『風に匂う剣士』 その2
部屋を出ると、暗い石段が下に延びていて、寮生達が集まる事の出来る団欒室に繋がっている。テッドは、両手を重ね合わせて≪浮き火≫を作った。
≪浮き火≫は、少ない魔力でも使える魔法の灯である。手の平大の丸い光球がランタンの役割を果たす。一回の持続力は、本人の魔力次第に寄る。
部屋を出るとすぐに下に下りる石段に出る。
さて、ああ言ったものの、どこに行こうかという当ては無かった。
(でも、あんなに頑張っているジェムを追い出す訳にはいかないしな……)
話に聞くと、ジェムは故郷でも最も出来が悪かったらしい。生来の魔力は少なく、記憶力が悪く、センスも無い。
魔法使いというのは、魔力や呪文の量、巧みな技術だけで無く、その場に合わせた魔法を的確に繰り出す判断力も求められる。
つまり、ジェムにはその全てが欠けていたという訳だった。
同じクラスの仲間達は、そんなジェムを馬鹿にしていた。只、そいつらにしても、ジェムを馬鹿に出来る程レベルが高い訳では無かったが。
テッドは、ジェムの毎日の努力を目の当たりにしているだけに、ジェムを馬鹿にする奴らを許せなかった。
自分なら魔法使いとしての能力が無いのは自分で良く分かっている為、幾らでも言われていい。しかし、ジェムを馬鹿にする奴がいたら、遠慮無く喧嘩を吹っ掛けて行った。
その後ろで、ジェムは申し訳無い気持ちで一杯なまま、うろうろするのが常だった。
(あいつは、この学校に来れた事を喜んでいたな)
そんなジェムだから、自分が魔法学校に入れるなんて思いもしなかった。こんな最悪な学校でも純粋に喜んでいた。絶対、魔法使いの資格を取って卒業するんだという希望に満ち溢れていた。
テッドには、眩し過ぎるくらいの純粋さだった。
すれ違うのもやっとという程狭い通路が二、三回折れて団欒室に続く。途中で他の寮室に繋がる階段が幾つか分かれている。
団欒室は、全部で二十ヶ所あるらしい。今は学校自体の生徒が少なくなっている為、使われているのはその内の半分くらいだ。
真っ暗な団欒室にふたつの灯りが点いた。フクロウの目がテッドの足元を照らす。≪闇フクロウ≫は魔法によって様々な能力を与えられている。今のように、ふたつの目を光らせて暗闇に光を与える力の他に、手紙を運ぶ連絡手段として、生徒を見張る監視役として、余所者の侵入を警戒する警備役として等、多くの闇フクロウが活躍している。
「ありがとよ。歩き易くて助かる」
「どこ行く? テッド」
≪闇フクロウ≫のネクスが出す意外と低音の効いた声。グレーの腹部と漆黒の体毛が渋い。
「ちょっと、散歩だよ」
「夜間外出は禁止されている」
「そんなの言われなくても分かってるよ。大丈夫。外の空気を吸って来るだけさ」
「違反は通告しなければならない」
「お堅いなー」
「私は、学び舎の守り鳥。みんなを守るのが私の役目。テッドも守る」
「了解。じゃあ、こうしよう」
テッドは、ひょいとネクスを持って自分の肩に置いた。
「お前も一緒に来ればいいだろ? 俺が外でいけない事をしたら、先生達に言い付ければいい」
「私も一緒に?」
「そう。一緒だ」
テッドは、ネクスの羽をポンポン叩きながら団欒室を出た。
「それでは、私も違反する事になる」
「これは違反じゃない。俺のお目付けをしているだけだ」
「お目付け?」
「そう。どうして学校の規則で外出禁止になのか知ってるか?」
「知らない」
「そこが、お前達フクロウの足りない所さ」
「足りない?」
ネクスは、首をくるりと回してテッドの横顔を凝視した。
「そう。いいか、悪いのは外に出る事じゃない。分かるか?」
「外出は禁止だが」
「違う違う。それは、外出だけを悪と見なしてるんだ。いいか。本当にいけない事は、外出の理由だ。例えば、学校を脱走する。学校を抜け出して遠くまで遊びに行く。これはいけない事だろ?」
「脱走はいけないな」
「そうだ。ならば、学校の周りを散歩するだけなら?」
「だが、それも外出だ」
「それは違う。散歩は散歩だ。どこに行く訳でも無い。また、十分二十分で戻って来る。これがいけない事か?」
「戻って来る。……外出するが戻って来る」
「そう。元に戻るなら違反じゃ無いだろ? それは、外出なんじゃない。学校の敷地内を散歩するだけなんだ」
テッドは、初めてそこで気付いた。外出じゃなく、敷地内の移動という事にすればいい。
「そう、そうさ。あくまで敷地内から出ないんだ。だから、俺は外出するんじゃないんだ。だろ?」
「敷地内の移動。……外に出ない。外出にならない」
「そうそう。それなら外出にならないんだ」
「外出では無いから違反にならない」
「そうだ。その通り。分かったか?」
「分かった。だから、私はテッドが逃げるかどうか見張るのだな」
「その通りだ。良く出来たなー」
テッドは、またネクスの羽を優しく叩いた。
「いいか、ネクス。お前の仕事は只の見張りじゃない。生徒がいけない事をしないように注意して見張るんだ。だから、まだいけない事をしてない俺は、通報されないんだ」
屁理屈もいいとこである。ネクスは、顔を時計回りに九十度回して「私には難しい」と呟いた。
「そうか? まあ、深く考えるな」
そうこう言う間に厨房横の勝手口が前に現われた。さすがに、門番がいる正門から出入り出来無い。生徒が密かに学校の外に出る時は、この勝手口が利用されている。
「だが、どうやって外に出るんだ?」
ネクスの質問も当然だ。勝手口も厳重に魔法でロックされている。日暮れと同時に事務員が呪文で封じる事になっているのだ。
「ところが、ちゃんと抜け穴があってな」
テッドは懐から一枚の破魔札を取り出した。
「それで解除するのか?」
「いやいや、ロックを外したら警報鳴るからな。これをな、ドア枠に貼ったらな……」
テッドは破魔札をドアの枠と石壁の境界に貼った。すると、ドア枠がぼんやりと光り輝き始めた。
「こうするとな、ほら」
テッドがドアの枠を押すと、ドアじゃなく、ドア枠が外に向かって押し出された。
「何と」
「どこの誰が考えたか、これなら警報が鳴らない訳だ」
ドアのロックを外した訳じゃない。ドアのロックはそのままで外に出る空間が生み出されたのだ。
「まあ、いわゆる頓智だな」
テッドは、茫然とドアを見詰めるネクスを横目で笑って夜の世界に足を踏み出した。