表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/20

『風に匂う剣士』 その1

 鼻のすぐ上を酸い臭いが渦巻く。たまらず体を横に向けると、黄ばんだシーツの下に詰め込まれた藁クズが乾いた悲鳴を上げながら、一本二本と鋭い穂先をシーツの隙間から突き出して無駄な抵抗を試みる。

 昼間の眠気を誘う座学、欠伸が出るくらい低レベルの実技、不味い食事、起きている間はひとつも良い事が無い。陽が落ちて、ベッドに入る時が一番の幸せだ。

 只ひとつ、隣のベッドから聞こえて来る訳の分からない呪文さえ無ければ……。

 歩くスペースだけ間を空けて、同室の人間が頭から布団をかぶっている。勿論、真っ暗でまともには見えないが。

 何て言ってるのかさっぱり分からない。ただ、魔法の呪文である事は確かだ。何故なら、本人が言っていたから。

「おーい。もうそろそろ止めてくれー」

 外の世界と同じく闇の底に沈む部屋の中に声を響かせる。狭いふたり部屋にふたつのベッドが平行に並び、その頭では何百年もの歴史を刻んだ勉強机が背中合わせに置かれている。

 部屋にひとつだけくり抜かれた窓からは≪女神アイチーム≫の月明かりが差し込むが、今夜は雲がかかって自分の鼻も見えない。

 隣のベッドの上でポッと黄色い≪魔光≫が灯る。同い歳ながら幼い顔をしたジェムタムアーシュ=バシューが相変わらずの困り顔をテッドに向けている。背が低く、栄養の不足したか細い体。視力が弱い為、度の強い丸眼鏡が手放せない。

「ごめんよ。でも、僕、頭悪いから少しでも時間を無駄にしたくないんだ」

 力の無いかすれた声。

 ジェムの手元には、虫食いが酷いが豆腐くらいの厚さがある魔法辞典が開かれている。ジェムは、故郷から魔法辞典を四冊も持ち込み、この一年でその全てを覚えようとしているのだ。

「勘弁してくれよ」

 テッドも魔法族の一員ながら、簡単な魔法は使う事が出来る。だが、魔法使いになるには相当の知識と技術が必要になる。勿論、経験は最も大事な要素だが、まだ若い魔法族は、兎に角より多くの呪文を覚え、魔法陣の描き方や手技てわざを覚える事が基本になる。

 それにしても、あんなに覚えないといけないものか、とテッドは何百回何千回も自問自答した。

(あんなんじゃあ、俺なんか魔法使いになれっこないな)

 ジェムと出会って一日目から、白旗を上げていたテッドだった。

「ごめん……」

 怯えた声がテッドの心を震わせる。

 魔法の勉強なら、部屋の外でやってくれと言いたい所だが、さすがにそんな非道な人間では無い。

「もっと小さな声でやるからさ」

 内気で大人しいジェムは、おどおどしながらテッドに謝った。こうなると、テッドも申し訳無い気持ちになってくる。

「声出さずにやれないものか?」

「うーん。それは、難しいよ。僕の覚え方は口に出して耳で覚えるやり方だからねー」

「そうか。って、納得出来るかっ」

 ひとり突っ込んで、テッドは布団を頭からかぶった。

 目を瞑り、両手で耳を塞いで藁の感触を頬に押し付ける。

(俺は寝るんだ。俺は寝るんだ。俺は眠たいんだ……)

 口は動かすが、声に出さずに自己暗示を掛けようとする。当然、掛かる訳も無い。

「ぶわっ」

「わあ、びっくりした」

 テッドの様子を窺いながら呪文を覚えていたジェムは、突然布団を弾いたテッドに驚いた。

「散歩だ」

 テッドは、勢い良くベッドから出た。

「え?」

「散歩して来る」

「そんな……」

 ジェムも慌ててベッドから下りて来た。

「部屋出るなら僕が出るよ。悪いよ」

「いやいや、気を使わなくていいぜ。少し体を動かしたら眠くなるから。そしたら、お前の呪文も気にならなくなるさ」

「そんな事、テッドにさせられないよ」

「いいから、気を使うな。お前は、自分のやる事をやればいいんだ」

 テッドは、軽く上着を羽織ると、ジェムの言葉を待たずにさっさと歩き出した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ