第22話「侯爵の苦悩」
◆◇◆◇
その夜。
仕事を終え自室に戻ったニアだったが、なかなか寝付けないでいた。
事件解決の糸口は見つかったが、そこからどのようにして事件を解決すれば良いか――犯人は一体どんな人物なのかを考えると妙に目が冴え、瞳を閉じてはまた開いてを繰り返していたのだった。
このままではらちが明かない。
気分転換をしようと、ニアは上着を羽織って部屋から出た。
薄暗く長い廊下を通り抜け城の中庭へ行くと、先客がいた。
見覚えのあるその人影は、スメラギ侯爵だった。
ベンチに腰かけていた侯爵はすぐニアに気づいて、手招きをした。
「スメラギ侯爵……」
「こちらへおいで、ニア」
「は、はい」
ニアは小走りで侯爵の元へ駆け寄ると、失礼します、と小声で言って侯爵の隣に座った。
中庭からは綺麗な夜空が見えた。今夜は空気が澄んでいるのか、星がいつもより瞬いているように感じた。
「眠れなかったのか?」
スメラギ侯爵はニアの表情を覗き見るようにしながら言った。
侯爵の顔がすぐ近くにあるせいで、ニアは自分の頬が赤くなっていくのを感じた。
「あの、事件のことを考えると、目が冴えてしまって」
「そうか」
呟くように言って、侯爵は空を見上げる。
静かな夜だ。まるで、この世界にニアとスメラギ侯爵しかいないようだった。
「侯爵も眠れなかったんですか?」
「私か? ……そうだね。眠れなかった」
「事件のことが気になって、とか?」
「もちろんそうさ。だけど、それだけではないんだ」
侯爵は夜空の星を見上げたままそう言い、口を噤んだ。
しかしその表情は、ニアに何かを聞いて欲しそうにしていた。
だからニアは尋ねた。
「別のお悩みごとがあるんですね?」
「……ああ」
言葉を選びながら、ニアは質問を続ける。
「第三王妃のことですか?」
「あの事件は君が呪術を解いてくれたおかげで、無事王妃と王子を守ることができたじゃないか。悩むことはないよ」
「では―――」
ニアは一度、言葉を切った。
切り裂き事件でも第三王妃の事件でもない。
だとすれば、スメラギ侯爵が悩んでいる原因は―――。
「第二王妃と第四王妃のことですか」
「!」
スメラギ侯爵は驚いたように目を大きく開け、ゆっくりとニアの方へ顔を向けた。
「……当たりですか?」
「どうして分かったんだ? ヒントのようなものはなかったはずだけど」
「小さい頃から勘は良い方だったんです。……呪術師というのは、そういった直感のようなものが強いと、父から教わったことがありますよ」
「そうか。では、ニアに隠し事はできないということだね」
冗談めかすように侯爵は微笑む。
「あの、失礼ながら申し上げますが、第二王妃と第四王妃の事件こそ、もう終わってしまったことではないのですか?」
「確かにそうかもしれない。確か君は、あの事件が起こった後に下女として宮廷へやって来たのだったね?」
「はい、そうですが……」
「あの当時――と言ってもほんの数十日前の話だ。私は、第四王妃の警護を任されていた」
「……!」
ニアは言葉に詰まった。
スメラギ侯爵の表情が険しくなる。
いや、険しいというよりは――辛さを堪えていると表現する方が正しいかもしれない。
侯爵は淡々と、しかし悔しさを滲ませながら話し続ける。
「最初は病気だろうという話になった。だが、国中のどんな医者も王妃たちが衰弱していく原因を見つけることはできなかった。私は第四王妃を救うべくあらゆる原因を検討した。毒を盛られたのではないか、食べ物の栄養が足りていないのではないか、部屋の方角がいけないのではないだろうか――何日も眠らずに王妃の看病に当たった。しかし、彼女は亡くなった。私を信頼してくれていたのに……」
スメラギ侯爵が項垂れる。
その肩は少し震えているようにも見えた。
泣いているのだろうか、とニアは思った。
「お辛い話なら無理はされない方が……」
「いや、すまないが最後まで聞いてくれ。話してしまった方が、気が楽になる」
「…………」
「王妃が亡くなる瞬間、私は彼女の傍にいた。彼女は死ぬのが怖いと言っていた。私はあの子の手を握ってやった。その直後、王妃は亡くなった。あの冷たい手の感触を、今も私は鮮明に覚えているんだ。……夜、ひとりになるといつもその感触を思い出す。だから眠れず、こうして外へ出て来るんだよ」
スメラギ侯爵は顔を上げた。
ニアには、その目が少し赤くなっているように見えた。
「スメラギ侯爵……」
侯爵からはいつものような威厳は感じられなかった。
代わりに、ちょっとした弾みで消えてしまいそうな脆さを感じた。
このまま放っておくと侯爵がどこかへ行ってしまいそうで、ニアは思わず彼の手を握っていた。
「……ニア?」
スメラギ侯爵がニアへ顔を向ける。
「こんなことを私が言って良いのかは分かりません。失礼なのも承知しています。でも―――そうやって侯爵が苦しむことを、第四王妃は望んでいない気がします」
「分かるのか?」
「呪術師の直感です」
「私は王妃を救えなかった男だ。その罪は永遠に消えないはずだ」
「きっと罪なんて無いんです。第四王妃は、侯爵が最期の瞬間まで傍にいてくれたことに感謝している―――と、思います」
「呪術師の直感か?」
「……そうです」
そうか、と呟くスメラギ侯爵。
侯爵はしばらく黙って夜空を見上げ、それから口を開いた。
「君の言葉、信じさせてもらうことにしよう」
「侯爵……!」
「ニア、私はこれ以上犠牲者を出したくないんだ。一刻も早く事件の犯人――こんな悲劇を起こした呪術師を捕えなくてはならない。そのためには君の力が必要だ」
「はい、侯爵」
「……こんな正直に自分のことを話したのは初めてかもしれない。君の素直さの影響だね」
「い、いえ、そんな……」
侯爵が微笑む。
「それで、いつまで私の手を握っているつもりかな?」
「!」
ニアは熟れすぎた林檎のように顔を赤くし、慌てて侯爵の手を離した。
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