃない。でもあなた達は自分のことしか見えなくなっているから」
彼女が言うにはこの世界には様々な領域が多層レイヤーのように組み合わさっており、神の世界や霊界、魑魅魍魎の領域まであるという。しかし我々人間が一部の世界しか見れないから認識できず、結果的に彼女の世界との接点も薄くなってしまっているらしい。
「まぁ、見えないからいいこともありそうだけどね」
「え?」
「だってここ、怪しげな霊が6体いる」
「え!?」
いきなり霊がいると言われてあたりを見渡す。当然何も見えない。
「見えないから分からないだろうけど結構な吹き溜まり、特にあのあたりとか……」
「よっ、よしてくれよ!」
なるほど、確かに見えない方がが幸せなこともあるようだ。後でお祓いでもしてもらおうかな。
人には見えない領域というのが気になるのでもう少し聞いてみた。
「君が見えない領域に入ると見えなくなるのかな」
「そうね、見えないと思うわ。極端な話、ここで服を脱いでも気づかれないと思う」
「え?そんなに!」
「うん、やって見せようか?」
彼女からの提案とはいえ女の子の生脱ぎを見るのは紳士として不適格だ。無論興味がないわけじゃない。い…いや彼女の裸じゃなくて“見えない”という証明についてだ。絶対に。
「いたっ!?」
「何考えてるの、エッチ」
デコピンされた。彼女は仏頂面ながらも赤らんだ頬を膨らませている。下心が顔に出てたのか?
「もう終わりでいいかしら?」
「あ、ああ、そうだね、インタビューに応じてくれてありがとう」
服を脱ぐ話は冗談だったようだ。そろそろ帰るとばかりに彼女が立ち上がったので私も立ち上がる。
「はいこれ、貸してくれてありがとう」
「ああ、どうも」
貸していた妹の服を返してもらい。玄関まで送っていく。彼女の濡れた服が洗面所に置いたままだが、後で洗濯して返せばいいだろう。玄関で彼女がドアを押し開けると外の明るい日差しが差し込んでくる。いつの間に晴れたのだろうか?快晴だ。
「じゃあ、さようなら」
「ああ」
「そうそう、私が帰った後は3分くらい外を見るのを我慢して」
「わ、分かった」
「絶対だよ。晴れているうちに帰りたいから」
空美さんが出ていき、玄関のドアが閉まる。今度こそは約束を守ろうとじっとその場で待った。しばらくしてスマホを確認して3分経ったのを確認するとドアを開けてみる。
「……」
再び雨が降り始めていた。バケツをひっくり返したような土砂降りだ。彼女は無事帰れたかと思っているとスマホが鳴った。妹からだ。
「おう、成美、こんな時間に珍しいな」
「珍しいじゃないわよ! 兄ちゃん昨日私の荷物触った?」
「いや、どうして?」
「昨日バッグに入れたはずの着替えがなくなっているのよ!」
妹の成美はしっかり者だ。忘れ物だなんて珍しい。
「お気に入りのワンピースなのになんで忘れたのかしら?」
「ん?それってピンクのリボンがあしらわれた白いワンピースか?」
「そうよ、絶対入れたのに……あら、あったわ奥の方に入ってた」
ん?なんかおかしいぞ?あのワンピースは祖母から妹のプレゼントで一着しかないはずだ。
「なっ、なあ……成美。今から3分…いやもう4分前か、雨一度やんだか?」
「へ?やむわけないじゃない?今日の予報は終日雨よ」
電話を終えた後、私は洗面所に行ってみたが、洗濯籠にあるはずの黒いワンピースが見当たらない。急いでリビングに戻って見ると妹のワンピースも消えていた。まさかと思ってインタビューの録音記録を確認したらちゃんとあったのでほっとする。ただし録音の最後に入れたはずのない彼女の声が入っていた。
『ね?気づけなかったでしょ?』
彼女の言う「魔法」というものが何となくわかった気がした。
ここまで読んでいただきありがとうございました。コメントとか頂けると嬉しいです。