第6話「代償」
「いえ、たいしたことでは……準備が必要な分、使い勝手が悪いですから。魔術で炎を出す方が簡単です」
魔術であれば呪印の準備など必要なく、体内の魔力と呼ばれるエネルギーを消費し発動するだけだ。
炎を出す魔法など、幼い子供でも習得することが可能だ。
「なるほど、それはそうかもしれないな。では、魔術の炎と呪術の炎、何が違うんだ?」
「炎の性質……とでもいいましょうか」
「性質?」
スメラギ侯爵はニアを見つめる。
「魔術で出現させる炎は自然に発生する炎と同じように水をかければ消えますし、他の物に燃え移りもします。しかし呪術の炎は、こちらが意図した物しか燃えません。ですから、先ほどの炎も」
と、ニアは再び立ち上がり、机の脇に常備していた掃除用具で灰を片付け始めた。
「……床に焦げた跡はない、というわけか」
「その通りです。先ほどの呪印で私が指定したのは紙片のみ。ですから、紙片以外のものは燃えないというわけです」
「つまり――先日の第三王妃の事件だが、あれは明確に第三王妃と王子をターゲットに発動された呪いということだね」
「その可能性が高いと思います。現に、あの部屋にいた王妃と王子以外の人間には何の被害も出ていなかったのですから」
第三王妃と王子が呪いに苦しめられた先日の事件のことだ。
王妃の部屋にかけられていた呪術をニアが解除したことで最悪の結果は免れたが、その呪術を使用した犯人は未だ見つからないままだった。
「なるほどね。いや、しかし……」
「どうされましたか?」
「話を城下街の事件に戻すが、呪術が対象を限定して発動するものだとすれば、矛盾しているような気がしてね」
「……人が無差別に傷つけられている、という点ですね」
「その通りだ。呪術の対象となる相手が限定されるのであれば、被害者にも何らかの共通点が出てくるはずだ。だが今回の事件ではそういったものが無い。これはどういうことかな?」
「そう難しい話ではありません。対象を特定の人物に絞る必要はないのです。呪術の発動先を、例えば『人間』というような大きな枠で指定することも可能です」
「そうか。では、今回のように無差別の相手に対し呪術を発動することはできる、というわけだね?」
「その通りです。でも、呪印が……」
「呪印?」
そう口にして、スメラギ侯爵は何かに気づいたように眉を動かした。
「はい、呪印です。呪術の発動には呪印が必要なのです」
「しかし現場にそのようなものが見つかったという報告はないな」
「仮に見つかったとして、そうなると犯人は城下街の複数個所に呪印を書き入れていったということになります」
「少なくとも十か所分、呪印を用意した――か。少し現実的ではないような気もするな」
「ええ。これが『人を傷つける呪術はあるけれど可能とは言い切れない』理由です」
「理解したよ。では、ニア。外出の準備をしておいてくれ。午後は出かけよう」
「お出かけですか? どちらまで?」
「城下街さ。事件の現場検証だよ」
◆◇◆◇
山奥の、ニアの生家。
まだニアが幼かった頃の、遠い記憶だ。
「呪術をコントロールするためには、呪印を覚えなければならない。炎を出す呪印、相手を弱らせる呪印、物体を破壊する呪印――」
呪術についてニアに説明する父。
ニアの前にあったのは、分厚い書物だった。
父親が保管していたその書物には、千年に近い時間をかけて研究されてきた呪印の数々が記されていた。
部屋の奥からは、母が軽く咳き込む声が聞こえていた。
「この模様を描けば、術が使えるの?」
「そうだね。呪印は模様の組み合わせだ。術の内容、その対象物、そして何を代償とするかも、呪印によって示さなければならない。やって見せよう」
そう言うと、ニアの父親は二枚の紙片を机の上に並べた。
そして片方の紙片に手をかざすと、もう片方の紙片は燃え、灰になった。
ニアは目を輝かせる。
「すごい! 魔法みたい!」
そんなニアを前に、父は辛そうに微笑んだ。
「ああ、魔法のようだね。しかしこれは呪術だ。魔法じゃない」
その瞬間、ゴトッと音を立てて、誰も座っていない椅子が倒れた。
見れば、椅子の脚が折れていた。
「……椅子、壊れちゃった」
「代償だよ。さっきの炎のね。呪術には代償が必要なんだ。魔術とは全く違う力だ」
ニアは知っていた。
壊れた椅子が、かつて元気だったころの母が座っていたものだということを。
「……壊れちゃった……」
茫然と呟くニア。
「その本はニアに預けよう。さあ、呪術の話はここまでだ。私は椅子の修理をしよう。驚かせてすまなかったね、ニア」
「ううん、大丈夫。修理、私も手伝う」
「そうか。それは助かるな。道具を取ってくるから、ニアは待っていてくれ」
ニアの父は白髪を揺らしながら席を立った。
ふとニアは、山奥に移り住むまで父が何をしていたのか気になった。
ニアが生まれてすぐにここへ引っ越して来た――そのことしか、ニアは聞かされていなかった。
「ねえお父さん、このお家に来るまで、お父さんたちはどこに住んでいたの?」
「うん? ああ、私と母さんか? ……いつかは教えてあげよう」
結局、ニアは父と母の過去を知ることはなかった。
それを教えてもらう前に、父も母も死んでしまったからだ。
◆◇◆◇
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