0.Prologue
――とある休日。
春らしい少し暖かな風が、優しく芝生を撫でる午後の昼下がり。
ある人は集中しすぎるあまり本の世界にのめり込み、またある人はそのうららかな陽気に、思わずあくびをしてしまったりと、訪れている人々の多くが、思い思いにのんびりとしたひと時を外で過ごしていた。
ここは、世界に数多存在する書物の管理・保存・救済を目的に結成された国際機関、”世界図書館機構”の本部、『国立大世界律図書館』である。
『自然と都会の調和』をテーマに作られたここは、周囲を高層ビルがぐるりと取り囲み、それとは対照的に中は芝生と多くの広葉樹で広がっており、国内でも最大規模を誇るその敷地の大半を自然が占めていた。
その中央には、これまた都会に似つかわしい、まるでギリシャの神殿を思わせるかのような図書館の本館がそびえ建っている。
そんな広大な大世界律図書館であるが、普段であれば十数名ほどの司書――”守護司書”たちが、外の警戒任務などに当たっているはずなのだが、今日はある『本』を蔵書として収めるためにほとんどの人間が図書館本館に集結しており、屋外エリアにいるのはほんの数名と、必要最低限ほどの人数となっていた。
数多くの本を蔵書として収めるために多くの守護司書たちが動員されるのは、ここでは普段からよくあることなのだが、たった一冊の本のためにここまでの人員が割かれるのは初めてのことであり、そのためなのか、数多くの守護司書たちが本館をぐるりと取り囲むように配置されているのが、遠くからでも見て取れた。
そんなどこか物々しい雰囲気が漂う中、
「ヴァーハッハッハッハッハ!!」
まるで静寂を破るかのように、猛獣のごとき笑い声が敷地中に響き渡った。
「きゃあっ!?」
「いっ、いったいなんだ!?」
突如として轟いたその声に、読書にいそしんでいた利用客たちが辺りをきょろきょろと見まわした。
本館を警戒していた守護司書たちも、各々武器を構え、厳戒態勢に入る。
声はさらに続けて叫ぶ。
「神話級の怪物を封印した禁書・”リヴヤタン”、それを使役するのは我らマレフィクス=ビブリオテーカこそがふさわしい!! さあ、無駄な抵抗を止め、”リヴヤタン”をこちらによこせぇぇぇぇぇぇ!!」
その声に呼応するかのように、何もない場所から二~三十体程の、全身黒タイツに、本が開いたような形に、地球上にない謎の一文字が描かれたマスクを装着した戦闘員――”ニゲル=リベル”たちが出現した。
そして、ニゲル=リベルたちとともに、ワニの頭に筋骨隆々とした肉体を持つ、半人半獣の”邪悪司書”、そして、先ほどの声の主でもある、”剛力司書”のウォルーメン将軍がその姿を現した。
「さぁ行け、マレフィクス=ビブリオテーカの忠実なる僕、ニゲル=リベルよ!! この地を恐怖のどん底へ、叩き落すのだっ!!」
「「「あjgぶjgんかkjryんwqrふ!!」」」
ウォルーメン将軍の声に反応し、ニゲル=リベルたちが理解のできない言語を発しながら、利用客たちに襲い掛かる。
「きゃああああああ!?」
「にっ、逃げろおおおお!?」
たちまち、平和だった図書館がパニックに陥る。
「ヴァハハハハハハ!! 愉快、愉快ぞっ!! そぉれ、こいつはオマケだっ!!」
そういうと、ウォルーメン将軍は着ていた軍服の懐から、一冊の『本』を取り出す。
それは、黒く禍々しい装丁の施された、ハードカバーのような本であった。
「”獣ノ書”に封じられし魔本獣よ、我が命に応じ、顕現せよ!!”奈落魔本獣”プロフォンドゥム!!」
ウォルーメン将軍が叫ぶと、黒い本―”獣ノ書”が黒く輝きだし、たちまち巨大なシルエットへと変化し、そして弾けた。
姿を現したのは、巨大な人の顔のような形をした胴体に、右手左足がインドコブラ、左手右足がエジプトコブラ、長い二本の牙を生やした巨大なキングコブラに、無数の蛇が絡み合った不気味な頭を持つ怪物であった。
腰には、これまた蛇を模したサーベルを携えている。
怪物―プロフォンドゥムもまた、ニゲル=リベルたちと同じように逃げ惑う人々を追いかけ襲い始める。
本館周辺を囲んでいた守護司書たちが逃げる人々を守るために怪物たちに立ち向かうも、プロフォンドゥムのあまりの強さに返り討ちにあってしまう。
「きゃっ!?」
人々が逃げ惑う中、一人の若い女性が慌てて走ったせいで転倒した。
振り返ったときにその光景が視界に入ったプロフォンドゥムが、サーベルを構えながらじわりじわりと女性に近づいてきた。
「いっ、嫌……っ!! やめ……っ!?」
女性は必死でそこから逃げようとするが、あまりの恐ろしさに腰が引けてしまい、その場から動けなくなってしまっていた。
そんな女性の目の前に、プロフォンドゥムが仁王立ちになる。
「ぁ……っ!?」
女性は恐怖のあまり、声すらも出せなくなっていた。
恐怖に足がすくみ、逃げるに逃げられないでいる女性を視界に捉えつつ、プロフォンドゥムは構えていたサーベルを天高く振り上げ、非情にも女性目がけて勢いよく振り下ろした。
「誰か……、誰か、助けてぇぇぇぇぇぇっ!!」
女性が悲鳴を上げ目を瞑った、その刹那だった。
「hgりょwgふwがあytぷlyq!?」
プロフォンドゥムの背後で暴れていたニゲル=リベルのうちの数体が、突如として爆発四散した。
それに驚き、他のニゲル=リベルが爆発のした方向に振り向き、プロフォンドゥムも、女性の鼻先ぎりぎりのところでサーベルを振り下ろす手を止め、ゆっくりと振り返った。
その隙に、女性は守護司書の一人に助けられ何とか難を逃れた。
「いったい……、いったい、何が起きたのだっ!?」
人々が逃げ惑う様子を見て高笑いを上げていたウォルーメン将軍も、突然の出来事に目を丸くしていた。
凄まじい爆発に、周囲では多くの砂埃が舞っている。
その中心で、『人影』が揺らめいているのが見えた。
「貴様ァ……、何者だぁっ!!」
ウォルーメン将軍は、苛立ちのあまり、被っていたベレー帽を投げ捨て、声を荒げながら『人影』に向かって叫ぶ。
「……。」
『人影』は、その声に反応するかのように、ウォルーメン将軍のほうへと身体を向けた。
やがて、砂埃が晴れていき、その姿があらわになる。
それは、白ランに足元まで届くくらいの白のロングジャケット、左腕には”世界図書館機構”に所属する者の証である腕章、胸元には”守護司書”と書かれた銀のネームプレートを、右目にはモノクルを装着した背の高い男であった。
右手に、緋色のハードカバーの『本』のようなものを持っている。
「貴様は……、まさかっ!?」
その姿を見たウォルーメン将軍が、驚きの表情を見せる。
「ウォルーメン、貴様たちの悪事は、この俺がすべて打ち破ってやる!! ライブ・チェーーーーンジッ!!」
男がそう叫ぶと、ロングジャケットを翻しながら、持っていた『本』――”ライブック”を高く掲げる。
すると、持っていたライブックが輝きだし、その光が男の全身を包み込み、やがて、バシュッと音を立ててはじけ飛んで消え去った。
次の瞬間、そこに立っていたのは白いロングジャケットの男ではなかった。
その姿は、緋色に、小説の文章を思わせる白色のラインが入ったスーツに、開いた本のようなモチーフの胸のプロテクター、まるで本が一枚一枚開いている本のような形の襟にモノクル型の手甲、バックルが小さなライブックの形をしたベルト、そして、『図』の字をモチーフとし、額に”世界図書館機構”のエンブレムが装飾されたマスクを被った、そう、まるでテレビなどでよく見かけるような……、否。
「俺の名は如月ショージ。”世界図書館機構”所属の”守護司書”。そして……。」
そう、『まるで』や『ような』といった表現は正しくはなかった。だって。
「そして、またの名を、”愛と勇気の図書館戦士”ライブ・ファイターだ!!」
だって彼は、本物の”ヒーロー”なのだから――
『らいぶ・ふぁいたー、かっこよかったなぁ~!!』
テレビの中でカッコよく決めポーズを決めるライブ・ファイターの姿に、小学生の頃の『俺』は大興奮しながら、かぶりつくかのように画面に見入っていた記憶がある。
テレビの中で、襲い来るたくさんの怪人たちを相手にたった一人で立ち向かっていくその姿に、幼心ながら、淡い憧れを抱いていたものだ。
もちろんその姿、武器、闘い方などがカッコよかったという気持ちがあったのは確かだが、それ以上に、”何かを守るために闘う”というヒーローのその姿に、『俺』は惹かれていたのかもしれない。
先ほど記憶がある、とは言ってみたものの、実は、この頃の出来事について、俺はあまり詳しく思い出すことができない。
何分小学生の頃の話だ、記憶がおぼろげになるのも仕方がない。
それに……、いや、この話は止めておこう。正直、思い出したい話なわけでもない。
それよりも、この頃の俺には、日課となっていたことがある。それは。
『おかあさ~んっ、いってきまぁ~すっ!!』
そういうと、幼い『俺』は玄関のドアをゆっくりと開き、おもちゃの剣を片手にそのまま家の外へと飛び出した。
『車に気を付けてね~っ、あんまり遠くに行っちゃだめよ~?』
遠くから、母さんの声が聞こえてきた。
『はぁ~いっ!!』
それに、『俺』は元気よく返事をして、家の近くにある公園まで走っていった。
その頃の『俺』は、テレビでライブ・ファイターを観た後、近くの公園でライブ・ファイターごっこをするのがルーティーンのようなものになっていた。
いつものように公園に入ると、今日はすでに『先客』がそこにいた。
『あっ、ひーくんだ~っ!! お~い~っ!!』
その『先客』は、『俺』に向かってひらひらと手を振ってきた。
『あっ、ゆーちゃんだっ!! やっは~っ!!』
『俺』もぶんぶんと手を振って返し、”ゆーちゃん”と呼ぶその『先客』の元へと駆け寄っていった。
顔も、本名もしっかりと思い出すことはできないのだが、”ゆーちゃん”は、俺の幼馴染である女の子である。
幼稚園の頃からずっと一緒で、この公園で周りが暗くなるまでよく遊んだりしたものだ。
その日も二人で夕方近くまでライブ・ファイターごっこをして遊び、今はブランコに乗っているところだ。
『ねぇ、ひーくんっ。』
『俺』がブランコを立漕ぎしていると、隣でブランコに腰を掛けていたゆーちゃんが声をかけてきた。
『えっ、なーに?』
『俺』はブランコを漕ぐのを止め、同じようにブランコに座る。
『ひーくんは、大きくなったら、何になりたい?』
『ぼく?』
『うんっ。』
きょとんとする『俺』に、ゆーちゃんは明るい声で返事をする。
『うーんとね、ぼくは~……。』
……やはり小さい頃の思い出というのは蘇りづらいものなのだろう、この時彼女と話した内容を、どう頑張っても記憶から引っ張り出すことができなかった。
まぁ、小さい時の会話だ、大した話をしているわけでもないだろう。
そういえば、それから数週間経ってからだっただろうか、ゆーちゃんが家の都合で転校していったのは。
ゆーちゃんとはそれっきりとなってしまい、連絡を取ることもできなくなってしまったが、元気にしているだろうか。
『俺』はというと、その後、小学校の時に起きたある『事件』がトラウマとなり、それまで友達だったみんなと距離を置くようになり、それに伴ってか、幼い頃にあれだけ抱いていたヒーローへの憧れも次第に薄れていってしまった。
中学を卒業する頃には、友人を作ることすら奥手になってしまい、ヒーローへの憧れはまったく失ってしまった。
しかし、この後、俺は人生を一変させてしまう運命的なある”出会い”を果たすことになるのだが、この時の『俺』は、そんなこと知る由もないのであった――