にらめっこの外側でお話
ルクフィールが二回目に転んで擦りむいた手の平を洗わせてもらっている間、ジェイドは馬屋の許可を得て黒妖種の馬と正面から対峙していた。
ルクフィールのマントをくわえたままだった馬は、ジェイドが間に入り威嚇するまで離さなかったのだ。
傍目には互いに睨み合っているようにしか見えないが、一人と一頭の間では何らかのやり取りがされているらしい。腕を組んだジェイドの指先が、時折苛立っているように腕を叩いているのが見えた。
「そういえば、テイマーだって言ってたっけ」
確か初めに紹介されたときにそう名乗っていた。
ルクフィールが知っているのは『テイマーは何らかの方法で獣を従わせる』というくらいだけど、もしかしたら今のように向かい合うことで従わせる何かをしているのかもしれない。
「なに。彼はテイマーなのかい?」
「えと、たぶん?」
ルクフィールの呟きを拾った馬屋が驚いたようにこちらを向くが、はっきりと肯定するほどにはまだジェイドのことを知っていないため曖昧な答えになってしまった。
「そうかそうか。テイマーの中には契約獣と意思の疎通ができる者もいると聞くが、もしや彼もそうなのかね」
「さあ。どうでしょう? あまりよく知らなくて……」
「うんうん。自分の能力をひけらかさないのは冒険者にはよくあることだ。なにせ下手をすれば弱点を知られることになるからなあ」
自分ができることを自慢するということは、その逆が不得手であると相手に知られることになる。もしくはできないことを推測され弱点を狙われる可能性があるということか。
なるほど。確かにその考えは分かるかもしれない。
ルクフィールだって自分の影能力のことは母以外に話したことがない。知られたら面倒になるだろうとは思うが、そのことで自分にどんな影響が降りかかるのかまでは想像できていなかった。
それはさておき。未だに終わりそうになりジェイドと馬の様子を見て、ルクフィールは隣に立つ馬屋に話を聞くことにした。
「おじさん。あの馬のこくようしゅってどんな意味ですか?」
「お嬢ちゃんは知らないか。馬好きの間じゃ有名な種類でな、見た目良し、能力良しの最高馬の一種だ」
馬屋は馬のことを聞かれたのが嬉しかったのか、その後も子ども相手に色々なことを話してくれた。
黒妖種とは魔力を持つ馬の中でも特に黒い毛並みが美しいものを指すそうだ。艶のある漆黒の体毛と、闇色の鬣と尾。さらに瞳の色は馬の持つ魔力量によって色が変わるらしい。
目の前にいる馬の瞳は淡い青だ。これは中位の魔力持ちの特徴で、魔力が増えるほどに濃さを増していくそうだ。
魔力持ちの動物は総じて知能も高く、黒妖種と呼ばれる馬もその例には漏れない。個体差はあるがある程度の人語を理解し主を自分で選ぶこともあるというのが定説だ。
「魔力持ちは全部魔獣かと思ってました」
ルクフィールの育った環村には知能の高い家畜はおらず、魔力持ちはすべて魔獣として駆除の対象になっていた。
「そういう考えはどこでもあるもんさ。人間を攻撃してくるやつは全部魔獣だってな」
黒妖種の馬が魔獣として扱われないのは、彼らが人を攻撃するのではなく共存しているからだ。逆に人を敵とみなして攻撃する黒妖種は害獣とされて討伐対象になるらしい。
「それに主として認められたら何とも頼りになるしなあ」
魔力があるから攻撃ができ、一般的な馬よりも足が速い。さらに見目も良いとなれば、確かに人気もありそうだ。
だというのに元飼い主はそんな馬を傷つけ売り払ったという。
「前の飼い主の人はよっぽ価値を知らない人だったんですね」
「そうだな。きちんとした価値のわからんやつの元にいたなんて、可哀想なこった」
自分で話すことができない生き物相手なのだから、しっかりと理解しなければその価値も半減するだろう。
たぶん元飼い主も優秀で人気だという噂を元に手に入れたが、自分を主と認めなかったことで気分を害したのだろう。
知能が高いということは、主にふさわしくないと思われれば見切りをつける事もあるということだ。正しい価値を知らないものにとって、それは文字通り宝の持ち腐れになる。
(そう考えると、あの馬ってものすごく賢いんじゃないのかな?)
いまだに睨み合っているのがその証拠ではないだろうか。
ちなみにずっと同じ体勢で動いていない一人と一頭の姿は、理由を知らなければかなり異様な光景に見える。
「ねえおじさん。他にも魔力持ちの生き物っているの?」
ルクフィールは終わりの見えない待ち時間を有効に使うことにした。だって待っているだけは暇なのだ。
「そりゃ色々いるさ。有名なのは魔狼だな。こいつは猟師の相棒に人気だ。あとは魔鳥だがこいつらは種類が多い。小型は伝令系に、大型は運搬系に使われることが多い」
その他にも魔牛は農業に、魔羊はその毛が特殊加工用の毛糸になるという。
「たくさんいるんですね」
「魔力なしの普通のやつらに比べると値段も高いが、それ以上の能力があるからな。特に伝令系の魔鳥なんて通常の数倍の速さで飛ぶらしいから、お偉いさんのとこじゃ必須らしい」
お偉いさんとは貴族とかの偉い人のことだろう。ルクフィールはあったこともないし、どんな生活をしているかも知らないが、偉そうな人なのだろうとは思う。
国外れの滅多に外部の人が来なかった村だが、年に一度は領主の代理だという人が来ていた。もちろんルクフィールは会ったことなどないし、会わせてもらえると考えたこともない。だけどその代理人が来たときは村の中がなんとなく緊張しているのを感じたし、帰った後には村長の愚痴が聞こえてきた。
そんなわけでルクフィールにとって偉い人というのは、すごく偉そうで無茶を言う迷惑な人という認識だった。
そうこうしていると、やっとジェイドの方が終わったらしい。
何とも言えない不機嫌そうな顔をしながら戻ってきたジェイドの後ろから、黒い馬がカポカポと追ってきた。
「コイツすげえ頑固だわ」
ぐしゃぐしゃと長い前髪をかき混ぜる姿はどこか悔しそうだ。
「お話終わったの?」
「ああ。話っつーか願望の押し付け合いみたいな? なんて言うか意地の強いほうが言うことを聞かせられるみたいな感じ?」
よくわからない。つまりやはり睨み合っていたのだろう。
「つーことで、おっさん。こいつ貰うわ」
言葉と共にジェイドが小さな袋を投げ渡すと、馬屋が慌ててそれを受け取り中身を見て驚いた。
「こんなに……そいつは黒妖種ですが傷モンだ。この金額じゃこっちは助かるが高すぎますよ」
「鞍込みでそんなもんだろ。ちょっと買い物行ってくるから鞍と手綱着けといてよ」
強引な言い様に何度かジェイドと袋を眺めていた馬屋だが、どうやら納得したらしい。馬屋としても売れないけど高価な馬は扱いに困っていたのかもしれない。
素早く気持ちを切り替えて鞍を用意しに行った馬屋の背中を追っていると、不意にジェイドに抱えられた。
「え」
「出発前に買い物行くぞ」
「買い物?」
「そ。嬢ちゃんがたくさん食うからな」
そう言ってニヤリと笑われたことで、ルクフィールは違うと言いかけて、でも間違っていなくて頬を膨らませた。
柵から遠ざかる二人の姿を目で追っていた馬が、ゆらりと機嫌がよさそうに、一度だけ尻尾を動かした。




