取り合えずの行き先
村はずれとはいえ半分森に入り込むように立つ家での暮らしは、基本的に森の恵みに支えられていた。
川で魚を取り、罠にかかった動物を仕留め、木の実やキノコを採取し、薬草を加工してわずかな金銭に変えていた。自然に頼った生活は当然思い通りに行くことの方が少なく、また理不尽なことも多々あった。
そのためルクフィールは自分ではかなわない動物の気配を感じればいち早く逃げたし、慣れない匂いや空気にも敏感だ。だって少しでも異変を感じたら逃げなければ、自分の命に関わるのだから。
だというのに、自身のすぐ後ろの存在に全く気付かなかったことに驚き、今まで感じたことのないその気配に恐れ固まった。
座り込むルクフィールの倍ほど上に大きな口が見える。たぶんルクフィールが立ち上がってようやく獣の顔と同じ高さになるのではないだろうか。
見たことのないほどの大きさと、初めて感じる未知の気配。森で出会った野生の獣とは違う、感じたことのないそれは、分からないためにひどく恐ろしかった。
(食べ、食べられる……きっと一飲みだ。でもそれならむしろ痛くないし……)
咄嗟に確信したのは確実に助からないという現実。そして現実逃避にも近い呑気な感想だった。
そんな風に固まったルクフィールが意識を取り戻したのは、男性がぶつぶつとしゃべる声だった。
「おい、お前のせいで固まったぞ」
《我は何もしておらぬ。人の子ならば普通の反応であろう》
「普通って。お前が違うって言ったんじゃないか」
《確かに違うとは言うたが、しかしそれも未だはっきりせぬのだから仕方あるまい》
独り言と言うには少し不自然な言葉は、まるで話す相手がいるようだ。
だけどここに話ができる人物など男性とルクフィールしかいないはず。
そう思ってゆっくりと振り返ってみれば、男性の視線は背後の獣とルクフィールの間を動かすように揺れていた。
「おはなし、できるの?」
思わず口から出た言葉に、一瞬考えるようなそぶりを見せた後で男性が思いついたように説明をする。
「あー、そっかうん。そういや周りには聞こえないんだった。そうそうこいつと話せるの」
こいつ、とルクフィールの背後を指さし、その流れで自己紹介もしてくれた。
「冒険者のジェイドだ。所属はトルティクスの蒼海。こいつは相棒のガルム。従魔士って知ってるか?」
「る、ルクフィールです。見たことはないけど聞いたことはあります」
ルクフィールの知るテイマーとは、魔獣を従わせて戦闘させる職種だ。ちらりと聞いたことのある噂話と、母が持っていた本に少しばかり書いてあったという程度の認識しかない。
テイマーに使役されているならこちらに襲い掛かったりはしないのだろうかと思う反面、いやでもこの大きさはものすごく怖いとふるりと震えた。
「会話ができるならいくつか確認したいんだが、大丈夫か?」
しかしこちらの恐怖など関係ないとばかりに、男性―――ジェイドの言葉が続くので、ルクフィールは背後にビクつきながらも正面に向き直った。
その姿勢に話をする気があるのだと受け取ってくれたようで、ジェイドに急ぎの確認だけさせてくれといくつか聞かれることになった。
「まず、ここまではどうやってきたか覚えてるか?」
「馬車、で……村から……」
何気なく答えた瞬間にルクフィールは意識を失う直前の恐怖が蘇ってきたが、両手を握り締めて耐える。
「帰る場所はあるか?」
「な、い、です……たぶん……」
おそらく村に戻されても、再び追い出されるか今までよりも苦しい生活になるだろうと予想する。何しろ村長を始めとする村中から忌避されていたのだから。
「これからどうしたいか希望はあるか?」
その質問にはすぐに答えられなかった。はく、と口を開けて、でも言葉にするのをためらって俯いた。
いつか、村を出ようとは思っていた。母が亡くなり今まで以上に苦しくなった生活はきっと何年も続かない。だから数年の内には村を出ていこうと、少しずつ準備を始めたところだった。
冬を越すための保存食を作り、寒さに耐えられるように小さな毛皮を集め、薪になる枝や倒木も意識して拾うようにしていた。
だけど現実には治まらない食欲に負けていつだって食べ物は不足しているし、毛皮も薪も最低限を残して誰かに持っていかれた。何しろルクフィールが森に出ている間にいつの間にか無くなっていたのだから、犯人が誰かなんて分からないままだ。
まるで村にはルクフィールの居場所などないのだと言わんばかりの所業に心が折れそうになったことだって少なくない。
何をするにも未熟なルクフィールは、日々を生きることに必死で、未来のことなんて考える余裕がなかったのだ。
だからジェイドに聞かれたことに答えられなかったし、かといって気軽に夢を口にできるほど幼くもない。
そうしてルクフィールの沈黙をどう受け取ったのか、しばらく考えていた様子のジェイドから思いもつかない言葉が掛けられて顔を上げた。
「行く当てがないなら、とりあえずウチの家に来るか?」
「ホーム……?」
ホームとは何だろうか。聞きなれない言葉だが、そこにおいでと言われたのは理解できた。
「冒険者が集まって所属する場、みたいな感じか? 細かいことは後で説明するけど、まぁ一時的な宿とでも思えばいい。とりあえずはそこで今後の方針を決めたらどうだ」
それはある意味ルクフィールにとって願ってもない申し出だろう。まだ現状を受け入れるには色々と時間が足りないことは事実だし、いつまでもここにいるわけにもいかない。
しかし初対面の名前しか知らないような相手に着いていっていいのかという不安は残る。
今は助けられたことと食事をもらえたことで話をしているが、それだけで目の前の相手を信じるとは言い切れなかった。
(どうしよう。一緒に行ってもいいのかな……)
このまま森に残されても困るが、生きていこうと思えば出来ないわけではない。森での生き方も獣の除け方も、今まで出来たのだからきっと何とかなるだろう。
でもそれは『生きていけるかもしれない』という憶測にすぎず、土地勘のない場所でその知識がどこまで通用するかは全く予測できない。むしろルクフィールの知らない獣や植物の毒によって身動きができなくなる可能性だってある。
この場で一人で神経を張りつめてどこかを目指すか、恩人の提案にひとまず乗ってみるか。
悩んだのはそれほど長い時間ではなく、しばらくしてからルクフィールは「連れて行ってください」とジェイドに頼むことにした。
読んでいただきありがとうございます。
次回は3月6日更新予定です。