セールス電話
その日は仕事が早めに終わったので、ベッドの上に寝転がってテレビゲームをしていました。
遊戯王マスターデュエルというカードゲームです。私は当時、一番レア度の低いノーマルカードのみの縛りで作ったデッキを愛用していて、下の方のランクでダラダラ遊んで勝ったり負けたりしていたのです。突然響いたスマホの音に我に返ったのは4戦目が始まった辺りでした。対戦途中でしたが止む無く電話に出ると、
「××ファイナンスの○○でございます」
若い女性の声でした。話を聞いているとどうも投資系のセールス電話のようです。「××ファイナンス」の××には聞き覚えがありました。××は私がクレジットカードを作った(クレジット会員が一番安いので)ガソリンスタンドの会社名と同じでしたので、その関係で電話してきたようです。私はうんざりして、まともに対応するのもアホらしくなりました。半分ゲームに意識を向けながら、適当に空返事しながら断りを入れるタイミングを計ります。「ファイナンスサポートといったら有料とお考えの方も多いと思いますが、無料ですのでご安心ください」「はぁ」「お客様の資産運用を専門家が誠心誠意を持ってサポートさせて頂くプランとなっております」「はぁ」
興味がないし、あったとしても他人の平穏な時間に勝手に割り込んでまで利益をかすめ取ろうとする商魂汚らしい場末の企業に頼む事は絶対無い。とでも言ってやりたい所でしたが、対戦にも意識を割かなければならないので適当に受け流しつつ、断りを入れるタイミングを探る事にしました。しかし、相手も手慣れているのか、なかなか断りのタイミングがやってきません。ずっと俺のターンよろしく言葉の雨を途切れなく吐き出して来ます。対戦に集中したい私は辟易させられました。何の因果があって、人を飯のタネとしか考えてない無礼な輩に平穏な時間を邪魔されなければならないのでしょう。大体、こういう仕事を作り出した連中だってたまの休みにセールス電話がかかってきたらいい思いはしないでしょうに。そう考えたら段々とイライラが募って来たので、「ふわぁ」「ふわぃ」と空返事の空度合をヒートアップさせていきます。ついでにコントローラーを片手で操作し、牽制目的の罠カードをセットし、盤面に意識を向けます。対戦相手も私もお互いに攻め手を欠いているようです。ジリジリとしたにらみ合いの中、疾走感溢れるBGM。高鳴る緊張。さて、どう動くか……とか考えていると、「お客様がファイナンスサポートにお望みなのはどういった点でしょうか?」やっと女性の語尾が疑問形で途切れ、区切りがついたようでした。千載一遇のチャンスです。私は文脈をぶった切るのを承知で思い切り間抜けな「いいでーす」を発し、本命の罠カード「イタチの大暴発」をセットしていきます。それから少しの沈黙がありました。
「あの……お客様のお役に立てるサービスなのですが……本当によろしいのでしょうか」
女性の声は小さく震えていました。何とか気丈に振舞おうとしても、堪え切れず震えていました。それは本当の哀しみでした。少なくとも当時の私にはそう思えました。「よろしいのでしょうか」という縋るような声が、頭から離れませんでした。女性のそれまでの人生が、私の頭の中で走馬灯のように映し出されていきます。夢を抱いての上京、都会の排気ガスに蝕まれ擦れていく心、理想と現実のギャップ。それでも希望を捨てずに内定を勝ち取った企業はブラック企業で、心を殺して嫌がらせのようなセールス電話を掛けさせられ、人の欺き方が下手だと怒鳴られる。辞めようにも奨学金の返済が重い負担としてのしかかる。その日も上司に怒鳴られ、ノルマを達成するまで帰さないと釘を刺される。何度電話を掛けても冷たくあしらわれ募る焦り。そんな折、いかにも気の弱そうな私の声が電話口に出る。これはチャンスと意気込むも、返ってきたのは冷酷な「いいでーす」。場違いに疾走感溢れるゲームBGM。流れているのが悲愴なBGMだったら、あるいは私の「いいでーす」の伸ばし方がもう少し短かったら、私が気の弱そうな声が期待値を高めていなかったら、女性は哀しむ事は無かったかもしれない。不安定になっていた彼女の心に、私が止めを刺してしまったのかもしれない。そう思うと、俄かに自分が不誠実で酷い奴に思えてきました。実際、私は薄情な奴です。哀しみというものをいつの間にか喪ってしまいました。私にあるのは達観した憂鬱と冷めた自嘲と少しの苛立ちだけです。そんな哀しみも心も無い私のような人間が、心を持つが故に哀しむ事が出来る彼女をふざけ半分で傷つけてしまったのではないか……。傷付けた上で平然とゲームのコントローラーを握り、場違いなBGMを垂れ流し続けているのではないか。確かに、彼女は私の平穏な時間を自分の飯のタネの為に邪魔したかもしれない。しかし、私のやっている仕事はどうなのか。誰かの役に立っているかどうかはどうでも良くて、別に無かったら無かったで何とでもなるよくわからない物の生産に惰性で関わり、法律に明らかに反していない限りは倫理もへったくれも無く、ただ怒られるか怒られないかだけしか基準が無い。そう考えると、私のやっている事も彼女と大して変わらないのではないか。ただ彼女には心があるので、私と違って哀しむ事ができてしまったのではないか。そして彼女を哀しみの淵に突き落としたのは、私の心無い「いいでーす」かも知れなかったのです。
後悔に暮れる私に、一つのアイディアが浮かびました。「あ、やっぱり興味あります」と言って、資料請求だけ頼んでしまうのです。そうすれば多少は女性の哀しみを癒す事が出来るのではないか……そのアイディアは一種の情熱を伴っていました。しかし一方で、こんな仕事とっとと辞めた方が彼女の為にも良いのではないかという想いもありましたし、本当の哀しみというのは私の思い込みでただのウソ泣きかもしれない、ここで私が流されれば人の同情を利用する最低の悪徳商法の流布に一役買う事になってしまうかも知れない、という気持ちもありました。……一時迷った末に私は決断しました。「いいです」となるべく心を込めて、肯定の意味を込めるつもりで声を伸ばさず返しました。それが私にとっての精一杯でした。
「……そうですか。……かしこまりました。貴重なお時間をありがとうございました」
女性の声はまだ震えていました。私は「はい」とだけ返し、ぶつ切りにならないよう注意しつつ電話を切りました。……これで良かったのだろうか。やりきれない思いでしたが、対戦相手を待たせる訳にもいかないので私はゲームを続行しました。その対戦の勝敗については憶えていません。