満腹は幸福
鉄板の上でじゅわりと肉汁を滴らせながら焼かれる厚切りの肉。
油を満たした鍋からは、サクサクの衣に包まれた川魚のフライが次々に取り出されている。
ふわふわに焼かれたパンと黄金色のハチミツ。
これでもかと積まれた茹でたての芋。
くつくつと湯気を立てる鍋では、たっぷりの野菜が使われたスープがある。
焼き立てのパイが運ばれてきて切り分けられる。
かごに山盛りに用意された果物は、どれも熟して瑞々しい。
その全てがルクフィールの手の届かないテーブルにどんどん用意されていく。
村では年に一度、実りの多い秋の日に一年で一番の祭りが行われていた。だけどルクフィールと母がその場に呼ばれたことは一度もない。なにかの用事で出かけた時にちらりとその光景を目にして、ひどく悲しくて悔しかった思い出があるだけだ。
そしてその日は小さな家で母が、いつもよりちょっと品数の多い料理を作ってくれる日になった。
いつでも空腹を抱えるルクフィールにとって、その祭りの日は夢のように憧れ悪夢のように恨めしい反面、母の料理に感謝する日だった。
「お願い、一口でいいから食べさせて!」
お腹がすき過ぎてキリキリと痛む胃を押さえながら、ルクフィールは叫んだ。
だけどルクフィールに届くのは調理される音と食欲を刺激する香りだけ。母の手料理もここにはない。
その香りに刺激されて、早く食べさせろと言わんばかりにさらに胃が締め付けられる。
「いたぃ……お願い、食べたい、食べさせてよぉ!!」
「いいぜ」
ついにぼろぼろと涙を流して叫ぶルクフィールに、突如背後から見知らぬ声が掛けられた。
驚いて振り返った瞬間、ルクフィールは夢から覚めた。
「え……」
まず目に入ったのは風に揺れる木の枝と、何かを捕まえようと伸ばす自分の手だった。見慣れない光景にぱちぱちと瞬きを繰り返す。
(あれ? 夢? えっと、どこまでが夢?)
ここはどこで、さっきのは夢で、それとも全部が夢だったのか。寝起きということもあって全然思考がまとまらない。
力を失った腕がパタリとお腹の上に落ちてきて、ルクフィールはやっと周囲を見回すように横を向きその人物に気が付いた。
「よっ。腹減ってんなら食べるか?」
見たことのない赤髪の男性が、フォークに突き刺した肉を振りながらこちらを見ている。
しかしルクフィールは見知らぬ男性よりも、その人が持つ肉の塊に釘付けになっていた。
(肉がある! パンも見える! 湯気が立ってる! いい匂いがする!!)
きっとこの香りのせいでさっきのような夢を見たに違いない。
香辛料を効かせているのだろう。香ばしさの中に食欲をそそる複雑な香りがしている。
そしてその香りに刺激されて、ルクフィールのお腹がきゅるるるっと盛大に鳴りだした。
「っぶ。すっげぇ音」
咄嗟にお腹を押さえたルクフィールだが、男性の耳にもしっかり聞かれてしまったようだ。
そのことで存在を思い出し笑われたことに顔を赤くして視線をそらすルクフィールが気づかぬうちに、男性がすぐ横に移動してきた。そしてルクフィールの首の後ろに手を入れてひょいっと体を起こすと、「座れるのかこれ」と呟きながら手早く毛布を掛け直した。
「まあとにかく食えよ。そんなでっかい音がするくらい腹が減ってるんだろ」
突然のことに何も言えず、あわあわと慌てるだけのルクフィールの手にはいつの間にかフォークが握らされ、膝の上には薄切りにされた肉とパンの乗ったお皿が置かれていた。
ついでに「水はここな」と木のカップも横に用意されてしまっては、もうルクフィールの意識のすべては食べ物に限定された。
恐る恐る肉を口に運ぶと予想外に柔らかい肉質に驚いた。そして口いっぱいに広がる香ばしい香りがたまらない。
(こんなに柔らかいお肉いつぶりだろう……)
母が亡くなってからは肉は罠にかかった小動物をたまに食べるくらいで、普段は数日おきに取れる川魚ばかりだった。しかも肉は貴重だからと大半は保存用に加工するため、焼き立ての肉というのは本当に久しぶりだった。
コクリと飲み込み添えてあるパンもちぎって食べると、こちらもふわふわと柔らかくてバターの香りがたまらない。ルクフィールにとってバターは貴重品だ。当然バターの香りがあふれるパンなんて今までに数えるほどしか食べたことがない。
あとはもう夢中だった。
ひたすらに肉を食べ、パンをちぎり、咀嚼して飲み込んで、時々水も飲んで。いつの間にか皿に追加された肉も食べて、もうこれ以上は食べられないという頃になってやっとまともな思考が戻ってきた。
「お金持ってない……」
「ぶっは」
すぐ傍から聞こえたその声に、ルクフィールはバッと横を向く。そこには口元を押さえて横を向く男性が肩を震わせて座り込んでいた。
「あ、あの……うぇ……」
発言を聞かれたことを恥じればいいのか、ひたすら食べ続けたことを詫びればいいのか、もしくは彼が誰なのかを問えばいいのか。どうするのが正解なのかとルクフィールが顔色を変えておろおろしているうちに、男性は復活してしたようだ。
「あー、面白ぇ。子供のくせにまず心配するのが金とか、思考回路どうなってるんだよ」
「えっと、あの……すみません」
やはりどう答えていいのかわからなくて、とりあえず謝っておく。
「いや、いいって。そうだな、まずは状況確認から行くか?」
一人でうんうんと納得したらしい男性が、ルクフィールの膝の上の皿を回収しつつ話し始めた。
「まず体の調子はどうだ?」
「えっと、お腹がいっぱいになりました」
「ぶっ」
笑われた。
ルクフィールとしてはここ数カ月に感じたことのない満腹感に思わず口から出てしまったが、どうやら回答としては間違いだったらしい。
これは絶対に食い意地が張っていると思われているに違いない。赤くなる顔を両手で隠しながら震える声で訂正しておく。
「……大丈夫です」
「あー、うん。腹いっぱい食えるなら元気なんだろうな。内臓が無事で良かったな」
「……内臓?」
思わぬ単語に首を傾げ、そしてやっとルクフィールは目を覚ます前のことを思い出した。
売られて、襲われた。意識がなくなる最後の記憶は、大きな獣に襲われているところだった。
無意識に助けを求めた気もするが、まさか本当に助けが来るとは思っていなかった。だって今までも誰も助けてはくれなかったから。
それでも今自分が無事で食事ができるということは、きっとこの人が助けてくれたのだろう。
ルクフィールはそこまで考えると、きちんと座り直して相手に向き合った。まずはお礼と感謝を伝えなければ。
「助けてもらってありがとうございました。たくさん食べてしまったお肉もきちんとお礼をします」
金銭はほとんど持っていないから、作り置きの薬で何とかお礼になればいいのだが。
「あー、いや。きちんと現状認識ができるのはいいことだが、あんたを助けたのはどちらかというと後ろのやつなんで礼はそっちに頼む」
「後ろ?」
言われてから、もしや仲間がいたのかと慌てて振り返り。
そこにいた大きな獣の姿に、ルクフィールはびしりと固まった。
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