『風に匂う剣士』 その5
「あ、ここにいたのか」
その場に不似合な調子の良い声と共に、ひょこっとジェムがドアの向こうから顔を出した。
「おう。勉強は済んだのか?」
「うん。なかなか戻って来ないから、心配で見に来たんだよ」
「ごめん。それは悪かった」
「あれ。ネクスも一緒にいたのか。団欒室にいなかったから、どこに行ったのかと思った」
ジェムは、≪魔法灯≫をテッドに向けた。
≪魔法灯≫は、≪浮き火≫と同じく暗闇を照らす魔法である。≪浮き火≫よりも明るく、更に単純に灯る≪浮き火≫とは違い、明るさや照らす範囲、明かりを向ける方向を変更出来る。それなりの魔法力と魔法技術を必要とする。
「私はテッドの見張り役としてここにいる」
「見張り役?」
ジェムは笑顔を向けながらテッドに近付いた。
「まあ、色々あってな」
「テッドが逃げないように見張らなければならない」
「ふーん。それはご苦労様」
「終わったのなら、先に寝てくれていいんだぜ」
「いや、丁度いいよ。ちょっと、相談があるんだよ」
「相談?」
ジェムが、テッドの横に座り込んだ。それを見て、改めてテッドも腰を下ろす。
今まで、魔法の勉強で頭が一杯だったジェムが一体何の相談があるのだろう。大体、自分の頭の弱さを十分自覚しているテッドである。自分が相談相手になれるとは思っていなかった。
「うん。これは、僕の勘違いかもしれないんだけど……」
ジェムは、そこまで話して、しばし躊躇った。所在無さげに唇を動かし、何度か口を開けては閉じた。そこには、ジェム自身の自信無さげな雰囲気が見て取れた。沈黙が湖の音に浮き上がる。
「どうした? 気にせず話していいぜ」
テッドは先を促した。テッドの肩にとまるネクスは沈黙を守っている。
「あ、こいつの事か? 何なら、ネクスは向こうに行ってもらおうか?」
「いや、それはいいんだ」
ジェムは両手を振って見せた。
「ごめん。最近、気になってるんだけど、僕の勘違いだったら申し訳無くて……」
「何だよ? 言ってみないと分からないだろ?」
ジェムは、湖に目を落とすと、少し息を吐いた。
「テッド。最近、見えない誰かの気配を感じた事無いかい?」
「あ?」
眉をひそめて聞き直す。言葉の意味は理解出来るが、なかなか頭の中に入って来ない。
「誰かって誰だ?」
テッドの険しい表情に臆したのか、ジェムは「それは……」と言って黙り込んだ。
「それは、誰かが学校外から侵入してるという事なのか?」
口を閉じ、俯いてしまったジェムにテッドの声が畳み掛ける。
「そこまでは……、分からないけど……」
言ったはいいが、自分でも確信を持っている訳じゃ無い。
「じゃあ、どうしてそんな事言うんだ?」
「視線を感じるんだ」
「視線?」
テッドは少し体を起こしてジェムを見た。
ジェムは、≪緋龍一族≫の出身だ。テッドもジェムの魔法力を認めざるを得ない。どうして、ジェムがこんなとこにいるのか、それがテッド流≪サス=フレンガル魔法学校≫七不思議のひとつだった。≪緋龍一族≫の力を持ってすれば、もっと上位の魔法学校に捻じ込む事など簡単だったに違いない。ジェム自身は、自分が器用な方じゃないから、と言っている。確かに魔法技術のお粗末さは見て分かるが、魔法力はそれ程悪くは無いと思う。逆に一族の者がこんな学校に通うなんて、≪緋龍一族≫の恥になりかねない。勿論、こんな事本人の前では口にしないが。
「昼間、授業を受けてる時とか、課外授業に出てる時とか、学食にいる時とか、夜みんなでお喋りしてる時とか、ふとした時に誰か、ここにいない僕ら以外の誰かが潜り込んでいる感じがするんだ」
「ふーん」
さすがに笑って聞き流す内容では無い。ジェムが感じているなら何かいるんだろう。それにしても……。
「でもなー。そんな曖昧な説明ではなー」
曖昧過ぎるのだ。それなりの魔法力を持つなら、大体の予測がつくものだろうが。それが、ジェムの限界と言う事なのだろう。
「そうだよね……。僕も確信までは行ってないからね」
「おい、ネクス。お前は何か感じた事あるのか?」
ネクスは、他の≪闇フクロウ≫と共に校内の監視を行っている。何か不審な存在がうろついていれば、気付いている筈だ。
「いや。何も聞いて無い」
「だ、そうだ」
テッドはジェムに振り向いて肩を上げた。
「えー。僕の勘違い?」
「まあ、分からないけどな」
「幽霊か?」
ネクスの質問に苦笑するテッド。
確かにその可能性はあるが……。
「ちょっと。幽霊くらいなら僕でも分かるよー!」
そう。幽霊は珍しい存在では無い。多少魔法力を身に付けた者なら、その目で確認する事が出来る。人間が幽霊を恐れるのは、その存在の根拠が明らかに出来無いからだ。
「幽霊は隠れようとしないしな。もし、その何者かが気配を消しながら動いているのなら、結構やっかいじゃないか?」
「誰かが何かを企んでいるって事かい?」
「ジェムの勘が当たってたならの話だぜ」
「勘じゃないよ」
ジェムがふくれ面で反論した。
「わーった。わーった。じゃあ、今度、そいつがいたら、俺にも教えてくれ。ふたりで正体を暴いてやろう」
「うん。そうしよう。すぐに教えるよ」
その時、テッドはジェムの言葉を真に受けてなかった。どうせ、ジェムの勘違いか何かだろうと思っていた。魔法学校は、その性質上、様々なものを引き寄せ易い。ちょっとした魔物が入り込んでもおかしくない。ジェムが言っているものも、その類いだろうと。