言葉遊び世界‐ダジャレの魅力‐
言葉遊びについて、自由に語らせてもらいます。
今回は、ダジャレの魅力について、語ります。
ダジャレというものは、同じ発音の言葉、または、似た発音の言葉を合体させたものです。そして、その馴染みの良さを楽しむものです。そんな感じです。
意外にも、頭の体操になります。ひとつの言葉から、似たような言葉を連想し、持ってきて、ひとつにするのですから。かなり頭を使わなければ、発想は出来ません。
【ふとんがふっとんだ】それが、この世を代表するダジャレです。さむい、さむすぎる。そう思う人もいるかもしれません。オヤジの代名詞。そんなことを思う人が、ほとんどかもしれません。
ですが、このダジャレを発明した人の、気持ちに拍手を送りたいです。頭の回転にも、拍手を送りたいです。ダジャレを生み出した本人にも、もちろん拍手を送りたいです。
ダジャレは、言葉が似ている言葉同士で、繋げるものです。考え方を変えると、新しい組み合わせを、生み出せるということです。見たこともない世界へと、誘ってくれるかもしれない、ということです。
食べ物では、合わなそうなものは、合いません。合わせても、うまくはなりません。言葉も本来はそうです。でも、言葉遊びは、繋げてくれます。簡単に。異なる世界にいる、ふたつの言葉を。とても旨みが、出てくれるのです。
そこから、世界が広がっていくのです。物語の、きっかけにもなります。ダジャレで出会ったふたつのもので、特殊な世界観を表現できるのです。すごい世界です。
種類の異なるもの同士が、必然性の中で一緒になる。なんて素晴らしいものなのですか。ダジャレ以外で、組合わさることのないもの。それが組合わさる世界なのです。
芸術やアイデアの世界では、重宝されていいものだと、僕は思います。ダジャレは、立派な文化財です。今は、ラップ界が盛り上がりを見せています。それによって、韻踏みが、やや主流になってきています。
韻踏みは、カッコいい。そう、世間に浸透しつつあります。それなのに、まだ、ダジャレはオヤジの代名詞のままです。何が違うのでしょうか。
音楽に、乗っていないからでしょうか。笑いを、狙っていると思われてしまうからでしょうか。確かに、ミュージシャンと芸人のイメージは異なります。
笑いと音楽は、よく似ていますが、違うものです。ミュージシャンと、お笑い芸人のイメージの違い。それが、ラップの韻踏みと、オヤジのダジャレにも、あるのでしょう。
ラップの醍醐味の韻踏みに、よくこんなに韻が踏めるな、と感じています。よくこんなにはやく即興で、こんなことが出来るなと思っています。それと同じように、オヤジのダジャレを聞いても、頭の回転がはやいな、と僕は思います。
もっと、ダジャレに凄さを感じてほしいのです。ダジャレを、ラップと同じ角度から見てほしいのです。ダジャレの魅力は、こんなもんじゃないのだから。ダジャレは、最高のコンテンツなのだから。
ダジャレ嫌いなのは、どこのダレジャ?