第12話「シャルル王子」
「しかし、困った。唯一の証言者からも犯人につながる手がかりが得られなかったということは、しばらく事件の進展もなさそうだな」
「ええ……はい」
ニアはスメラギ侯爵の上着を羽織ったまま、地面を見つめていた。
心臓が今まで感じたことがないくらい高鳴っていて、侯爵を直視できるような精神状況ではなかった。
が。
一方で、頭の中では事件の状況を冷静に分析していた。
無差別に人を切り付ける事件。
犯人の姿は誰も見ていない。
魔術―――にしては高度すぎる。
呪術―――にしては発動条件を満たしていない。
だとすれば、何だ?
魔術でも呪術でもない別の力が働いているのか?
いや。
そもそも、だ。
あの第三王妃の事件も、解呪こそしたものの犯人が捕まったわけではない。
強大な力を持った呪術師がどこかにいることは間違いない。
呪術を使うには、それだけの資質――呪術師の血を引いているという条件がある。
そして、第三王妃の部屋に呪印を施すことが出来る――ということは、宮廷の中にいる、呪術師の血を引いた人物が犯人だということだ。
そして恐らくは――今回の事件の犯人も、第三王妃の事件の犯人と同一人物だ。
ニアの直感がそう告げていた。
そもそも、呪術というのは親から子へ代々受け継がれるものだと父は言っていた。つまり、呪術師の数はそもそも多くないのだ。そして、歴史から忘れられたはずの呪術師なんていう存在が今になって何人も出てくるはずもなかった。
だから、より正確に言えば今回の犯人に該当する条件は、呪術師の血を引いていて親から呪術を教わっていて宮廷に出入りすることが出来る人物ということになる。
……いや、そうなると自分自身が一番怪しいって話にならないか?
自分はもちろん呪術師の血を引いていて呪術を使えるし、宮廷で働いている。
ヤバい。
誰かに疑われたらどうしよう。言い訳できない。
冷静さを欠いて来たので、ニアはとりあえず立ち上がり伸びをした。
深呼吸をすると、なんとなく落ち着いて来た。
「何か見つかったかい、ニア?」
スメラギ侯爵に訊かれ、ニアは首を横に振った。
「いえ、何も。ここにも呪印らしきものは残されていないみたいです。ただ、第三王妃の事件もありますから、恐らく今回の事件も王妃を狙った犯人も同一人物ではないかと」
「証拠があるのかな?」
「そういうわけではありませんが……でも、呪術とは親から子へ代々受け継がれていくものです。私も父から呪術を習いました。そのように、限られた人間しか習得することが出来ない技を操る人間が今になってこの王都で何人も現れるということは考えづらいと思います。それに――」
呪術には代償が必要だ、と父はいつも言っていた。
より強大な呪術を発動しようとすればするほど、その代償は大きくなる。
第三王妃とその子を長い時間苦しめ続けたり、無差別に誰かを傷つけたりする――そんな強力な、代償を無視したような呪術を濫用しているあたりも、どことなく同一人物を思わせる。
「そうだな。ニアの言う通りだろうね」
スメラギ侯爵は納得したように頷く。
「侯爵……」
「私も同意見だよ。恐らくは王妃の事件――第三王妃だけでなく、亡くなった第二、第四の王妃も含めてだが、これらの事件と今回の事件は同一犯だろう。問題は、王妃の事件は呪術を用いたものだったとして、今回の事件はいったいどんな手を使ったのかという点だな」
「あくまでも私の直感ですけど、やはり呪術ではないかと思います。魔術で行うには難度が高すぎる技なんでしょう?」
「その通りだ。……よし、今日はここまでにして執務室へ戻るとしよう。これまでの報告書で見落としている部分がないか、もう一度確かめる」
◆◇◆◇
それからニアは、スメラギ侯爵と共に数日かけて事件の情報を整理した。
しかし、調査が進展することはなかった。
だが幸運なことに、10人目の被害者が出て以降、切り裂き事件はぱったりと止んだ。
被害者たちも少しずつ回復していき、死者が出ることもなかった。
いわゆる膠着状態に陥ってしまっていた。
「ふああ……」
昼休憩の時間。
食堂で昼食を済ませたニアは、また中庭を訪れていた。
色とりどりの花が植えられている傍らには、たくさんの洗濯物が干されていた。
ほんの数十日前までは自分があの洗濯物を干す係だったのだ。人生何が起こるか分からないなあ、なんて老人のようなことを、ニアは暖かい日差しの下でぼんやり考えていた。
その目の下には濃い隈が出来ていた。
切り裂き事件の解決のため、徹夜で報告書を読み直したり、かつて父から譲り受けた呪印の書物を調べたりしていたからだ。
今は被害が出ていないが、またいつ被害者が現れるか分からない。
それまでに犯人の目星をつけるか、せめてどんな術を使ったのかくらいは明らかにしておかなければ。
しかし。
春の暖かい日の光が、中庭の隅にあるベンチに腰かけたニアを眠りへと誘っていた。
いけない。ここで眠ってしまっては多分、明日の朝まで眠り続けてしまう。
でも眠たい。目を開け続けているだけでも辛い。ちょうど昼食の後というのも、さらに眠気を誘う要因だった。
仕方ない。
ここは、必ずすぐ目を覚ますという覚悟を決めて一瞬だけ眠ろう。
絶対に目を覚まして事件の調査の続きをする。だから、今だけ――少しだけ、この誘惑に身を任せよう。
ニアは強い覚悟を持って目を閉じた。
そのままベンチへ横になる。
だがそうして横になった瞬間、ニアの覚悟は音を立てて崩れた。
あー、ヤバい。
これもう起きれないやつ……。
ニアが微睡みの中に意識を投じた瞬間、足の小指辺りに衝撃を受け、先ほどまでの眠気が吹き飛ぶとともにニアを激痛が襲った。
「痛っ……!?」
いったい何事かと足元を見れば、丸い木製の物体が転がっていた。
何だろうと思って拾い上げてみると、それは積み木のようだった。
どうして積み木がこんなところに……?
「きゃははは!」
笑い声を上げながら、たどたどしい足取りで男の子が駆けてきた。
特徴的な青い瞳には見覚えがある。シャルル王子だ。
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