実はたんこぶは3つ
薬を届けに村長宅の裏口から入ったのは覚えている。
いつも通り出てきた人に薬を渡そうとしたのだが、今回はなぜか村長を待つように言われたのだ。しかもしばらく待つ間に飲み物と芋まで出された。
常に空腹を抱えるルクフィールにとっては、蒸しただけの芋はご馳走だ。たとえそれが少し細くても何ならちょこっと痛みがありそうな箇所があってもあまり問題はない。むしろ山の中に自生する芋だった場合は、掘るのに失敗して傷がつくなんていつものことだった。
そうして自らの食欲に勝てず、さらに朝食をダメにされたこともあり、ルクフィールは美味しく蒸し芋を食べたのだった。
ふぅ、と小さく溜息を零してルクフィールは回想をやめた。
おそらく芋と一緒に出された飲み物に睡眠薬が入っていたのだろう。あの時は思わずかぶりついた一口が思ったよりも大きく、のどに詰まらせそうになったから慌てて流し込んだのだった。
(自分の食い意地もだけど、一応薬師として薬物に気づかないなんて情けない……)
つまり現状は自業自得なのだろう。と、思ったがそれは違う。どう考えたってルクフィールに薬を盛った方が悪い。
生まれてからずっと暮らしていた村だったけど、ルクフィールの印象は最低のままさらに下向きに下がっていく。もはや下限などないくらいにぐんぐん落ちた。
そもそも生まれた時から自分に対して理不尽な言いがかりをつけ、村娘だった母を不義理だと貶め、それなのに母とルクフィールの作る薬だけは当然のように持っていくような相手にどうして好感が持てようか。村ごと無くなってしまえとは思わないまでも、せめてこの先一生薬に困りルクフィール達をぞんざいに扱ったことを後悔すればいいと、ひっそりと呪っておく。
そうしてひと際大きなため息をついた時、ガタリと音を立てて馬車が加速した。突然のその衝撃でまたもや頭を打ち付け悶えた。絶対にコブが増えた。
何やら慌てたような声が二人分聞こえる。叫ぶような声で「こんなところで」「逃げろ」という単語が聞こえるから恐らく何かに追われているのかもしれない。
こんな時慌てずに考えられるのは母のおかげだろう。何しろ普段から「どんな状況でもまず周囲の確認よ。自分が死んだら元も子もないわ」「出血だろうと腹痛だろうとまずは観察よ。間違った薬やもったいない使い方をしないようにね」「大抵のことはなんとかなるものよ。何とかならなかったら逃げちゃえばいいの」
聞きようによっては薄情でケチ臭い言葉だが、村の薬師が一人という状況では何より自分の安全が最優先になる。ましてルクフィール達は村から嫌われているのだ。どれだけ手をかけても助けられなかった時でも、執拗なまでに責任を負わされることがある。
要は自分でできる範囲で行動してダメだと思ったら逃げろ、ということなのだ。
そして今がまさに、ダメだと思ったら逃げるタイミングだろう。
売られたことに怒りはするが、あちらから村を出してくれたのだから戻る義理はない。元々いつかは村を出ていこうと考えていたのだから、それが突然やってきたというだけだ。
(今朝植えたばっかりの芋……こんなことなら種芋にしないで食べておけばよかった)
今年の種芋にするのだと去年泣く泣く保存した芋がもったいない。今夜食べる予定だった野菜たちも、保存庫に置いてある瓶詰め肉も、上手にできた燻製肉も、なんなら仕掛けに掛かっているだろう川魚も全てがもったいなくて泣けてくる。
こんな時でも思うのは大事な大事な食糧のことばかり。常に空腹を抱えるルクフィールにとって、食料確保は何を置いても死活問題なのだ。
そうしてひとしきり残してきた食料たちへの嘆きを終えると、ルクフィールはじっと自分の周辺を見つめた。
薄暗くて分かりにくいけど、自分の影が確実にある場所を見定めて両手を押し付ける。すると何の苦も無く、影の中に自分の手が沈み込んでいった。
(たしか小さいやつがあったはず)
子供の手でも隠れるくらいの極小さなナイフを探し出して取り出す。ちょっと行儀が悪いけど、と思いつつ誰もいないのをいいことに両足の裏で挟んで固定して手首の縄に押し当てる。
さすがに揺れが激しい中なので少しばかり自分の手も切ってしまったが仕方がない。ナイフを影に放り込み、代わりに傷薬を出してちょちょっと塗っておく。母自慢の傷薬はよく効くのだ。
「あとはこの檻だけど……」
上下は分厚い木の板で、それを支えるように四方が鉄の棒で囲まれている。一部だけ出入りができるようになっているが、当然のごとく鍵が掛けられている。
さすがに鉄が切れるような道具は持っていないし、小ぶりの斧で天井部分を壊せるとも思えない。
どうしようかと悩んでいると、ひと際大きく馬車が揺れて、その勢いのまま荷台が横倒しになる気配に慌てて頭を抱え込んだ。
人のうめき声。何かが暴れる音。壊される音。湿った草の匂い。錆付いた匂い。そしてガタガタと揺らされる不快感。
それらの刺激に促されるように覚醒したルクフィールの視界に移ったのは、檻の中にいるルクフィールを餌とみなして襲い掛かる獣の姿だった。
「うそでしょ……」
目覚めた瞬間が死ぬ直前だなんてあんまりだ。
幸いなことに檻が身を守ってくれているが、投げ出された衝撃と獣の勢いにギシギシと音を立てている感じからそう長くはもたないだろう。
痛みと恐怖で動かない体を無理矢理動かして、檻の隙間から地面に生えている雑草を引っこ抜く。檻が横倒しになっていて助かった。
(たぶんこれは苦そうなやつ)
名前も知らぬ草だが多分苦い。そもそも甘い草の方が少ないのだからきっと苦いやつだと信じて、思いっきり握りこんで力を加えてから獣の口に放り投げた。
グギャンッ!
口の中に入る異物に驚き苦痛の声を上げる獣は、通常の数倍の苦みと刺激臭を感じているのだろう。刺激を払いのけるように必死に頭を振り前足で顔を搔いた。
今まさに壊されるところだった恐怖は遠のいたが、今のうちに逃げなければすぐにまた襲い掛かってくるだろう。
投げ出され襲われた檻は全体的にひしゃげていて、なんとか子供が通れるだけの隙間が空いている。ルクフィールは怯える足を動かして檻から這い出たが、その瞬間にルクフィールの小さな体が吹っ飛んだ。
「ッくは……」
打ち付けられた体が痛い。どうやら獣が刺激臭から復活したのが早かったらしく、前足に付いた血をべろりと舐めているのが見える。
どこもかしこも痛いのに、意識だけはやけにはっきりと周囲の様子を見ているが不思議だった。
倒れた馬車からは木箱が散乱し、いくつかは中身が散らばっている。ルクフィールが入れられていた檻は歪み底板だろう部分がだいぶ削られている。動かない馬の後ろ脚の奥には倒れた人影のようなものが二つ見えた。
次は自分があの姿になるのだと、どこか遠い出来事のように思い浮かぶ。
だけど。
(ここで死ぬことが売られた結果なんて最悪……)
わずかに残っている意識が生きようと足掻く。しかしそれをあざ笑うかのように、刺激が落ち着いた獣がルクフィールを完全に敵だと認識してこちらを向いた。
「死にたく、ない……」
逃げたいのに、少しも動かない体に涙だけが浮かぶ。
逸らしたいのに、ぼやける視界の先で獣が大きく跳躍するのが見える。
「だれか」
ここには誰もいないと分かっているのに。
「 たすけて 」
人生で初めて助けを乞うた時、自分に跳びかかる巨体が突如視界から消えた。
その突然の出来事はルクフィールのぎりぎりの思考では理解できず、ただ何となくもう大丈夫だという気持ちが湧いてきて、フツリと意識が落ちた。
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