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「お、やっと来たか!」
目の前に立つ男、マツがこちらを見て笑っている。
こちらもぎこちなく笑顔を返す。
「どうよ、闘技場初戦への意気込みは?」
「どうもこうも落ち着かないよ…」
「まあ最初だからな。そんなもんだよ。まだ時間はあるんだし、どうする?」
「そうだな、少しうろついて何か軽く食べたいんだけど」
「了解。あんまりこのあたりに来ることもないし、見て回りますかね」
ここはトラソーン。4つの地域を束ねてできた国だ。周囲は堅牢な壁で覆われ、外界との接触を遮断している。
壁の外側はただ広い荒野が広がっていると言われており、誰もその果てにたどり着いたものはいない。
何人も調査に出かけて行ったが、戻ってきたものは現れないことから、外の荒野には魔物がいるというのが最近の有力説である。
閉鎖的な環境でありながら、多くの国民はすでに壁の外への興味を失っていた。皆がそれぞれにこの世界を愛していた。
闘技場の周囲はかなりの活気に満ちており、多くの人がいた。
何かわからない物を扱う店に初めて見る料理、全てが新鮮だった。
キョロキョロと落ち着かない視線を漂わせていると、胸のあたりに軽い衝撃が来る。
「きゃっ!すいません。よそ見をしていて…」
声のほうを見ると視界にはフワフワした…耳があった。
「いやいや、すいませんねお嬢さん。ケガはないですか?」
思考が追い付いていない僕を見かねたマツが、代わりに声をかける。
「こいつは今日初めて地元を出るもんだから浮かれちゃってさ?なあ?」
「あ、ああ。そうなんです。こちらこそよそ見をしていて申し訳ない」
「いえ、全然大丈夫です!体の柔らかさが取り柄なので!」
少女のようなあどけなさの残る、大きな青い瞳がこっちを見つめていた。頭にはフワフワとした毛の生えた大きな耳。
ゆったりとした白いワンピースを身にまとい、四肢にも栗色の体毛があった。
「もしかして、初めてですが?アジンを見るのは?」
僕の表情を見て察したのか、少女は小首を傾げる。僕は機械のように首を縦に振った。
「初めてです。本当のアジンに出会ったのは。その…すごい…感動してます」
トラソーンには言語を操る2つの種族がいる。マヒトとアジンだ。
マヒトは古くからヒトと呼ばれる血統を色濃く受け継いでおり、姿をあまり変えずに生きてきた。
一方、アジンはヒトの姿に獣の特徴を多く引き継いでおり、大きな耳と体を覆う体毛が特徴である。
マヒトとアジンは容姿こそ違うが、能力的に大きな差はなく、強いて言うならばアジンの方が聴覚が発達しているらしい。
「ということは…ガラムア出身ですね!良ければお名前を教えて頂けますか?」
「え?えっと…ハルです」
「ハルさん!素敵な名前ですね!少々お待ちくださいね。えーっと…あった!」
少女はゴソゴソと手に持っていたバスケットを漁り、小さな四角い板を取り出した。板は淡い緑色に輝いている。
「ホントは売り物なんですけど、初めてを経験したハルさんにサービスです!」
少女は笑顔でそういうと、四角い板に息を吹きかけた。板が薄く発光し、内部に文字が刻まれていく。
「はい!マフマロイドのお守りです!船長の加護がありますように!」
差し出されたお守りを受け取り、光にかざす。お守りの中で自分の名前が反射していた。
「これが魔法…。すごい…」
「感動しました?これからもっと色んなものを見れるといいですね!是非マフマロイドにもいらしてください!」
「ありがとうございます。今度必ず寄らせてもらいますね。ちなみにあなたのお名前は?」
「内緒です!また機会があることをお祈りしていますね!それでは!」
それだけ言うと少女は颯爽と去っていった。この世界でまた会うことができるのだろうか。
「随分と元気のいい子だったな。よかったじゃん、お守りもらえて」
「そうだな…ある意味マツのおかげだよ。ありがとう連れ出してくれて」
「ははっ。気持ち悪いからやめろよ。ほら、食いたい飯でも探せよ」
ほんの少しの時間だったであろう。そうは思えない大きな衝撃だった。
世界は広いんだ。あの退屈な日々からは抜け出してきたんだ。
そう思うと脳が痺れるような感覚に囚われた。ただ歩いているだけで笑えてしまう。
「ホント、今までの態度が嘘みたいだな。もっと早く連れてきてやるべきだったぜ。」
マツが隣でやれやれと言わんばかりにため息をついた。