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野営準備は数分で終わる

 ルクフィールが日陰に気づいて顔を上げると、すでに林の中の街道を歩いているところだった。突然の借金の存在にしばらく現実逃避をしてしまったらしい。

 きょろきょろと辺りを見回してみるが、特に珍しいものもないごく普通の木々の姿が高く伸びているだけだ。ついつい木の根元を見てしまうのは、薬草を探す癖のせいだろう。秋の終わりのこの時期ではあまり薬草の姿は見えないが、ごくたまに季節感を無視した新芽が出ている時があるので油断できない。

 そうしているうちにジェイドが進路を街道から外し、木立の中へと進めていくのに気が付いた。この先に何があるのか知っているかのように迷いがないので、ルクフィールも周囲の景色を覚えようと意識しながら木立の先を見つめる。

 そうしてしばらく進んだ先に見えたのは、小さな広場のような場所だった。数人用のテントを張ればいっぱいになってしまうくらいの小さな広場には切り株がいくつか見えるので、加工用に木を伐り倒した場所なのかもしれない。

「まあ、ここでいいか」

 辺りをざっと見まわして納得したらしいジェイドがするりと馬から降りてルクフィールも下ろしてくれる。馬の背はルクフィールの頭よりも高いので、飛び降りるにしても結構な高さがあるため有り難いい。

「ここで、野営ですか?」

「そ。これくらいの広さがあれば十分でしょ」

 確かに二人で野営をするならば十分な広さだろう。と思っていたらいつの間に現れたのか、すぐ横にガレムが立っていてルクフィールと黒妖種は飛び上がって驚いた。

「うひゃあうっ!」

「なんだ。からかってるのか? あんまり嬢ちゃんたち驚かすなよ」

 ジェイドはガレムがいることに気づいていたのだろう。驚くどころかその登場でルクフィールをからかっているのだと笑っているが、驚かされた方にしてみれば笑えない。ばっくんばっくんとうるさい心臓のあたりを抑えながら、ちょっとだけ涙がにじんだままジェイドを睨んで抗議した。

「こ、こういうのは、嫌です。びっくりするじゃないですかっ」

 短い付き合いだが、このくらいではジェイドは怒らないとなんとなく判断できるようになった。むしろ少しくらいはっきりと伝えないと真剣に受け取ってもらえないのだ。

 現に今もルクフィールがしっかりと視線を合わせることで、本気で嫌だったのだとわかってくれたような気がする。

「そうか。子供には刺激が強いのか。次は驚かさないように言っておく」

 若干ズレた返答のような気もするが、ルクフィールの心の安寧の為にも従魔の管理はしっかりとしてもらいたい。

 一方、同時に驚き警戒色をにじませていた黒妖種は、ガレムのひと睨みで大人しくなっていた。

 これは自分よりも明らかに強い存在を前にして、本能的に従う事を選んだようだった。この群れのボス(ジェイド)とその次の存在をしっかりと認識した黒妖種は、おごることなく大人しくその場で顔を伏せたのだった。




 野営の準備といってもルクフィールがすることはほとんど無かった。

 ジェイドは切り株の一つに腰を下ろすと足元の影に手を突っ込み、ポイポイと薪を取り出して山を作り、指をパチンと鳴らして火をつけたのだ。

 あっという間に出来上がった焚き火にルクフィールは唖然とする。火を興すための道具はあるが、野営準備ではまず枯れた枝を探すのに手間がかかるものなのだ。なのにそれがほんのわずかな時間で終わってしまったことに自分の常識の違いを思い知らされた。

(薪を持っておくって便利なのね)

 他にどんな感想を持てばいいのかわからなくて、ちょっと的外れなことを考えてしまった。

 ちなみに野営のために誰でも薪を持ち運んでいるわけではないという常識は、もう少し後になってから知ることである。

 火の準備ができたなら次はどうしようかとジェイドを振り返ったルクフィールは、またしても自分の知らない光景に思考を止めることになる。

 ジェイドは街で買ったカゴを全て取り出し、中の荷物をこれまたポイポイと入れ替えていたのだ。

 四つのカゴに入っているのは、串焼きと珍味焼き、山盛りのパン、山盛りの果物、山盛りの焼き菓子、ぎっしり詰まった酒瓶。それらを少しずつ入れ替えていき、ほんのわずかな時間ですべてのカゴに均等に食料が詰められていた。


 ジェイドは満足そうに頷くと、一つを残して四つのカゴを再び影に仕舞いこんだ。

「メシにするぞ」

 入れ替えの様子を眺めていたルクフィールはなるほどと感心した。こうやって分けておけばカゴを一つ取り出すだけで食事の用意が楽になる。

 ついでとばかりにジェイドが取り出したのは水が入った瓶で、それを軽い動作でルクフィールに渡してきた。

「嬢ちゃんに酒は早いからな」

 確かに子供に酒を与えるのは良くないだろう。そういった分別をちゃんと持っているのだと再認識して、ルクフィールは有り難く瓶を受け取った。

そういえば黒妖種のエサはどうしたらいいのだろう。

 特に手綱を結ぶこともなく降りた状態で放置されていた黒妖種だったが、逃げ出すことなく近くの下草をもしゃもしゃと食べていた。

 どうやら賢いという話は本当のようだ。ジェイドとガレムの力を認識した後はここにいる方が安全だとちゃんと分かっているその様子に、ルクフィールはなんだか拍子抜けしてしまうのだった。


 ルクフィールも焚き火に近い切り株に腰を下ろし、カゴの中から串焼きを一つ取り出した。パクリと食べてみるとまだほんのりと温かい。そのことでどうやらジェイドの影収納は時間経過が無いか、とても遅いものらしいと気づく。

(私の収納はちょっと時間が遅くなるから、やっぱり似た力なのかな)

 ジェイドは隠すことなく能力を使って見せている。

 隠すようにと言われルクフィール自身も村の中で決して見せることのなかった能力は、村から出てしまえば隠すほどのものではないのかもしれない。

 街でも感じたことだが、自分がいかに世間知らずだったかと自覚するのは結構こたえるものだった。

 そうしているうちにあっという間に一本目を食べ終わったルクフィールは、次にパンを取り出した。色々なパンを買っていたので、さっき食べたのとは別のものを選んだのだ。

 楕円形に焼かれたパンはルクフィールの手二つ分ほどの大きさで、かじってみると中からチーズとソーセージが飛び出した。噛み応えのあるパンと一緒にまろやかなチーズと少し辛めのソーセージが口に入ると、何とも言えない幸せな味がした。

 ルクフィールにとってソーセージは贅沢品だ。自分では作れないし、村で加工したものはなかなか買わせてもらえなかった。年に数回、薬代の代わりに渡されることがあったのを、母と大事に食べたものだった。

「なんでも美味そうに食うな」

 呆れたような声も今は聞こえないふりをする。だって美味しいのは本当なのだから、顔に出たっていいじゃないか。

「だって、これ、すごく、おいしい、でしゅ」

 食べる方が忙しくて噛んでしまったような気がするが気にしないでほしい。


 そうしてじっくりと味わったパンを食べ終えて、見慣れた果物をいくつかつまんで、ようやくお腹がいっぱいになってきた頃には、ルクフィールの意識が朦朧とし始めた。

 馬に乗っての移動は慣れていないなら大人でも疲れるものだ。しかも昨夜から移動と買い物でほとんど休んでいないことで、ルクフィールの体力に限界が来たのだろう。

「あ、ちょ、まだ寝るな! 落ちるっ」

 なにを慌ててるんだろうと、ジェイドの焦る声を聞きながら、空になった瓶がルクフィールの手から落ちた。

 その便を拾おうと手を伸ばし、そのまま倒れそうになるルクフィールを防いだのはマントを咥えたガレムだ。ルクフィールはすでに夢の国へと旅立っていた。

 ため息を一つついたジェイドは、取り出した毛布でルクフィールをグルグルに巻き、寝転ぶガレムのお腹のあたりにそっと置く。

「後は頼むなー」

 こっちはもう少し晩酌を楽しむのだと、ジェイドは珍味串を取り出して酒を煽る。

 ガレムが気に入った少女なのだから、放り出すことはしないだろう。むしろ冬を目前とした森の中で凍えることなく寝るのには、ガレムの傍が一番温かい。


 久方ぶりに味わう根無しモグラはクセが強く食べる人を選ぶが、一度ハマるとこのクセがたまらないのだ。運よく見つけた酒もこのクセに負けず風味が強い。

 この味が分かるのが大人だよな。と誰に言うともなく飲み込んだ後で、ジェイドは食べ終えた串を焚き火に投げ入れた。







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