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短編

透明高速道路

作者: 相浦アキラ

 あの頃の僕は10歳くらいだったと思う。鹿児島のおばあちゃんの家に里帰りして埼玉の家にUターンする車旅の途中。家族でホテルに泊まった。いつもおばあちゃんの家には飛行機ですぐ着くので、ホテルに泊まるのは久々だった。ホテルは新しくて、家ともおばあちゃんの家とも全然違っていて、僕は何だか嬉しくなってキョロキョロ広い部屋を見回していた。何もかもが物珍しかった。行き交う車のヘッドライトが映える小さな窓、きっちりシーツに覆われたふかふかのベッド。棚は真鍮製で豪華な金色に輝いている。中でも僕の目を引いたのは、机の上に置いてあるパソコンだった。今じゃ見ないようなずっしりしたブラウン管モニターで、キーボードもついていた。場所は忘れたけど、どこかにパソコンの機能が横並びのアイコン付きで印字されていたのを憶えている。ゲーム、計算、文書作成、占い等々……様々な機能があるようだった。……一体どんなゲームができるんだろう。どんな占いができるんだろう。黒く沈んだパソコンの画面に僕は無限の可能性を見出していた。……しかし、一つ問題があった。立方体のパソコン本体にはコインの挿入口があった。説明によると100円玉を入れたら電源が入って、1時間使える形式らしかった。僕は臍を噛んだ。お母さんはケチなので、「ダメ。お金がもったいないでしょ」とか言うのが目に見えている。それでも僕は諦めきれず、「お母さん! これやりたい!」と必死の思い出頼み込む。しかし、


「100円……? ダメ。お金がもったいないでしょ」


「もったいなくない!」


「あんたゲームがやりたいだけでしょ」


「違う! 違うって! お母さんお願い!」


 お母さんは縋る僕を無視して、お茶の準備を再開してしまった。取りつく島も無かった。


「ねぇヒナちゃん! ヒナちゃんもパソコンしたいよね!」


「やだ」


「でもゲームもあるよ!」


「やだ」


 妹のヒナは頬を膨らませて、顰め面を崩す事は無かった。ヒナは連日の車旅ですっかり疲れ切って不機嫌になっているようだった。僕はヒナを諦めて最後の手段、ベッドのお父さんに向かった。


「お父さん! お父さんこれやりたい!」


「……うんんんんぅ。お父さん今疲れてるから……寝かせて」


 お父さんは服も着替えずにベッドに突っ伏していた。当時お父さんは新車を買ったばかりで張り切って車で里帰りする事にしたようだけど、すぐに後悔していた。しかし途中で飛行機に乗り換える訳にも行かず、鹿児島から埼玉まで殆ど休憩せずに車を走らせてきた。ヘトヘトになるのも無理はない。でも当時の僕にはお父さんの心情を慮るだけの余裕が無かった。「お父さん! お父さんってば!」皮下脂肪で柔らかくなった腰をゆすってお父さんの安眠を妨害していていると、「コラ、隆史。お父さん疲れてるでしょ」とお母さんに怒られてしまった。「お母さん! お願いだから!」とお母さんに全身全霊でおねだりするも、知らんぷりされた。やはりどうにもならない。


 万事休す。僕は一気に気分がガタ落ちし、何もかもが嫌になった。ピカピカの部屋を見ても何とも思わなくなったし、むしろ憎らしい程だった。それでも黒いブラウン管の画面を湛えたパソコンだけが変わらず魅力的で、その事実が余計に僕の胸を締め付けた。僕は、一生このパソコンで遊ぶことができない。そう考えると全て何もかもがどうでもよくなってきた。とにかく早く帰りたくて仕方なかった。


「明日は透明高速を通るからね」


 僕の絶望を察知してか、お母さんの声は心なしか優しかった。でも僕はどうでもよかったし、お母さんが嫌いになっていたので何も答えなかった。「ケチケチババア」と心の中で毒づきながら、ただただ俯いていた。


 ◇


 次の日も車は高速道路を進んでいた。渋滞にはまっていたようで、車は遅々として進まなかった。僕はウトウトしながらも、相変わらずホテルにあったパソコンの事を考えていた。お母さんの言う通り、僕はゲームがやりたかった。でも、他の奴もやりたかったのも確かだ。いろんな機能を試して、どんな感じになるのかやってみたかった。きっと、僕には使いこなせない難しい機能もあっただろう。それでも良かった。むしろその難しさにこそ、僕はわくわくしていた。そして難しさを味わいつくした後に、またゲームをやって遊ぶんだ。その圧倒的落差は、僕にとってどれほど心地よかったことだろう。一体、どんなゲームなんだろう。どうやって機能を切り替えるんだろう。僕は想像力を掻き立てられていた。多分、ゲームはシューティングゲームだろう。機能一覧のアイコンには戦闘機みたいなマークがあってその下に「ゲーム」と書かれているので間違いない。どんなシューティングゲームなんだろう。ウトウトしながら、僕は思い描いていた。きっと、今までになかったようなすごいシューティングゲームだ。倒した敵を仲間に出来たり、能力をコピーできたら面白そうだ。そうだ……きっと、そんな感じだ。変身して一定時間戦艦になる事も出来て、それで敵のボスと戦ったりするんだ。そしたらボスが戦闘機を射出して素早い動きで集中砲火を浴びせてくるので、僕も負けじと戦闘機を出して戦う。戦闘機同士がセミオートで戦い、互いの戦艦の放ったレーザーと弾幕が飛び交う重厚なバトルが始まる。僕はライフ差がつくのを覚悟でまず対空砲を駆使して戦闘機を一つ一つ落として行き、数的有利を作り出す。……大分ライフが削られたが、狙い通りになった。肉を切らせて骨を断つだ。戦闘機がいなければ、お前の鈍重な攻撃は簡単に見切れる! 後は慎重に立ち回って、最後に必殺極太レーザーで止めだ! やった! ボスを倒した! ああ……でも虚しいな。こんなのただの妄想じゃないか。僕はあのパソコンで遊べなかった。遊べなかったんだ。大人になってからじゃダメだ。昨日やりたかったんだ。 ……夢か現か、そんな風にうとうとと考えを巡らせていた僕は、ふと目を覚ました。


 車の中も外も大分暗くなっていた。カーラジオのデジタル時計を見るともう8時だった。道沿いの木々が、がけ崩れ防止のワッフルみたいなコンクリートの坂が、目まぐるしく流れていく。渋滞は抜けられたようだ。妙に冴えた頭で窓の外をじっと眺めていると、おかしな事に気付いた。窓の外景色が、少し傾いている。斜めになっている。坂道という訳でもなかった。まるで車の前方が浮き上がっているような……。奇妙なことはそれだけでは無かった。地面より少し上に等間隔の光が浮き上がって、車とちょうど並行に列を作っている。目を擦ってみても、傾きは益々酷くなっていく。光の列も変わらず車と並行に続いていく。更に驚いたことに、明らかに地面の道路が遠ざかっていた。……まるで、車が浮かんでいるような。いや、そんな訳がない。車が空を飛ぶなんて、そんな事はあり得ない。僕だってそれくらいの分別はつく。しかし、僕があり得ないと思っている間にも、どんどん地面が遠ざかって行った。どう見ても飛んでいる。空に浮かぶ光の列に沿う様に、空を飛んでいる。アスファルトの道も、流れる車のヘッドライトも、薄汚れた灰色のワッフルも、木々も見る見る小さくなっていく。もう、疑いようが無かった。


「飛んでる!! 飛んでるじゃんこれ! なんで飛んでるの!?」


 最早パソコンの事なんてどうでもよかった。車が空を飛んでいる。その車に僕が乗っている。それだけがすべてだった。しかし、お母さんははやぐ子供をあやすように鼻で笑うばかりだった。


「あんた何言ってんの? 車が空を飛ぶ訳ないじゃない」


「でも飛んでるよ! これ絶対飛んでるじゃん! すごいよ!」


「だから言ったでしょ。透明高速だって」


「え……?」


「飛んでる訳じゃないの。道路が透明だからそう見えてるだけ」


「透明……?」


「そう。透明の高速道路だから透明高速っていうの」


「でも、すごいよ! ほらヒナ! 見て! すごいよ!」


 チャイルドシートで項垂れるヒナの肩を揺すっても、ぐっすりで起きる気配は無かった。


「コラ! やっと寝たんだから起こさないの!」


「でも……! 空飛んでるんだよ? ヒナも見たがってるよ!」


「だから飛んでないって言ってるでしょうが! いいから寝かせときなさい!」


 僕は渋々窓の外に目を移した。景色は一段と小さくなっていて、山や谷がうねっている姿が見えた。まるでミニチュアのように感じられた。どう見ても飛んでいる。普通の高速道路は、いつの間にか途切れていた。


「ほんとに飛んでないの?」


「飛んでないって。ほら、前を見てみなさい。光がポツポツあるでしょ? ガイドビーコンって言って、これが車線になってるのよ」


 フロントガラスに顔を向けると、確かに綺麗な光の粒子が等間隔に5列並んでいて、高速道路のようになっていた。お父さんの車は光の作り出した車線を普通の高速道路を走るのと同じように、整然とエンジン音を立てて走り続けていた。やがて後ろから高そうなスポーツカーが猛スピードで追い抜いてくる。時折うねりながらもやはり光の列の間の車線にキッチリ挟まって、闇夜に向かって小さく遠ざかっていった。こう見ていると、やはり空を飛んでいる訳ではなさそうだ。僕はちょっとガッカリしながらも、「……でも空を飛んでるみたいだよね?」とお母さんの後姿に投げかけた。しかしお母さんは「まあそうね」と興味無さそうに吐き捨てるばかりだった。

 僕は心が冷めていくのを感じながらも、後部座席の窓から小さな世界を眺めた。やっぱり飛んでいる! という驚きはあったけど、それも一時的でやがて冷めていく。暫くすると、すぐにどうでもよくなっていった。

 ……やっぱり、車が空を飛ぶなんてありえない。そもそも飛行機だって空を飛ぶんだから、車が空を飛べてもそんなに驚く事じゃない。いや、そもそも飛んでないし、道路が透明というだけの話じゃないか。なんでこんな事ではしゃいでいたんだろう。まるで馬鹿みたいだ。僕は一気に白けてしまっていた。

 やがて車は光の列を追うように高度を落とし、普通の高速道路に着地した。そしてそのまま、何事も無かったかのように高速道路を走り続けた。


 ◇


 次の日家で目を覚まして、朝食のフレンチトーストを食べながら、僕は昨日の透明高速の事を思い出していた。あれは多分、夢だったんだろう。透明の高速道路なんてある訳がないし。もし現実だったとしても、別に大それたことじゃない。そんな事より、僕にとって重大なのはホテルにあったあのパソコンで、あの時遊べなかった事だ。ゲームで自機を強くしまくって、作戦とテクニックを駆使してボスを倒したり、占いに一喜一憂したり、文章作成機能で悪戦苦闘したり、またゲームしたり……そういう人生で一番肝心な事をやりそびれた事だった。それと比べたら、透明高速の事なんかどうでもよくなっていた。




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― 新着の感想 ―
[一言] しいなここみさんのスコップエッセイから伺いました。 東名高速→透明高速! オシャレですね(´ω`*) 子どもの時の、今じゃなきゃ意味がないという気持ちにすごく共感します。 心のどこかでは仕方…
[良い点] ちょうど今、東名高速を走っていますが、これが透明だったら……と想像してしまいました。たぶん、怖い。でもすぐに慣れるのかな? 慣れたら珍しくもなくなっちゃうのかな? [一言] なんでも知って…
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