第11話「外套」
「もし話せるようなら、被害に遭ったときの状況を教えて欲しいのですが」
「そうですね。あれは確か、僕が夜の散歩をしていたときのことです」
「夜の散歩?」
「別にやましいことをしていたわけじゃありませんよ。日課なんです。浄水設備だけじゃなくて、城下街をぐるっと回るんです。良い運動になりますよ」
「なるほど、分かりました。それから?」
「ええと、確かあの浄水設備の辺りを通りかかった瞬間、全身に痛みが走ったんです……あいたたたた」
フウンは肩のあたりを押さえ、呻いた。
思わずニアは彼に駆け寄り、その肩のあたりに手を添えた。
「だ、大丈夫ですか?」
「ああ、すみません。大丈夫です。思い出したら痛みが。……ええと、この方は? 侯爵の娘さんですか?」
思わずニアは彼の肩に爪を立てた。
「あいたたたたたっ! な、なにするんですか!?」
「あらごめんなさい。ちょっと手が滑ってしまったようですわ。おほほ」
娘と間違われるほどガキではない。
失礼な奴だ、とニアは思った。
「彼女はニア・カッツェ。私の優秀な助手ですよ」
「ああ、そうなんですか。それはすみません」
「いえいえ、お気になさらず」
謝るフウンに対し、ニアは努めて笑顔で答えた。
「では、事件の話に戻りましょうか。浄水設備の付近であなたは怪我を負った。その後は?」
「よく覚えていません。血だらけになっていた記憶はありますが、そこからどうやったのか……とにかく、再び意識が戻った時には医者が傍にいて、こうしてベッドに寝かされていました」
「そうか……」
報告書の通りだな、とスメラギ侯爵は呟いた。
「切られたときの記憶はどうですか?」
ニアが尋ねる。
「切られたときですか?」
「はい。周りに怪しい人がいたとか」
「いや、確かあのときは一人でした。周りに誰かがいたような気配もありませんでしたし、そもそもあの辺りは夜中に人が寄り付くような場所ではないですから。怪しいと言えば、まあ、僕が一番怪しかったかもしれないですね。あはは」
フウンは自虐気味に笑った。
笑ってられるような状況でもないような気がしたが、とりあえずニアも愛想笑いをした。
「周囲に人はいなかった。しかしあなたは怪我を負った……」
スメラギ侯爵が腕組みをしながら言う。
フウンは頷いた。
「その通りです。まるで魔法ですよ。何もないところでいきなり大怪我を負わされるなんて」
「同意見ですね、フウンさん。では、ひとまずどうやってあなたを襲ったのかはともかくとして、そのようにあなたを襲うような人物に心当たりはありますか?」
「僕を恨んでいる人物ってことですね」
ううん、とフウンは唸り、再び口を――包帯で隠された口の辺りを――開いた――(ように、ニアには見えた)。
「実はそれが全く思いつかなくて。そもそも僕は誰からも恨まれたり、逆に迷惑を掛けられたくなくてこんな町はずれに住んでいるわけですから。もし僕を恨むとすれば、僕のような暮らしが羨ましくてしょうがないって人間くらいですよ」
「心当たりはないということですね?」
「はい。それにしても、町はずれの暮らしは良いですよ。静かだし、何より人間と関わらなくていい。おすすめしますよ。こんな切り裂き事件がなければね。あはは」
フウンの返事を聞いて、スメラギ侯爵はニアの顔を見た。
ニアも侯爵を見上げる。
侯爵の目は、『これ以上話を聞いても無駄みたいだから帰ろう』と言っていた。
ニアも視線で、『分かりました帰りましょう』と告げた。
いや、目だけでそんな細かい意思疎通ができるわけないじゃんと思われるかもしれないが、なぜかこのときはお互いの気持ちが通じたのだ。
というわけで、二人はそれぞれ簡単な挨拶をしてフウンの家を後にした。
◆◇◆◇
「分かったのは、犯人は一切の手がかりを残していないということだけか」
スメラギ侯爵は疲れたように言った。
「なんだか話していて体力を奪われるような人でしたね、さっきのフウンさんという人は」
「悪い人間ではないのだろうが、結局は報告書の通りだったな。報告書を作成した役人が優秀だったということかもしれないね。どうかな、ビグザ君」
「はっ、作成者は僕です。光栄であります!」
前を歩いていたビグロは背筋を伸ばし、敬礼しながらこちらを振り返った。
「なるほど、そうだったのか。グスタフが我々を君に任せる気持ちが分かったよ。これからも君の働きには期待している」
「ありがたきお言葉、感謝します!」
「……で、さっきのフウンさんがやられたという現場はここか」
「そうであります!」
敬礼したままビグザが答える。
ここへ来た時にも目に入った、川岸にある浄水設備だ。
それなりの規模で稼働している。
この設備の外壁のあたりに、フウンは倒れていたのだという。
「この辺りだね?」
スメラギ侯爵はとある地点で立ち止り、地面を興味深そうに眺めた。
「はい。被害者はそこで被害に遭い、そして自力で自宅へ戻り医者を呼んだということです」
「……すごい体力だな」
「本人からの証言をまとめれば、そういうことになります。特に矛盾しているような発言もありませんでしたから」
でも、さっきの人ならあり得るのかも、とニアは思った。
そのとき、不意に寒気がして、ニアは小さくくしゃみをした。
「……寒いのかい、ニア?」
スメラギ侯爵は、まるで小さな子供に言うような声音で尋ねた。
ニアは場違いなタイミングでくしゃみをしてしまったことが恥ずかしくて、顔が熱くなるのを感じた。
「い、いえ、平気ですこのくらい。……くしゅん!」
最悪なタイミングで最悪なくしゃみが出てしまった。
ニアの顔がますます熱くなっていく。
というか、外が暖かいから上着が必要ないという判断が間違っていた。
フウンの家を出たときにはもう夕方になっていて、川の近くということも合わさって外はずいぶん冷えていたのだ。
「ほら、無理をするな。これを着なさい」
ニアは、背後から暖かいものが身体に被せられるのを感じた。
スメラギ侯爵の外套だ。
「あ、い、いえ、大丈夫です、侯爵!」
「何を言ってるんだ。寒そうにしているじゃないか。顔色も良くない。良いから着ておきなさい」
「は……はい」
ニアはそう言って頷くしかなかった。
外套からは香水らしい匂いがした。
以前、下女の宿舎前にスメラギ侯爵の文が飾られたときに良い匂いがすると言っていた下女がいたが、あれは本当だったんだなとニアは思った。
「それより、どうかな? 呪印らしいものはありそうか?」
侯爵がニアの顔を覗き込む。
水晶のような瞳に、思わずニアは見蕩れてしまった。
「あっ、ええと、さ、探します!」
いうが早いかニアは屈みこみ、被害者が襲われたという場所をじっくりと眺め始めた。
その様子を見てスメラギ侯爵が小さく微笑んだのには、ニアは気が付かなかった。
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