第8話「サマイル・オットー」
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城壁に囲まれた宮廷の敷地内には数棟の建物があった。
王の居城であり政治機関の中枢である本城、兵士たちの訓練所、王妃たちが暮らす東城、そして魔術などの研究機関が置かれた西城。
魔術院は、その西城に置かれていた。
「突然やってくるんだねえ、スメラギ君は」
魔術院を訪れたニアとスメラギ侯爵を出迎えたのは、上質なローブに身を包んだ金髪の青年だった。その肌の色の白さは、どことなく中性的な印象を与えていた。
「私と君の仲じゃないか、サマイル」
この人がサマイルさんか、とニアは青年を見上げた。
「……ああ、君がニア・カッツェさんだね」
サマイルがニアを見る。
まさか名前を知られているとは思わず、ニアは驚いて目を丸くした。
「ご存じなんですか?」
「当たり前だよ。呪術に詳しいんだろう? 呪術について調べようと思っても、もはや文献さえまともに残っていないからね。よくこんな貴重な人材が残っていたものだよ。良かったら今度、呪術について詳しく教えてくれないか? もちろん二人きりで」
ごく自然な動作で、サマイルはニアの手を取った。
「あ、その、ええと……」
ニアが困っていると、スメラギ侯爵がわざとらしく咳払いをした。
「あー、すまないがサマイル。私たちは城下町で起こっている事件について君の意見を教えてもらいに来たんだ。どこか落ち着いて話が出来る場所へ行こうじゃないか」
「ああ、そうだったねえ。ごめんね、ニアさん。驚かせちゃったみたいで」
サマイルがニアへ柔和な笑みを見せる。
ファレが見たらキャアキャア言いそうな笑顔だったが、ニアは、そんな彼の瞳が一切笑っていないのに気が付いた。
裏があるタイプなのか、とニアは内心思った。
サマイルはやれやれと呟き、言った。
「事件のことは僕も知っているよ。だけど、こんなところで立ち話を続けるのも気が進まないな。とにかくついてきてよ、僕の研究室に案内してあげよう」
ニアたちはサマイルの後をつけるような形で、魔術院の前の長い廊下を歩いた。
その突き当りに、どことなく物々しい木の扉があった。
サマイルが躊躇なく扉を開けると、その先にはいくつもの本棚にびっしりと書物が並んだ図書館のような部屋があった。
「ここが君の研究室か。こうして中に入るのは初めてだな」
本棚を眺めながら、スメラギ侯爵が言った。
「こう見えて真面目に仕事をしているんだよ、僕は。それで……ああ、これか。君たちが探っている事件というのはこのことだろ?」
サマイルは部屋の端に置かれた大きな木の机の上を漁り、書類の束を取り出した。
スメラギ侯爵はその書類を受け取り、パラパラと捲った。
「……ああ、この事件だ。君のところに検証の依頼が来なかったか? 事件に魔術が関与しているか調べて欲しいといった類のものだが」
「もちろん覚えているよ。城下街の見回りの連中からの依頼だった。……魔術は関係ないよ、この事件。求められる技術が高すぎる」
サマイルはそう言うと、身を投げ出すように勢いよく椅子に腰かけた。
「魔術は関係ないという話は私も聞かせてもらっている。君に教えて欲しいのは、その根拠の部分だ。求められる技術が高すぎるというのは、どういうことだ?」
「そのままの意味さ。この事件、被害者は全身を刃物のようなもので切り刻まれたって話だろ? そんなの普通の魔法じゃない。刃物を生成して発射するような魔法なんて存在しないからね。もし方法があるとすれば―――そうだな、風を操る魔法で空気を圧縮し、刃のようにして放つ、とかかな。だけどそんなことが出来る魔術師なんてそうはいないよ」
「ほう。では、君ならばどうだ? さっき君自身が言ったように、風の魔法で刃を形成することはできるのかな?」
スメラギ侯爵の言葉に、サマイルはふっ、と声を漏らすように笑った。
「おいおい、出来るなんて言っちゃったら僕も容疑者の仲間入りだろ? 疑ってるのか、僕を?」
「いや、単純に興味があっただけだよ。どのレベルの魔術師なら、そんな芸当が可能なのかと思ってね」
やれやれとため息をつき、サマイルは頭を抱えるように自らの金髪を撫でた。
「正直に話せば、魔術院で研究をするレベルの魔術師なら可能だろうね。だけどそんなことをして何のメリットがある? この魔術院はブラックレイ国における最高峰の魔術の研究機関だよ。無差別に市民を殺傷するなんて意味のないことをするために、魔術院を捨てて犯罪者の汚名を被るっていうのかい? そんな物好きはそうそういないだろうね」
「……なるほど、君の意見はよく分かったよ。この事件、魔法によって引き起こされた可能性は低そうだ」
「理解してくれたようで何より。じゃあ、次は僕が質問する番だな」
「……何?」
スメラギ侯爵が眉を顰める。
「僕への質問代だよ。いいだろ、ひとつくらい」
「仕方ないな。聞かせてもらおう」
「いや、スメラギ君に質問があるわけじゃない。僕が話を聞きたいのは、そっちの子さ」
「……え、私ですか」
先ほどから蚊帳の外だったニアだったが、唐突に話題を振られ、少しげんなりしたような気持ちになった。
元来、誰かとコミュニケーションを取るのは苦手なタイプなのだ。
「その通りだよ、ニア・カッツェさん」
「ええと、どういった質問でしょうか……?」
「簡単なことだよ。魔術と呪術、どっちが優れてると思う?」
「……?」
質問の意図が分からなかった。
それを聞いて、このサマイルという男がどうするつもりなのか想像できなかった。
ニアが答えに困っていると、サマイルは声を上げて笑った。
「そう身構えるなよ。君の正直な気持ちを聞かせてくれればいいんだ。何せ、呪術を操ることができる人間なんて初めて会ったからね。呪術師という立場から魔術を見たとき、どんなことを思うんだろうってことに興味があってさ」
「……ええと、優れているという話なら、当然魔術の方が優れていると思います。優れているからこそ、魔術が栄え呪術は廃れたわけですから」
「なるほどね。それが君の意見か」
「……はい」
ニアが答えると、サマイルは凭れるように座っていた椅子から身体を起こし、彼女を見つめた。
研究対象を観察するような目だった。それはニアにとって、あまり気持ちの良いものではなかった。
そんなニアとサマイルの間に割って入ったのは、スメラギ侯爵だった。
「すまないな、サマイル。我々はそろそろ執務室に戻るよ。調査の結果をまとめたい」
侯爵はニアの背に手を当てると、そのまま彼女を扉の方へ押しやった。
「つれないな、もう少しゆっくりしていけよ。久しぶりの再会だろ?」
「いや、これ以上君の研究を邪魔するのも気が引ける。知りたいことは分かったよ。また今度、ゆっくり遊びに来るとしよう」
「その呪術師さんが一緒ならいつでも歓迎するよ」
スメラギは答えず、ニアと共にサマイルの研究室を後にした。
扉を潜り抜ける瞬間、ニアはサマイルがにこやかに手を振っているのを見た。
変な人だなあ、と思った。
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