真っすぐ進むのが近道
すみません、遅れましたぁぁ!
朝日が昇る前に目が覚めたのは、今までの習慣のせいだろう。
目を開けて最初に見えたのが見慣れた天井ではなく、薄くなっていく夜と朝日が染め始める淡い色調だったことで、ルクフィールの思考が少しばかり混乱した。
(なんで、外……?)
昨日は薬草を探して森で夜を越したのだったか。それにしては完全に寝入っている自分が信じられない。
誰もいない森の中で休むことはあっても、意識はいつもピリピリと周囲を警戒しているはずなのだ。
おかしいなあ、と寝起きゆえのまとまらない思考を辿っていくうちに、ようやく昨夜のことを思い出した。
昨夜は林の中で野営をすることになり、ジェイドの手際の良さに何度も感心したのだ。食事だって作り立てのように温かく、残りの量を気にせずにお腹いっぱい食べることができた。
ジェイドに助けられてからずっと、空腹を長く感じることがほとんどない。いつの間にか渡されるパンや串焼きなどがどれほど嬉しかったか。
昨夜だってお腹いっぱい食べて、たべて……
(あれ?)
食べたことは思い出せたのに、その後の事がさっぱり思い出せない。もしかしたら自分は食べながら眠ってしまったのだろうか。
(そんなまさか子供みたいなっ)
疲れていたとはいえ、食事をしながら寝てしまうだなんて、子供どころかもっと小さな幼児のようではないか。
自分で自分の首を絞めるような考えに、ぶわっと熱を持った顔を両手で覆ってひとしきり羞恥に悶えた。
再び冷静になったルクフィールは、そこでやっと寒さを感じていないことに気が付いた。いや、顔は寒いのだけど、体全体がぽかぽかと心地いい暖かなのだ。
ぐるりと体に巻かれた毛布は確かに温かい。だけどこの時期の夜明け前の気温はかなり冷え込んで、毛布一枚ではとても暖かいだなんて思えないはず。
そういえば風も感じないな、と思い視線を横にずらしてみれば、なんだか毛皮の壁が見える。
黒いと思っていた毛皮は、昇り始めた朝日に照らされて紫紺の輝きを見せていく。
ぼんやりと色の移り変わりを眺めて少しずつ顔を上の方へとずらしていき、大きな目と視線が合って固まった後で、早朝の森に似つかわしくない悲鳴を上げた。
昨日と同じく黒妖種の鞍の前に乗り、落ちないように取っ手を掴むルクフィールの頬がぷくりと膨れている。
背中からルクフィールを囲い込むように伸ばされた手は手綱をしっかりと握っているけど、時折触れる背中は馬とは違う不規則な振動を伝えてくるからなかなか頬がしぼまない。
「まだ、笑ってるしっ……」
小さく抗議の声を出してみるけど、逆にそれが笑いを誘うらしくなかなか収まる気配を見せない。どうやらジェイドは笑い上戸のようだった。
確かに寝起きの悲鳴はルクフィールが悪かっただろう。
でも寝ぼけた状態で無くても、自分の手よりも大きな目と視線が合えば誰だって驚くと思うのだ。
そうして思ったよりも大きな声だったらしい悲鳴にガレムが驚き、ぶわっと何かが広がった気がして、ジェイドも慌てたように周囲を警戒したのだと後から聞いた。
「まぁ、確かに、目が覚めて、でっかい目玉が見てたら、悲鳴も上げるよな」
一応ルクフィールに寄り添うことを言っているが、ジェイド的にはルクフィールが悲鳴を上げたことよりも、ガレムが魔力を振りまいたことがおかしかったらしい。ぶわっと広がった気配はガレムの魔力だと説明された。
そしてガレムは気が付いたら消えていた。どうやら今は隠れたい気分らしいとジェイドが教えてくれたので、きっと恥ずかしい同士だ。
驚いて悲鳴まで上げてしまったけど、寒さを感じずに眠ることができたのはガレムのおかげだから、次に会ったらきちんとお礼を伝えよう。
そんな風にちょっとだけ騒がしい朝になったが、その後は昨日と同じようにジェイドがカゴを一つ取り出して朝食を食べ、一晩中燃えていたらしい焚き火もジェイドの指パチンで火を消し、あっという間に片づけが終わった。
カゴに入っていた小紅林檎は、黒妖種にあげると美味しそうに食べてくれた。今日もたくさん歩くらしいので頑張ってほしい。
そこからの移動は林の中をひたすら南東に向かって進むことになった。
昨日逸れた道に戻らないのかと聞けば、訳が分からないという顔で反論された。
「道? なんで迂回しなきゃならないんだよ。真っすぐ行けば近いだろ」
どうやら目的地まで続く道は緩く南に向かって迂回するように伸びているらしい。真っすぐに行けば近いというのは理解できたけど、普通はきちんと道を行くのだとルクフィールは知っている。
だって人の通らない場所は当然ながら道は無いし、歩きやすく草が刈られているわけでもない。幸い今の時期は下草も枯れているので見通しは悪くないけど、冬眠前の獣が最期のエサを求めて襲ってくる確率は格段に上がるだろう。
人が通る道を進むということは、そういった事態を避けるためでもあるし、何かあった時に助けを得やすいためでもある。つまりごく一般的な常識を持っていれば通らない。それでも道を外れて進むというのは、後ろ暗いことがあるか好奇心が強いのか腕に覚えがあると自負する者か。
(きっと最後かなぁ……)
助けてもらった直後に森の移動を経験した身としては、そこらの獣が襲ってきても返り討ちにしてしまうのだろうなと予想できた。
ガサガササクサクと落ち葉の積もる道を進み、昼前には林を抜けて再び草原に出ることができた。
視線の先に広がるのは、緩くうねりながらどこまでも続く草原と低木の茂み。道なき道を進んできたので当然街道らしきものは見当たらない。
先に休憩にするかと、晴れた草原を見渡しながら下ろされたルクフィールは、後ろを振り返ってから前を向く。うん。無事に抜けることができた。
やっぱり林の中では何度か襲い掛かる獣がいたけど、それらはルクフィールの視界の端の方であっさりと退場していった。
ジェイドは前回の「森の獣のお出迎え・問答無用ご退場編」での訴えをきちんと覚えてくれてたらしい。
なるべく遠い位置で倒され、さり気なく視界を遮られたおかげで、ルクフィールは無残な血しぶきを見ることが無かったので気持ち的にずっと楽だった。たとえ断末魔の悲鳴が聞こえようと水分の多い音が聞こえようと決して振り返らなかったので聞かなかったことにする。ちょっとばかり震えている足は、きっと長時間馬に乗っていたからに違いない。
そんな状況だったので、朝食から時間が空いたというのにルクフィールのお腹は空腹を主張することもなかった。仮にお腹が鳴って何か食べ物を出されてもきっと喉を通らなかっただろう。
その代わりに食べ始めてみれば思っていた以上に空腹だったらしく、串焼きもパンも焼き菓子もたっぷり食べて満足するのだった。
草原は見晴らしはいいが言い換えれば特に特徴のない、どこまでも変わらぬ景色だ。
早朝の早起きとお腹いっぱいの満足感に規則正しい揺れと温かい日差しが加われば、子供の体はあっさりと睡魔を連れてくる。
ぐらぐらと揺れていた小さな頭を押さえて少し後ろに倒すように押せば、抵抗することなくジェイドの腹に小さな背中が寄り掛かる。
ぷしゅーと寝息を吐き出すのと同時に体重が預けられるのを感じて、何故だか分からないがジェイドの中に満足感が湧き上がった。
本当ならばここから少し馬を走らせて足の具合を見てみようと思ったが、それはルクフィールが起きてからでいいだろう。寝た状態で走り出せば、きっとまた驚いて面白い悲鳴がきけるかもしれないけど、さすがにそこまで嗜虐趣味はない。
林の中を抜ける時も獣の始末を見せないようにはしていたが、そこに生じる物音までは防げなかった。
首を切り落とすたび、心臓を貫くたびに漏れ出る血と断末魔。
腕に囲った中でルクフィールがその気配を察して体をこわばらせるのを感じて、無性にイラつきと安堵を感じた。
(ガレムと同じでなんか気になるっていうか?)
わっかんねえなー、と呟く声は草原の乾いた風に流されて消えた。
予定では目的の街までたどり着くはずだったのに進みが遅い・・・




