後編
「殿下、お気遣い頂きましてありがとうございます」
「いや。……それで? 私的な立場の意見とは?」
これで、私は“王太子殿下の婚約者”という仮面を脱いで意見が言える。……本当は淑女として有るまじき事だけど。でも。
「殿下。私は……人を貶める言葉は好きでは有りませんが。一番嫌いな言葉がございますの」
「一番嫌いな言葉?」
「真実の愛、という言葉ですわ」
殿下は大きく目を見開いていらっしゃる。でも、本当に嫌いなんですの。
「私は幼い頃から殿下の婚約者として隣に立つに相応しく育てられてきました。王子妃教育も辛かったですわ。少しでも間違えれば叱られますし、姿勢が少しでも歪めば叩かれますもの。それは公爵家であっても変わりませんでした。それはそうです。殿下の婚約者に決まった瞬間から、私は準王族。公爵令嬢ではなく準王族として振る舞わなくてはなりません。お父様、お母様と呼びながらもその実、甘えるなんて許されなかったですわ。何故なら公爵家当主であるお父様よりも宰相であるお母様よりも私の方が身分が上なんですもの。王家から遣わされた侍女と護衛は、私が王子妃として……そして殿下が王太子の位に着いてからは、王太子妃として相応しい言動をしているか、監視も兼ねておりますのは、殿下もご存知でしょう?」
殿下の返答を待たずに言葉を続ける。
「何処にいても息苦しいような生活だったとしても、殿下とこうしてお茶が出来るひと時があれば耐えられました。殿下は、私と同じように……いえ、私以上に大変ですもの。私はまだ家がありました。でも殿下はこの城が家である以上、自室を出た瞬間から一瞬も気が抜けない日々を送られていますものね。ですから私よりも殿下が大変なのだから私は殿下をお支えしなくては、と頑張れました」
一息ついて冷めてしまったお茶を一口飲む。殿下の顔をいつの間にか見られないまま、話を続ける。
「ですが、数年前より身分差を乗り越えて……端的に話せば平民の乙女が王子様と出会って王子様は婚約者と婚約を解消してその乙女と結ばれる……というお話が、巷では人気になっております。本になり演劇になり。そしてその話に感化されたように実際に平民とは言わずとも身分差のある恋人同士が生まれ……婚約解消ないし婚約破棄が流行っておりますわ。その全てがお話にある“真実の愛”によって、巻き起こされたものだとか」
声が少し、震える。でも泣くわけにはいかないですわ。泣いたら負けのような気がしますもの。
「何が“真実の愛”ですの。愛に真実も偽りもあるものですか! 確かに王族や貴族は家同士の契約として婚約が締結する事が多いですわ。でも、貴族の義務では有りませんの? 貴族として育てられて来て、自分達でそれを享受してきたというのに、貴族として享受するだけしておいて、義務を果たさずに契約を不履行に追い込むなど、赦されざる事では有りませんか」
淑女の仮面を脱いだ私は少し気分が高揚してしまい……気を落ち着けるためにまたお茶を一口飲む。
「それに……“真実”ってなんですの。成る程、家同士の契約ですから恋愛感情は無いのかもしれません。ですが、私だけでなく幼い頃から婚約してきた者達の何割が、最初から恋に落ちると言うのですか……。私は。わたくしは、殿下と初めて出会った時は確かに殿下に恋はしませんでした。どちらかと言えば、友人のように思っておりましたし。恋は無くとも友人に対する愛は有りました。これが偽りだと言うのでしょうか。
また、殿下と時を過ごすうちに、殿下の苦労を知って弟のように労わりたい、と思う事もございました。逆に私が妃教育で辛い時は殿下が兄のように優しく接して下さいました。また、殿下が父のように暖かく見守って下さる時さえございましたわ。これは家族のような愛だと思うのです。
そうしてまた。お互いが同じ時に辛い事も有りましたわね。そんな時は殿下が同志だと、同じ未来を重ねていく唯一の方だと思いました。その時、初めて……私は殿下を1人の男性としてお慕いしている事に気付きました。殿下、私はフェリオス王太子殿下に恋をしたのです。恋愛、なのです。
友愛も家族愛も偽りの愛だと誰が言えるのですか……。仲間への愛もそして殿下への恋しい想いも、偽りであると仰いますか。人間ですからどうしても嫌悪という感情もあるでしょう。その嫌悪の感情が婚約者に向けられる事もあるかもしれません。或いは何年一緒にいても何の情も湧かないかもしれません。
それでしたら、愛情を求めて他に目移りしても仕方ないと私も納得します。理解致します。真実の愛とやらを探したいでしょうし、見つかるかもしれません。ですが……私と殿下の間に何一つ何の情も湧かなかったのでしょうか。こう想うのは、わたくしだけでしょうか。淑女としても妃教育を受けた者としても愚かだと思いながらも、このような弱気な発言をした事をお許しください。
以上で、私的な婚約者としての立場からの発言は終わりましたわ。戯言でございます。この場限りでお忘れ下さいませ。これより後は、殿下のお心のままに従いますわ。たとえそれが婚約解消であったとしてもお受け致します」
長い、長い独白を殿下は口を挟まず最後まで聴いて下さいました。既に不敬だと思われるような発言もしております。ですから、殿下が受け入れて下さっても受け入れて下さらなくても、もう良いのです。
殿下がそれでも、どうしても“真実の愛”のお相手を正妃にしたい、と仰るならば私は潔く身を引きますし、側妃か愛妾にされるのならば、私はお飾りの正妃として公的に殿下をお支えすれば良い。白い結婚で構わないし、寧ろその方がいい。初夜を迎えでもしたら、その後一切通われなくても、定期的に通われても、わたくしはきっとお相手を恨んでしまうから。
白い結婚の方が愛されない事を突き付けてもらった方が、きっと私はお相手を恨まなくて済む。身も心も通わせられない方がきっと私は公的な妃である事だけを矜恃にこの方をお支え出来るから。
「もし」
ツラツラと考えていた私の耳に、殿下の声が届く。そこでようやく私的な婚約者の立場で話し出してからは初めて、殿下のお顔を見ます。
「はい」
「もし、私が“真実の愛”の相手を側妃もしくは愛妾として迎えたとして、あなたは……それで良いのか」
「嫉妬はしますわ。ですが。私では殿下のお心を癒せないのでしょう。ですからその方に殿下のお心を託しますわ。お子もその方との間に」
「それでは、あなたはお飾りになるだろう?」
「構いませんわ。寧ろ、殿下をお慕いしているからこそ、他の方の元に行くあなた様を送り出せるように白い結婚で通す方が、きっと私の心が壊れなくていいかもしれません。もし、殿下と初夜を過ごし……その後も義務で私の元に通われては、愛されていないと理解していても愛されていると錯覚を起こしてしまいそうですもの。そうしたら私は嫉妬で何を仕出かすか解りかねます。それならば白い結婚で居たいですわ」
「セーラ。君はそこまで私の事を……」
白い結婚で通したい、と笑う私に殿下が驚く。そう、ですわね。ここまで殿下を慕っている事はお見せしませんでしたものね。驚かれるのも無理有りませんわ。
「私は殿下を恋しく思っています。1人の男性として」
「そう、か。ありがとう」
お礼を言ってもらえるとは思いませんでした。他に愛する方がいるなら拒絶されてもおかしくないのに、受け取って下さるなんて……。やはり殿下はとてもお優しい方ですわ。
「いいえ。受け取って下さりありがとう存じます」
「もう一つ。……もし、私があなたを退けて“真実の愛”の相手を正妃にする、と言ったならあなたはどうするのだ? 側妃になるのか?」
「正妃になれなかった婚約者が側妃になれないのは、殿下もご存知のはず。法で決まってますもの」
「そう、だな」
「そして私は殿下もご存知の通り、王太子妃教育の最終段階として既に王家の裏の部分を教えられてしまいました。そのような私が正妃になれないならば行き着く先は……」
ようやく殿下は気付いたようで、ハッとした表情を浮かべられました。
「殿下。もしも、その方を正妃にされるのであれば。殿下のお手を煩わせる事を承知の上でお願いがございます。殿下自ら私に栄誉ある杯を。私は殿下のお手から賜りたいですわ」
栄誉ある杯。それは毒杯の事。私は他の誰でもなく殿下の手から毒杯を賜りたい、と願い出る。……王家に嫁がずに裏の歴史を知った身がのうのうと生きていられるわけがない。死ぬ以外、無いのだ。王家の知られたくない歴史を知った者が生きているのは許されないのだから。
だったらせめて、殿下に死を命じられたい。愛する方から毒杯を賜わる栄誉に与れるならば、きっとその瞬間さえ幸せで居られそうだと思うから。
私がそう願ったら殿下が大きく息を吐き出した。
「全く。勝手を言うな、セーラ。だが、死すら俺の為に在ると言うのは、中々に良い口説き文句だ」
息を吐き出した殿下の久しぶりに聞く砕けた口調に私は驚く。それから口説き文句という言葉に首を傾げた。
「なんだ無自覚でそんな事を言っているのか。……セーラ」
「は、はいっ」
「お前は俺のものだ。お前の死すら俺だけのものだ。いいか? 俺の真実の愛もお前だけだ。お前が俺のものなら俺もお前だけのものだから安心して俺と結婚しろ」
「……あの?」
「まだ解らんか。大体前提が違う。俺は真実の愛の相手を見つけたとは言ったが、お前以外の女だとは言ってない。お前と同じだ。……最初は幼馴染みの友だった。そのうち手のかかる妹のようにも思えた。だが優しい姉のようになり慈しみのある母のようにもなった。やがて同じ目で同じ未来を見つめる共に歩む唯一の女になった。俺の隣はお前以外有り得ない。いいか? 今後お前以外は娶らない。覚えておけ」
殿下から溢れる言葉に飲み込まれてしまって呑み込めない。淑女としては失格かもしれないけれど、目を瞬くしか出来ない。
「まだ理解出来ないのか」
そう言われて殿下が立ち上がって私の側に立つ。慌てて私も立ち上がるとその腕の中に引き寄せられた。
「え、あの、殿下?」
「俺はセーラを愛している。俺が恋しく想うのはお前だ。側妃も愛妾も娶らない。お前に会う前に国王陛下に許可を得た。万が一お前に子が出来なかった場合は、末の3歳の弟を養子として迎える、と。故に王家の血は絶えない。王太子として未来の国王としては、悪い決断だが、俺以上に国を託せる者が居ないのだから……と渋々認めてもらった」
ようやく私は全てを呑み込んで……この方が唯一の妻として私を迎えて下さる、と、理解出来た。
「それで……宜しいのですか」
「完璧な人間など居ない。俺の欠点はセーラを失ったら生きていけないだろうという事だな。だからお前が居なくならないようにお前が悲しむ事は前もって排除しておいた。後はお前が悲しむとしたらなんだ?」
「……殿下が先に死ぬ事でしょうか」
「それは仕方ないな。お前は俺より先に死ぬ事は許さない。だから俺の死を見届けるのがお前の最後の役目だ。その悲しみだけは、まあ済まない、と先に謝っておく。他は」
「有りません」
「では、憂いなく俺と結婚すると良い」
いつもは、王太子として周囲の重圧を受けながらも飄々としていて態度を崩さない方なのに、その本性は俺様で。小さい頃はいつもこんな感じだった。それをいつからか見せなくなったのに。今日は見せてくれるらしい。本当の彼の姿を。
「はい、殿下」
「それも無しだ。フェルだ」
「フェル、様」
「全く王太子になった途端に名前を呼ばれなくなるなんて、どんな罰だよ。いいか? 公的な場合は仕方ないがなるべくきちんと名前を呼べ」
「はい、フェル様」
ん。と満足げに笑って、未だに私を離そうとしてくれないフェル様に、私もそろそろとその背に腕を回して幸せを感じていた。
こののち、フェリオスが国王の座に着く頃には唯一の妃である王妃・セーラとの間に3人の王子とお腹の中に子がいたという。また、互いに愛し愛される関係の2人が治める国は堅実で穏やかな歴史を紡いだと正史に記されている。
お読み頂きまして、ありがとうございました。
真実の愛って言葉を良く見かけるので、真実の愛ってなんだろうな? って疑問から思い付いた話でした。