第28話「核心」
ニアの母が死んだのは、とある冬の日だった。
厳しい寒さが続き、母の容態は悪くなる一方だった。
そしてある朝、まるで枯れた花が地面に落ちるように、静かに死んでいった。
「仕方ないね」
と、母の遺体を前に父が呟いたのを、ニアは鮮明に覚えていた。
ニアの父はそれから遺体になった母の服を全て脱がせ始めた。
「……何をしているの、お父様」
ニアは、母の死で父がおかしくなってしまったのだと思った。
そんなニアに父が言った。
「ごらん、ニア。これが呪術の代償だよ」
ベッドの上には、裸になった母の遺体があった。
母の肌は白く、まるで陶器で出来た人形のようだった。
しかしその白い肌は、びっしりと黒い模様で蝕まれていた。
母の身体を侵す模様。
その模様が何なのか、ニアは知っていた。
「呪印……?」
「そうだよ、ニア。これが呪術の代償なんだ」
ニアは父親の顔を見上げた。
真っ白な髪と、灰色の瞳。
母の姿を俯くような姿勢で見つめる父の目から、涙が一粒だけ零れ落ちた。
それから父はルーティンワークでもこなすような淡々とした手つきで母の遺体を埋葬し、家の裏手に母の墓を作った。
数年後、ニアは死んだ父の遺体をその隣に埋め、父の墓を作った。
◆◇◆◇
「マリアンヌ様!」
第三王妃は自室ではなく、特別に用意された療養用の部屋で眠っていた。
王妃の自室に呪術が施されている可能性が高いと考えたスメラギ侯爵が、王妃を別室で治療するよう手配したのだ。
ベッドで眠る王妃は顔中に汗の粒を浮かべ、苦しそうな表情で眠っていた。
ニアはそれを見て、病床の母の姿を思い出した。
「医者にも見てもらったがやはりダメだった。原因が分からないんだ」
ニアの隣でスメラギ侯爵が言う。
「……部屋を移しても容態が変わらないんですね?」
「そうだ」
「どなたか王妃のお身体を見られた方は?」
ニアが周囲の侍女に尋ねると、そのうちの一人が手を挙げた。
「昨日、ご入浴の際に」
「そのとき、黒い模様のようなものは見ませんでしたか?」
「王妃のお身体にですか? いえ、そのようなものがあれば気づくはずですが……」
ということは、王妃自身に呪印が刻まれている可能性もない。
だとしたらやはり……。
「分かりました。まずはこの部屋を、次に王妃の部屋を調べてみます」
ニアの言葉に、スメラギ侯爵が頷く。
「ああ、頼むよ」
ニアはもう一度侍女たちの方を向いた。
「王子はどちらに?」
「別室でお預かりしています」
「体調を崩されている様子は?」
「いえ、ありません。いつものようにお元気です。先日ニア様が見つけてくださったおもちゃで遊んでおられますよ」
年配の侍女がにこやかに答える。
それを聞いてニアは安心した半面、ニア“様”か、数日前までは彼女たち侍女の方が上の階級だったはずなのに、と思った。
「……分かりました。それではこれから、呪印がないかを調べます。ご協力をお願いします」
◆◇◆◇
ニアはかなりの時間をかけて王妃の療養室、そして王妃が普段生活している部屋を調べた。
部屋の床や壁だけでなく、侍女たちの身体に呪印が刻まれていないかまで確認した。
スメラギ侯爵と共に、魔術で呪印が隠されていないかも確かめた。
しかし――呪印は見つからなかった。
「……まるで切り裂き事件の再現だね」
執務室に戻るや否や、スメラギ侯爵は呟いた。
「どういう意味ですか?」
「確かにあの事件も数か所では呪印が見つかった。しかしまだ何の発見もされていない現場もある。呪印がなければ呪術は発動できないんだろう?」
「……はい、そうです。そのはずなんです」
しかし、切り裂き事件も王妃の事件も呪印が見つかっていない。
ただ、呪術の犠牲者だけが出ている。
呪印を使わずに呪術を発動する方法があるのだろうか。
ニアは、サマイルを思い出していた。
いったいどんな手で呪術を使ったのだろう。
そして不意に、サマイルの言葉が記憶に蘇った。
――――時間はないよ。
きっとその通りなのだ。
今回の第三王妃の事件も恐らくはサマイルがやったものだ。
そのうえで彼は、時間がないと言っている。
つまり、王妃の命は―――。
ニアは頭を抱えた。
どうすればいい?
どうすればサマイルを追い詰められる?
どうすれば王妃を助けられるのだろう?
「こういうときこそ落ち着くべきだよ、ニア」
ニアの肩に手が置かれた。
見上げれば、スメラギ侯爵がニアへ穏やかな目を向けていた。
「侯爵……」
「犯人が動いたということは、それだけ向こうも余裕をなくしているということだよ。ヒントがあるはずだ」
「呪印なしに呪術を行う、ですか?」
「あるいは、我々が気づかないようなところに呪印があるのかもしれない」
「私たちが気づかないようなところ……」
落ち着け、とニアは自分に言い聞かせた。
まだ探していないところがあるのかもしれない。
でも、本来なら呪印は、呪術の対象となる人間の近くにあるはずだ。
それなのに部屋に呪印はなかった。
……いや、逆に考えるべきだ。
犯人はサマイル。それは揺るがない。
だったらむしろ、部屋の中に呪印があるはずがない。いくらサマイルといえど、理由なく王妃の部屋の中を好きにできるはずがないからだ。
だから、逆に考える。
サマイルだったら自由に扱えるもの。
サマイルだったら呪印を記すことが出来る場所。
「……!」
ニアは顔を上げた。
心当たりが一つだけあった。
「何か分かったのか?」
「いえ、まだ思いついただけです。でも、恐らくは……」
ニアは夢遊病患者のようにふらふらとした足取りで執務室を出た。
頭の中で、これまでの事件を思い返していた。
切り裂き事件と、今回の王妃の事件。
考えていることが正しければ、どちらの事件も――。
「どこへ行くんだ、ニア?」
侯爵に呼びとめられ、ニアは我に返った。
「……魔術院です」
「サマイルの研究室か?」
「いえ、魔石の研究所です」
「どうしてそんなところに?」
「一つ確かめたいことがあるんです。侯爵は執務室で調査の続きを」
「……ひとりで大丈夫か?」
「はい」
「分かった。私は執務室へ戻ろう」
二人はそこで別れ、スメラギ侯爵は執務室へ、ニアは魔術院へ向かった。
魔術院の長い通路を抜けて魔石の研究所に辿り着くと、作業に没頭する研究員たちを他所にニアは呟いた。
「ああ、あれが呪印だったんだ」
ニアの視線の先には、魔石の配備計画を示す巨大な城下街の図面があった。
◆◇◆◇
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