4.ウチのかな・・・?
おじさんに電話をした、その日の午後、バスに乗って早速その施設へ向かった。赤ちゃんを引き取る覚悟が出来たかどうかということはなしにして、とりあえず行くことにしたのだった。どこかへ適当に理由をつけて出かけないと暇で死んでしまいそうな気がしなくもなかったということが正直な理由なのかもしれない。
受付のようなところで、二十歳くらいの女性にワケを話すと離れたところから見るだけならいいと許可された。でも、遠山もそれで十分だった。抱き上げたり、あやすたりするのはもちろんのこと苦手であるから。
きっと昨日の赤ちゃんだろうと思われる赤ちゃんは、ベッドの中ですやすやと眠っていた。他の赤ちゃんは、笑っているか、泣いているか、寝ているかのどれかをしているだけ。その間を高校生くらいの女の子と大人の男性が行ったり来たりして、面倒を見ている。
「こんにちは」
不意に後ろから声を掛けられて振り向くとそこには笑顔があった。園長という名札がついたおばさんは底抜けに明るい感じであった。きっと子供が好きなのであろう。
「あ、こんにちは」
「あなたの家の前にあの赤ちゃんが捨てられてたんですってね」
オブラートに包まないとげとげした言葉が発せられた。
「ええ、まあ」
「今日は、どうしてこちらへ?」
「いや、その、赤ちゃんが気になりまして」
暇だったからとは口が裂けてもいえない。
「そうですか」
「最近、ニュースとかでも多いですよね?」
「ええ。赤ちゃんだけでなくて、ここに子供を連れてくる親もいます。大人の都合で子供に辛い目をさせて、まったく・・・」
おばさんは、目を細めて、女の子が赤ちゃんのオムツを換えているところ辺りをぼんやりと見ていた。じっと、そこに穴を開けてしまうかのようにしばらく見つめていた。
「あの」
程よい間をおいて遠山は切り出した。
「ここの子供達を養子にしていく人がいるという話を耳にしたのですが」
「ええ、身元、収入などを調べて、大丈夫だと認めた後に、子供が頷いたら成立といった感じですね。この子達は親が居ない、もしくは居ても縁を切られたもんだから、よっぽどでない限りは首を横に振りませんけどね。やっぱり子供には親が必要なんですよ」
ここでおばさんは一呼吸置いた。スーッという鼻息が聞こえてきた。
「この間も、奥さんが子宮癌で子宮を摘出したために、子供が産めなくなってしまって、ここから2歳の女の子を養子にされましたね」
癌という言葉を聞いたときに、一瞬、両親のことが頭を過ぎったが、過ぎっただけだった。
「そうなんですか」
「それももちろん大人の勝手といえば勝手なのですけど、子供達が満足すればそれが一番いい形だと思うんですよね」
「なるほど」
遠山は、言葉だけでなく、本当に心から感心していた。
「あなたはあの赤ちゃんが気になるとおっしゃいましたが、そういう意味で気になるのですか?」
「そういう意味?」
遠山は、聞かなくても分かる部分にあえて質問を加え、自分に考える時間を与えた。
「引き取るということです」
心構えは出来ていたが、やはり、背中から体当たりを食らった気分だった。遠山は、ここに来るバスの中でも、もちろん、このことについて考えていた。
バスの窓の流れゆく風景に睡魔が誘われ、遠山に襲い掛かってくることが何度もあったが、やはり、結論を出さずにはこの施設に足を踏み入れられないとダイヤモンドよりも固く決意していたため、ずーっと考えていたのだった。
「確かに、服部さんの言うように関係ないのかもしれない」
服部というおじさんの言葉がぐるぐると頭の中を巡っていた。
「私は、引き取りたいのは山々です」
遠山は、自分で言った言葉が不思議で仕方がなかった。
この遠山の発言は、施設の中の廊下を駆け回った。無邪気な子供みたいに、廊下を端っこまで走ったらユーターンして、階段を登り、2階の廊下を駆け巡る。
「それじゃあ」
「ですが、私は、独り身です。仕事も残業が多く、引き取ったところで面倒を見ることができません。時間がないと思うんです」
おばさんは、さっきの明るい発言を聞いたときには、笑顔で溢れていたのだが、今度は、顔に、一気に暗いところに突き落とされた気分になりました、と書いてある。
「そうね・・・」
とだけを口からこぼした。
「ですが」
遠山は、切返した。おばさんの表情は、次は驚きに変わった。
「勝手なことを言っているのは分かりますが、ベビーシッターをつけて・・・」
そこまで言って、言葉に詰まった。自分で十分何を言っているのか、それが何を意味するのかを理解して、噛み締めているようだった。
やっぱりおばさんは、再び顔に影を作ってしまった。
「勝手なことは分かっています。私の都合で。確かに、ベビーシッターをつけておくくらいならここで暮らしたほうがいいかもしれません。ですが・・・」
遠山は、ちょっと熱くなっていた。どうしてここまで熱くなっているのか自分でもよく分からなかった。でも、その熱さは、おばさんに空気などを介さずに直接届いているかのようだった。
「運命を感じるのです」
そう、これが遠山がバスの中で出した答えだったのだった。遠山は何度も何度も頭の中で子供を引き取ったときのことをシミュレートした。どれだけの苦労があり、どれだけの困難があるか、それも全部考えた。考えに考え抜いた。バスの中の時間だけでは短かったかもしれないが、それでもちゃんとした結論に辿り着いたと思っていた。
「そうね・・・」
おばさんは、また同じことを呟いた。でも、さっきの沼地に石を投げ入れるような感じではなく、綺麗な川を眺めながらという感じだった。声の調子が違う。
「それに、私は、ベビーシッターが全くの他人ならこんなことをしようとは思いませんでした。私の姪っ子がベビーシッターを引き受けてくれます」
「無理にそうしたのですか?」
おばさんは、で尋ねた。
「いいえ、彼女はしばらくベビーシッターの職を探していたのです。昔から子供が好きでしたから」
かなりの沈黙の時間が流れた。
本当にこの場の時間が止まってしまったかのように二人ともピクリとも動かない。
子供達の無邪気な声だけが聞こえてくる。
ややあって、おばさんは一旦口を開きかけ、また、閉じる。
それを何度か繰り返した後にこう言った。
「あなたのおっしゃることは分かりました」
遠山の顔に、光が灯った。
「ですが」
おばさんは、しかし、すぐに続けた。
「ですが、すぐに返事をすることは出来ません。職員で少し話し合ってみたいと思います。それで答えが出ましたらご連絡いたします」




