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穏やかな助け人

「その馬はあなたのものではないでしょう?」


 涼やかな声はざわめく現場にあっても、ストンと全員の耳に届いた。


 その声に誰よりも慌てたのは、騒ぎに乗じてその場を離れようとしていた男だ。

 何のことだと振り向いてから、見つめる相手の表情にハッと気づくがすでに遅い。振り返るその行動こそが自身に疚しいことがあると知らせるようなものだと。

「な、なにを言いやがる。この馬は俺が手に入れたモンだっ」

 しかし男だって問い詰められたからとすぐに手放すわけがない。

 今までだって機を見て、虚勢を張り、怒声と勢いで乗り切ってきたのだ。今回だってきっとその通りにできる。

 相手をよく見てみれば、背は高そうだが細身の優男。年もせいぜい20代半ばの若造だ。これならば力業でもかわせると踏んだ男は一気に強気に出た。

「見ず知らず相手にそこまで言い切るってんなら、証拠を見せてみろや」

 そう言い切る男と、ほのぼのと微笑を浮かべる青年。その場だけを見ていればどちらが悪人に見えるかは一目瞭然だろう。

「証拠ですか? それはないですね」

「ッハ。それでよく人様のモンに言いがかりをつけられたもんだ」

「ですが証言ならば、あなたの周りにたくさんいますよ」

「あァ?」

 何をおかしなことを言ってるんだ、この優男は。

 ここにいるギャラリー達が証言するというなら、さっきから言い出しているだろうに。

 男の表情がそう物語っているのは、ここにいる全員が読み取れたし、当然周囲にいる人々も同じ疑問を浮かべた。

「あなたには見えないし聞こえないかもしれませんが、ここ(・・)にいる妖精たちがしきりに嘘だと教えてくれているんですよ」

「なーにが妖精だ。そんなモンどこにいやが、る……っ!?」

 適当なことを言って誤魔化そうとしているのだろう。そう思った男はしかし、しっかりと相手を見直してようやくその異形に気が付いた。 


 ヒトとは違う尖った耳と虹彩の鮮やかな瞳。決して多くはないが、長命種として長く大陸に存在するヒトと同じ形をした亜人の一種。

「……エルフ」

「あ、知っててくれてるんですね」

 それなら話が早いです、とにっこり笑いかける青年を見て、男は焦ったように表情を変えた。

 エルフとは魔法を使う長命種というのが一般的な認識だろう。また精霊を使役しているという噂も聞いたことがある。

 だとすれば青年の言う妖精という存在も嘘ではないのかもしれない。

「妖精たちはいたずら好きですが嘘はつかないんですよ?」

 それはおとぎ話や童話でもよく知られることだ。

 『嘘をついた妖精は二度と妖精の国へ戻れませんでした』そんな一文はどの話でも出てくるほど有名だから、男だって信じてはいないが知っていた。

 そしてそんな未知の存在を突然出されたことで、男の威勢は一気に弱いものになった。


 一方の青年は一度男から視線を外し、未だに地面に座り込んで腕を掴まれているルクフィールに顔を向けた。

「ダビーさん、そんなわけでその()は無実ですよ。手を放してもらっていいですか?」

「お、あ、あぁ、そうか。ティーダさんが言うなら間違いねえな」

 どうやら二人は顔見知りのようで、「すまねえな嬢ちゃん」という謝罪の言葉と同時に、ルクフィールの腕はあっさりと開放された。

 この街に長く住むティーダは、人付き合いの良さとその外見も相まって知り合いが多いのだ。

 そんなことは知らないルクフィールは、2人のやりとりに取り合えずの危機は去ったのだと感じるが、まだ立ち上がれないままだ。久々に人の悪意に囲まれたショックは意外と大きい。

「さて、証言はあったわけですが、まだその馬を返してはもらえませんか?」

 再び男の方を向いた青年の声に、男の口からギリリと嫌な音が漏れる。

 男の計画では、この馬を手に入れたらさっさと街を出て、王都で馬を売る予定だった。

 すぐに追手がかかる街中ではなく、人の多い王都なら足も付きにくいと思っていたのにとんだ誤算だ。

 まずはこの場をどう乗り切るか、男が考えながらも視線を路地の奥へと移した時―――


「あぁでも、持ち主が探しに来たみたいですね」


 そんな声と同時に、男の背後から激しい羽音と衝撃が襲い掛かってきた。

「ぎゃあああっ」

 狭い路地いっぱいに羽を広げた猛禽類が、男の肩に鋭い爪で掴みかかり耳に嚙り付く。

「うわあああっ。やめろっ離せっ! 痛っっ!!」

 魔物の肉をも齧りとる鋭い嘴が掴んでいるとはいえ、男の耳はいまだに頭部から離れてはいない。そのことに気づけば猛禽類がかなり手加減をしていると分かるだろうが、男にそんな余裕はなかった。

 ただただ自分を襲う獣から逃れようと、手綱を手放し闇雲に腕を振り回すだけだ。


 その姿を見て、これ以上逃げることはできないだろうと判断した青年は、へたりこんだままのルクフィールの前にしゃがみ込んで視線を合わせた。

「君がジェイドの報告にあった娘さんだね。初めまして。僕は彼の仲間のティーディエル。ティーダって呼んでね」

 ティーダと名乗る青年の優しげな表情に、緊張していたルクフィールは幾分か落ち着いてきた。何よりも彼の口から出た名前に意識が集中する。

「ジェイドさんの、仲間……?」

「そう。『蒼海』っていうクランなんだけど聞いてるかな?」

 たしかジェイドに助けてもらった時に、その名前を聞いたような気がする。

 ルクフィールにはクランがどういうものかわからないけど、仲間というのだから何かの団体なのだろう。

 知っているという意味でコクリと頷くと、ティーダは「よかった」と呟いて手を差し出してきた。

「いつまでも座っているのは良くないからね。立てる?」

 確かに端の方とは言え大通りでいつまでも座っていては邪魔だろう。それに未だに成り行きを見守る人たちに囲まれているということに気づいて慌てて目の前の手を掴んだ。だけど。

「……え。……っえ!?」

 立ち上がろうとした膝からかくんと力が抜けて、もう一度地面に倒れると思った瞬間。なぜかティーダに抱き上げられていた。

「勝手に抱き上げてごめんね。でもまだ立てなそうだったから」

 そう言って軽々と腕に抱えられたルクフィールは、突然高くなった視界で周囲を見回すことになった。


(なんだか、いっぱい見られてるっ)

 元々囲んでいた人たちの外側に、騒ぎに気付いて集まってきた人が輪を描くように増えていた。その予想外の人数が怖くなって、ルクフィールは逃げるようにフードを被った。

 そんなルクフィールの態度をどう思ったのか、ティーダが慰めるように背を優しくたたいてくれる。

「ヴィットが来たし、すぐにジェイドも来るよ」

「…………ヴィット?」

「そう。さっきから悪い人で遊んでるそこの三つ目鷲の名前。ちなみにジェイドの従魔ね」

 そう言われて、そういえばまだ騒いでる声が聞こえていたなと思い出す。

 フードの影からそっと覗き見てみれば、路地の中で転がる男と、その背に乗って頭髪を抜いたり服の上から突いたりしている大きな鳥の姿が見えた。

「ぎゃあああっやめろ! 抜くな! 痛いっ!」

 男の方は必死に逃げようとしているのだが、立ち上がろうとするたびに鋭い嘴が膝裏を突いたり、耳を引っ張ったりしている。背中に乗っているだけでも結構な重量がありそうだし、その気になればすぐにでもとどめを刺せるだろう様子は、確かに遊んでいるように見えた。

 そしてそのことは周囲の人たちも分かっているのだろう。困惑しつつも特に手を出そうとする人はいなかった。




 そうしてわずかな時間。ルクフィールにもどうしようもできないまま騒がしい光景を見ていると、頭上から思いついたような声が落ちてきた。

「ああ。やっと来た」

 その声にルクフィールの意識が男から逸れる。それと同時に人垣の向こう側からものすごい勢いで走って来る人の姿が見えた。

 近づくにつれて判明するその姿が、別れてからまだ僅かの時間だというのに、ひどく安心できてルクフィールは泣きそうになった。









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