第15話「侯爵の妹」
「……やっぱりすごいですね、魔術は」
ニアは思わず呟いていた。
「さあて、それはどうかな」
サマイルの反応は、案外淡白だった。
意外に思ったニアは彼の顔を見上げた。
「そう……ですか? 魔術ってみんなの暮らしを便利にするすごい技術だと思いますけど」
「だけど、あまりにも便利になりすぎると人間は堕落するからね。それに魔術は使い手を選ばない。努力さえすれば誰にでも使えるものなんだ。呪術とは違ってね」
「かもしれませんけど……」
呪術では誰かを幸せにすることはできない。
他人を不幸にする呪い――それが呪術の本質なのだから。
「だから僕は君が羨ましくもあるよ。君は唯一無二だろ?」
「私がですか?」
「そうさ。魔術師はたくさんいるけれど、呪術師はこの宮廷じゃ君ひとりだけだ」
「でも、魔石なんてすばらしいものを考えられるのも、サマイル様だけなんじゃないですか?」
ニアが言うと、サマイルは口元を歪ませるようにして皮肉めいた笑いを浮かべた。
「君は僕が言って欲しい台詞を言ってくれるねえ。台本でも準備してきたのかい?」
「まさか。素直にそう思っただけです」
「意外だな、呪術師っていうのはもっと意地悪な人間だと思っていたよ。それとも君が特別なだけかな?」
「分かりません。私以外の呪術師に会ったことがありませんから」
正直だねぇ、とサマイルが呟く。
その笑顔はまるで、笑顔の仮面を皮膚に張り付けたような表情だった。
◆◇◆◇
「今日はありがとうございました」
宮廷に勤める者の宿舎。
とは言っても宮廷の敷地内にある建物だ。ニアはサマイルにその近くまで送ってもらった。
もちろん断ったのだが、サマイルが聞かなかった。
「気にしないでよ。僕も、呪術師さんと話せて勉強になった」
「……光栄です」
「じゃあね、ニアさん。また今度」
サマイルは手を振ってニアに背を向けた。
その背中が宮廷の中へ消えていくのをぼんやり見送った。
あの人は一体どういうつもりなのだろう。
単純に自分の研究成果を自慢したかっただけなのか、それとも何か別の狙いがあったのか……。
とにかく単純な人間ではないということだけは分かった。
なんとなくスメラギ侯爵と似ているような気はするけれど、侯爵から感じる他人を安心させるような雰囲気は、サマイルからは感じられなかった。
個人的な資質の違いなのかもしれない。
そういえば、とニアは思う。
スメラギ侯爵は戻ってこないのだろうか。魔術院からの帰りに執務室へ寄ってみたけれど、侯爵の姿はなかった。勝手に帰ってしまったけど良かったかな。
さて、自分も部屋に戻ろう――そう思ってニアが宿舎の方へ身体を向けたとき、どこからか強い恨みの視線を感じた。
振り返ると、駆け足で立ち去っていく下女の姿が見えた。
ロザリーだ。
呪術を学ぶと、他人からの恨みや妬みに敏感になってしまう。これもやはり呪術の本質がそういった負の感情から生まれたものであるということに起因しているのだろう。
確かにロザリーの家を呪術で焼いたのはニアだ。
だがそれまでにロザリーの家族がニアにした仕打ちを思えば、やはり逆恨み――いや。
恨まれるだけのことをしたのは間違いない。
だとしたら、彼女から強い恨みを向けられるのも仕方ない。
それもまた自分が発動させた呪術の代償なのだから。
ニアは自分を納得させ、今度こそ自室に戻った。
◆◇◆◇
次の日。
執務室へ行くと、いつもならニアより先に来ているはずのスメラギ侯爵の姿はなかった。
いったいどうしたものだろうか。
今日もお休み?
いやさすがにそれは……。
不安に思い、ニアは侯爵を探しに行くことにした。
しかし、スメラギ侯爵の行き先にアテなどなく、ただ思いつくままに城内を歩き回った。
食堂、王妃たちの部屋付近、魔術院の近く――はサマイルに見つかると面倒なので、少し覗いただけですぐに立ち去った。
とにかく、城中を探してもスメラギ侯爵はいなかった。
まさか――あまりにも事件が解決しなかったせいで嫌になったのか? 出勤拒否というやつか?
色々な可能性を勘ぐるニアだったが、大きな物音で我に返った。
気が付けば兵舎の近くに来ていた。
物音は、兵舎に併設されている訓練場からしているようだ。
この時間なら兵士たちの訓練が始まっていてもおかしくないが、何となく予感がしたのでニアは音のした方へ向かい、訓練場へ顔を覗かせた。
「……!」
広い訓練場には、ひとつだけ人影があった。
一心不乱に剣を振るうその人物は、スメラギ侯爵その人だった。
侯爵はすさまじい集中力で剣を振り続ける。
ニアは気づいてもらえそうになかったので、付近の井戸から水差しに水を汲み、再び訓練場に戻って来た。
そのときになってようやくスメラギ侯爵は自分以外の存在に気が付いた。
額に大粒の汗を浮かべたスメラギ侯爵は多少驚いたような顔をしたが、見学者がニアだと分かると安心したように胸を撫でおろした。
「なんだ、ニアだったか。声をかけてくれても良かったんだが」
「あまりにも集中してらっしゃいましたから。……お水、飲まれますか?」
「ああ、ありがとう。気を遣わせてしまったね」
よほど喉が渇いていたのか、スメラギ侯爵は水差しからそのまま水を飲み、一気に半分以上を飲み干した。
「……剣の訓練ですか?」
「ああ。書類仕事ばかりやっていたせいで身体が鈍ってしまっていてね。これでも昔はそれなりの腕だったんだ」
「そうだったのですか」
「執務室に戻らなければならない時間だろう。すまないが、私は着替えてから向かうことにするよ。今日こそはあの切り裂き事件が解決に向かうと良いのだが」
ニアは訓練場の端にタオルが置かれているのに気づき、それを手に取って侯爵に渡した。
侯爵が微笑む。
「よく気が利くな、君は」
「……下女だったということもありますし、家庭の事情も」
「家庭?」
「あー……ええと、いえ。個人的なことですから。大したことではありません」
「そうか? 無理には聞かないが……」
「ああ、それ、預かります」
ニアはスメラギ侯爵からタオルと水差しを預かった。
そのまま侯爵は着替えに行くものだとニアは思っていたが、なぜか侯爵は意味深な表情を浮かべたままその場に立ち止っていた。
「…………」
「どうされたのですか、侯爵?」
「いや、似ていると思ってね」
「似ている? 誰がですか?」
「これも個人的な話だ。知りたいか?」
「ええ、まあ……」
ニアが答えると、侯爵は言葉を選ぶように少し間をおいて話し始めた。
「私には妹がいたんだ」
「妹さんですか?」
「そうだ。君を見ていると、妹のことを思い出したよ」
懐かしそうに目を細めるスメラギ侯爵。
その妹さん、今どちらにいらっしゃるんですか―――とは、ニアは聞くことが出来なかった。『妹がいる』ではなく『いた』という言い方が気になったからだ。
「……私は先に執務室へ戻りますね、侯爵」
「ああ。わざわざ探しに来てくれてすまなかったね。ありがとう、ニア」
スメラギ侯爵が、その辺りの侍女が見れば卒倒しかねないレベルの輝かしい微笑みを浮かべる。
ニアは何とか意識を保ち、曖昧に返事をしながら執務室へ戻った。
◆◇◆◇
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