第9話「ロザリー」
「……昔からああなんだよ、あいつは」
魔術院の長い廊下を歩きながら、スメラギ侯爵が呟く。
「あいつ?」
ニアがスメラギ侯爵を見上げると、侯爵はニアに向かって苦笑いを浮かべた。
「腐れ縁なんだ。父親同士の仲が良くてね。幼い頃からよく顔を合わせていた。サマイルが魔術院に入ったのと、私が侯爵として宮廷に勤めるようになったのもほぼ同時期だ」
「そうなんですか……。その割には……」
「その割には、何だ?」
「仲が良いようには見えませんでしたけど……?」
ニアの言葉に、スメラギ侯爵は大きな声で笑う。
「あははは、そうかそうか。そう思ったのか」
思わぬ反応に、ニアは戸惑った。
「えっ、えっ!? 何か変なこと言いましたか?」
「いや、正直に話してくれて嬉しいよ。思っていたより素直なんだね、君は」
「そ、そうでしょうか……?」
「その調子で事件への気づきも遠慮なく言ってくれたまえ」
「あー……それに関してはまだお待ちください」
無差別に市民を切り刻む、見えない力。
呪術でもない。魔術でもない。であれば、一体どうやって……?
「待つのは構わないさ。私自身、この事件に関してまだ何の糸口も見つけられていないのだからね。できれば次の犠牲者が出る前に何らかの手立ては打っておきたいものだが……」
「犯人は何が目的なのでしょう? 私には分かりません」
「そうだな。ただ他人を傷つけることを楽しんでいるのか、それとも何か大きな目的が潜んでいるのか」
スメラギ侯爵は遠くを見つめるように目を細めた。
それから二人は執務室へ戻り事件の報告書を穴が開くほど眺めたが、それで報告書の内容が変化するわけでもなく、新たな発見はなかった。
◆◇◆◇
「城下街の事件?」
下女の宿舎前。
ニアはスメラギ侯爵の下で働くようになって初めて、ファレに会っていた。
「ええ。ファレなら何か知ってるんじゃないかと思って。噂とか、知らないかしら」
「事件の内容なら聞いているわよ。城下街に住んでいる人が、見えない切り裂き魔に襲われるって話でしょ? 犯人どころか刃物さえ見えないのに、気づけば全身に切り傷が出来るって事件。第三王妃の事件に続いて、呪いじゃないかって噂よ」
「呪い……」
「まあ、そのことならあたしなんかよりニアの方が詳しいんじゃない? 何て言ったって『呪術対策室』のメンバーなんだから。大出世よねえ~」
「もう、からかわないでよ」
「あーあ、羨ましいわ。あのスメラギ侯爵と四六時中一緒にいられるだなんて。しかも二人きりで。一体何やってんのかしら」
少々下衆っぽい笑みを浮かべながら、ファレはニアの顔を見る。
「……仕事よ、仕事」
「まあ、そっか。いくら男女が二人きりと言っても、さすがにニアみたいなのには手を出さないか」
「ちょっと、どういう意味よ」
ファレを睨みつつ、内心納得もする。
ニアの貧相な体躯では、確かに間違いも起こらないだろう。相手が小児性愛者だというなら話は変わってくるだろうが……。
「悪いけど今回、助けにはなれなさそうね。ごめんなさい、ニア」
「いえ、気にしないで。久しぶりにファレに会えてよかったわ」
「そう? それは良かったわ」
と、ファレは嬉しそうに笑い、言った。
「少し明るくなったわね、ニア」
「え?」
「宮廷へ来た時のあなたって、死体が歩いているようだったもの。今は全然違うわ。やっぱりスメラギ侯爵の近くにいるからかしら。あの方の素敵さがニアを浄化したのかもしれないわ」
「ちょっと、それどういうことよ」
しかし、確かに明るくなったかもしれない。
あの頃――親戚と偽って自分を引き取ったあの家で暮らしていた頃と比べれば、今は気持ちが晴れ晴れとしていた。
もちろん国内の悲惨な事件が報告書として毎日のように押し寄せては来るのだが。
とにかく、そうした気持ちの変化がスメラギ侯爵と無関係だとは言い切れないニアだった。
少なくともあの意地悪な家族から離れられたのは幸運だった、とニアは思った。
そのときだった。
宿舎からあまり見覚えのない――しかし、どこか知っている下女が出てきた。
その下女をどこで知ったのか気が付いたとき、ニアは小さく息を呑んだ。
「……どうしたの?」
ファレがニアの顔を覗き込む。
「いえ……あんな子、いたかなって思って」
「あんな子?」
と、ファレも顔を上げる。
それから、ああ、と声をあげた。
「最近来た子なの。ほら、第三王妃の呪い騒ぎもあって、また下女の数が減っちゃったのよ。それで、何人か新しい子を雇ったらしいんだけど。ロザリーっていうのよ」
「ロザリー……」
そう。
確かそんな名前だった。
「どうしたの、ニア? 顔色が悪いようだけど。体調がすぐれないの?」
ニアは首を横に振る。
「いいえ、大丈夫。今日 ありがとう、ファレ。また会いましょうね」
「ええ。またね」
ファレに向かって手を振り、ニアは逃げるように下女の宿舎から離れた。
宿舎から出てきた見慣れない下女――ロザリーという名の娘は、かつてニアを奴隷のように扱っていたあの男の、実の娘だった。
◆◇◆◇
「はあ……」
ニアは憂鬱だった。
まさかこんなところであの娘と再会するとは思わなかった。
しかし、よく考えてみれば自業自得かもしれない。
自分がちょっとした復讐心であの男の家を燃やさなければ今頃ロザリーも幸せに暮らしていただろうし、こうして宮廷に働きに出てくるようなこともなかっただろう。
とはいえ、親戚だと偽って自分をさんざんこき使った挙句売り飛ばした人たちが幸せな暮らしを続けられるというのも釈然としない。
「呪いだわ……」
両手で顔を覆い、ニアは呟いた。
ちょうどお昼時だった。
ニアは執務室から抜け出して、中庭で休憩していたのだった。
下女として働いていた頃から、ニアは日当たりのいいこの中庭が好きだった。
生まれ育った山奥の家に雰囲気が似ているからかもしれない。
「あら、どこかで見た顔だと思ったらニアじゃない」
突然話しかけられ、ニアは驚いて声のした方を見た。
そして、顔を上げたことを後悔した。
ニアの目の前にいたのは、ロザリーだった。
「……お久しぶり」
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