第3話「スメラギ侯爵」
◇◆◇◆
下女の宿舎前にある掲示板には、スメラギ侯爵からの励ましのメッセージが掲載されていた。
丁寧な文字が書かれた便箋くらいの紙は、誰が用意したのか額縁のようなものに入れられており、下女たちの人だかりができていた。
下女たちは「高貴なお方は文字もお美しいのね」「スメラギ侯爵の香水の匂いがする気がするわ」などと、口々にスメラギ侯爵を称賛している。
「ねえねえ、何と書かれているの、あれ」
ファレが背伸びをしながら掲示板を指さす。
下女の中には文字が読めない者もいる。ニアはファレの代わりに、手紙を読んだ。
「……『いつも宮廷のために働いてくれてありがとう。あなたたちは宮廷を彩る花です』、そう書かれているわ」
「きゃあっ、お花ですって。やだ、どうしよう、あたし」
バシバシとニアの肩を叩くファレ。
ニアはやれやれと苦笑いを浮かべた。
そのとき、ニアはスメラギ侯爵からの手紙の縁に描かれた不自然な模様を見つけた。
「……呪術」
「え?」
思わず呟いたニアの言葉に、ファレが首を傾げる。
「あ、い、いえ、なんでもないわ。あの手紙、綺麗な文字ね」
「そうなのよ! スメラギ侯爵は素敵なお方だわ!」
何とか誤魔化しながらも、ニアは手紙に書かれた模様の意味を考えていた。
◇◆◇◆
その日の夜。
ニアは第三王妃の部屋の前にやって来ていた。
緊張して、手が震えていた。
「……私からのメッセージがうまく伝わったようで何よりだ」
廊下の奥の暗がりから声が聞こえた。
ニアが顔を上げると、彫刻のように整った顔立ちをした青年がこちらへ歩いてきているのが見えた。
侯爵の衣服を身に纏っている。
この人がスメラギ侯爵なのだ、とニアは理解した。
ニアは覚悟を決め、言った。
「どうしてあなたが――呪術を扱えるのですか?」
スメラギ侯爵からの手紙に書かれた模様。
それは、呪術師が操る特殊な文字だった。
たどたどしく描かれたその文字は、『今夜第三王妃の部屋の前に来い』というメッセージを意味していた。
スメラギ侯爵は肩を竦めた。
「まあ、待て。そう焦ないでくれ。まずはこちらの質問に答えてもらおうか。あの文字が解読できたということは、君は呪術を操る人間だということだね?」
「…………」
ニアは頷いた。
「そして先日、ここの扉の前で何か細工をしていたのも君だろう?」
誤魔化すこともできず、ニアは再び頷いた。
スメラギ侯爵は独白するように言葉を続ける。
「いや、盲点だったよ。第三王妃とシャルル王子の容態の悪化、そして第二王妃と第四王妃の死――私はありとあらゆる手を使って原因を調べた。病気でもない、魔術でもない。もちろん毒でもない。原因を突き止めるため資料室に籠り、いくつもの文献を読み漁ったよ。そして辿り着いたんだよ。魔術と共にこの国の礎を築いたもう一つの『力』――呪術の存在にね」
「……!」
「かつてこの国には3つの偉大な呪術師の家系があった。“ゴルート”、“ディヤナ”、“カッツェ”。しかし魔術が発達するにつれ呪術は廃れていき、それら3つの家系も歴史の表舞台から姿を消した―――はずだった。そうだろう、ニア・“カッツェ”。単刀直入に訊こう。第三王妃と王子にかけられた呪術を解いたのは君だろう?」
そこまでバレているのならしかたない。
というか、ここに来てしまった時点で、隠すのが難しいということは分かり切っていた。
「ええっと……まあ、はい。王妃のお部屋に、特定の人物を弱らせる呪いがかけられていましたので、それを解呪しました」
数日前。
第三王妃、そしてシャルル王子と出会ったニアは、彼女らの言動から呪いをかけられている箇所を特定し、夜のうちに王妃の部屋を訪れ、呪いを解消する術式を発動したのだった。
王妃が言っていた言葉、部屋の外に居れば体調が良い――それがヒントだった。
「なるほどな。『部屋自体』に『特定の人物』を『弱らせる』呪いか……。聞いただけで複雑そうな呪いだ。どこでそんな術を身に着けたんだ?」
「父から習いました。もう亡くなってしまいましたけど……」
「そうか。カッツェ家の呪術は数百年の間そうして親子へと引き継がれていったわけだね。それで、望みは?」
「……望み?」
「ああ、王妃と王子の命を救ったのだから当然だろう。何か望みはないのかな? 褒美をとらせよう」
ニアは少しだけ考えた。
それから、言った。
「何もいりません」
「……何だって?」
「別にご褒美が欲しくてやったわけではありませんから。ただ、王妃と王子が元気になってくれればいいなって思っただけです」
「なるほど。その言葉、嘘はないだろうね?」
「はい」
「―――ということでございます、第三王妃」
「ええ。話はすべて聞かせてもらったわ」
王妃の部屋の扉が開いた。
そこには、第三王妃の姿があった。その腕にはシャルル王子がいて、安らかに寝息を立てている。
「マリアンヌ王妃……!」
「中庭で洗濯物を干していた子ね。あのときはシャルルが迷惑かけちゃって、ごめんなさいね」
「め、滅相もありません」
ニアは慌てて頭を下げた。
「あなたが私たちを救ってくれたのね。ありがとう。礼を言うわ」
「と、とんでもありません。私はただ……」
「命の恩人に何もしなかったのでは、私も一人の王妃として面目が立たないわ。褒美というわけではないけれど、あなたに新しい仕事を与えることにしましょう」
「私に、新しい仕事を……?」
いったい何をさせられるのかと、ニアは覚悟した。
そんなニアを見て、マリアンヌ王妃は優しく微笑んだ。
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