第2話「下女として」
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ブラックレイ国の王家では側室の制度を採用していた。
そのため、国王には第一から第五までの王妃がいた。
しかし第二王妃と第四王妃は死亡、第三王妃とその息子も高熱にうなされているのだった。
広い中庭いっぱいに干した洗濯物を取り込みながら、ニアは考える。
病気が原因というわけでもなく、そして魔術でさえどうにもできないとしたら、一体何が王妃とその子を苦しめているのだろうか……。
と、そこへ、男の子が歩いて来た。
まだ歩けるようになったばかりくらいの、小さな男の子だ。
ニアは洗濯物を取り込む手を止め、転びそうになりながら歩く男の子へ顔を向けた。
「……どこの子かしら」
男の子は立ち止り、ニアを見上げた。
綺麗な青い瞳をした男の子だ。
二人はしばらく見つめ合っていたが、不意に男の子はニアの衣服の袖を引っ張り始めた。
どうすれば良いのか分からず、ニアは固まってしまった。
「あ、あの、ええと……」
そのとき、中庭の向こうから一人の女性が駆けてきた。
「ごめんなさい、ちょっと目を離した隙に!」
女性は息を切らしながら駆け寄ってくると、慣れた手つきで男の子を抱き上げた。
きゃっ、きゃっ、と嬉しそうに声を上げる男の子。
もう、ダメよ、と男の子を叱った後で、女性はニアの方を見た。
「お仕事の邪魔をしてしまったわね。迷惑かけちゃって、本当にごめんなさいね」
「い、いえ……」
質素で動きやすそうなドレス姿のその女性を見ながら、ニアは、元気な人だな、と思った。
が。
その女性が首から提げているネックレスに気づいた瞬間、ニアは息を呑んだ。
ブラックレイ王家の紋章が刻まれたそのネックレスは、王家の人間――つまり、王妃であることを意
味していた。
「もう、シャルルもお姉さんにごめんなさいしなさい!」
「あうう」
男の子は笑顔を浮かべながら、ニアの服を掴んだまま離さない。
「気に行っちゃったのかしら。ねえ?」
「そ、そうかも、しれないですね」
ニアは気が気ではなかった。
なぜなら。
このネックレスが本物なら――いや、この宮廷内においてわざわざ偽物のネックレスなど着用するはずもない。目の前にいるこの女性と男の子は――。
「マリアンヌ王妃! シャルル王子! こんなところにいらしたのですか!」
王妃の侍女たちが慌てた様子で駆けてくる。
マリアンヌ王妃――例の、呪いに苛まれている第三王妃その人だ。
「少し気分が良くなったから外に出ていたのよ。そうしたらシャルルがいなくなってしまって。久しぶりに外に出られて嬉しかったのよね、きっと」
あう、と男の子――シャルル王子が答える。
王子はいつの間にかニアから手を離していた。
「だからといってご無理をなさってはいけません! さあ、お部屋へお戻りください」
「どうかしら。案外、部屋にこもっているより外へ出た方が良いかもしれないわよ。ほら、私もシャルルもこんなに元気。ね、シャルル」
王子に頬を寄せる第3王妃。
しかしそのとき、不意に王妃が激しく咳き込み始めた。
「いけません、王妃様!」
侍女の一人が王子を取り上げ、そして王妃は侍女たちに囲まれながら城内へと帰っていった。
ただ一人残されたニアは、その様子を茫然と眺めていた。
ニアの母親は、ニアが物心ついたころには病で床に臥せっていて、そして病が治ることもないまま亡くなった。
だから、ニアにはシャルル王子のように母親から抱いてもらった記憶は無かった。
「…………」
それだけが理由というわけではないだろう。
しかし、ニアは第三王妃とその幼い子を救わなければならないような気持ちになっていた。
◇◆◇◆
「はあ……」
深夜。宮廷の廊下。
端正な顔に苦渋の表情を浮かべ、ため息をつく青年がいた。スメラギ侯爵である。
スメラギ侯爵は、国王から直々に第三王女の身辺警護と『呪い』の謎を解き明かす任務を受けていた。
しかし、国内外から有名な医学者や魔術師たちを集め、原因の究明にあたっても、未だ『呪い』の正体は分からないままだった。
第三王妃と王子を襲う高熱の原因――一体それが何なのか、そしてどうすればそれが解き明かされるのか。第二王妃と第四王妃が亡くなられたような痛ましい事態を、これ以上繰り返すわけにはいかなかった。
王妃と王子の容態は少しずつ悪化している。
時間に猶予があるわけではない。一刻も早く解決策を打ち出さなければ。
薄暗い廊下を通り、スメラギ侯爵は王国の資料室から持ち帰った文献を片手に自室へ戻る途中、第三王妃の部屋の前に差しかかった。
警備の兵は交代時間なのか、部屋の扉の前には誰もいなかった。
全くけしからんことだ。担当の者にはきつく言っておかなければ。
スメラギ侯爵が眉間に皴を寄せたとき、ふと、扉の前の暗がりに小さな人影があるのに気が付いた。
「……何者だ?」
侯爵が声を上げると、人影は驚いたように立ち上がり、一目散に廊下を駈け去っていった。
宮廷の下女の制服を着ていた。一体何のようだったのか――あるいは、王国に仇なす者の変装か?
侯爵は先ほどの人影が佇んでいた辺りに屈みこんだ。
ちょうど扉の縁に位置するそこには、小さな傷が残っているだけだった。
「何者だったんだ、さっきの人影は……?」
そう呟きながら、侯爵は無意識のうちに自分が資料室から持ってきた書物の表紙に目をやった。
「……!」
ボロボロの表紙には、『呪術初歩』と書かれていた。
◇◆◇◆
数日後。
いつものように炊事場で食器を洗っていたニアの元に、ファレか近寄って来た。
「ねえ知ってる? 第三王妃と王子、体調がお戻りになられたそうよ」
「……あら、そうなの。それは良かったわ」
洗い物の手を止め、ニアはほっと胸を撫でおろす。
「でも、何が原因だったのかしら。王国中のお医者様や偉い魔術師の先生たちが調べても分からなかったのに」
「さあ、何かしら。不思議ね」
言いながら、ニアは再び洗い物を始める。
その様子を見て、ファレは訝しむようにニアの顔を覗き込んだ。
「もしかして何か知ってるんじゃないの?」
「ま、まさか。私なんにも知らないわよ」
「――嘘ね」
「う、嘘じゃないわよ」
「いいえ、嘘よ。あたしの目は誤魔化せないわ! こちとら『噂好きのファレさん』で通ってるんだからねっ!」
「知らないわよそんなの!?」
「さっさと白状しちゃいなさい!」
「二人とも、ずいぶん手が空いているようね」
フィレがニアに襲い掛かろうとした瞬間、下女長が割って入って来た。
「げっ、下女長……」
ファレがしまった、という顔をする。
「仕事中にお喋りなんて、私許してないわよ。でもまあいいわ、今回は見逃してあげる。機嫌がいいのよ、私。あのスメラギ侯爵様から直々に、私たち下女へ励ましのお言葉をいただいたのだから」
「励ましのお言葉ですかっ!?」
さっきまでが嘘のように、一気にテンションが上がるファレ。
「そうよ。下女の宿舎前に飾ってあるから見てきたら?」
「いいんですか!?」
「今日だけね。いつもなら、仕事中に持ち場を離れるなんて絶対ダメなんだから」
「わーいやったーっ! 行こう、ニア!」
「え、ああ、うん……」
よく分からないままファレに手を引かれ、ニアは宿舎へ向かうこととなった。
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