『風に匂う剣士』 その11
「どうする? 部屋に戻るか?」
午前の授業も終わり、教室から生徒がいなくなる。
太陽が中天に昇る≪アプリギーゼの刻≫は、仕事の疲れを休め、午後の務めの英気を養う為の休息の時間とされている。
かつて、英雄アプリギーゼが海竜デバイリムとの死闘を繰り広げた際、中天の太陽の力を得て午後の勝利を導いた事から、魔法使いにとって大切な時間とされている。この偉大な勝利によって、魔法種族は≪闇の縮み世界≫を≪闇種族≫の手から奪い取る事に成功したのだった。
「いや。移動時間も勿体無いから、ここにいるよ」
「そうか」
動いて空腹を倍増させる事も無い。
魔法学校で優遇されるのは学費の負担だけであって、その他の事については自費とされている。貧しい者に贅沢は許されない。他の魔法学校では、近くの村落を回り、自分の魔法を使って小遣い稼ぎも出来ると聞くが、こんな底辺の魔法学校の生徒に何が出来ると言うのか。≪サス=フレンガル魔法学校≫の生徒達にとって、その面の頼みは実家からの援助になって来る。
勿論、貧しい故郷からの援助を期待出来無いテッドは空腹組になる。
ジェムは、その出身柄、当然実家は余裕がある。例え、恥知らずな息子であろうとも、血を分けた家族だ。十分に仕送りしてもらえる立場なのだが、そこは、真面目一辺倒のジェムだ。その全てを学問書で頼んでいる為にお金や食べ物が送られる事はまず無い。貴重な辞書に夢中になった暁には、一日中口に何も入れなくても平気でいられる。どうも、勉強という奴は空腹を紛らわせる効果があるらしい。
「はい。テッド。食べる?」
系列種族は、助けを求める人間達からのお供えをたっぷり貰えると聞く。≪四大魔法種族≫には、その大半が系列種族から納められている。
エコが差し出した干し肉にテッドは喉を鳴らした。
「ほら、我慢しなくて食べてよー」
何度か足踏みして可愛らしい仕草を見せて、テッドの口に強引にねじり込むエコ。
上物の肉の味が舌に染み入る。脂の乗った柔らかな噛み心地。筋肉質で固い故郷の獲物とは大違いだ。
「この前送られて来たの。美味しいでしょ?」
テッドは、干し肉を荒々しく食い千切り、何度も頷いた。
「最高だな」
「でしょでしょっ。やっぱり、テッドならこの味分かると思ったんだー」
「これ、一本貰っていいのか」
別に遠慮するテッドでは無い。特にエコは無理にでも渡して来るから、素直に貰っとくに越した事は無い。
「いいよー」
エコは小走りに走って行った。恐らく寮に戻ってひと眠りするのだろう。エコは、何故か良く寝るらしい。同室の子の話によると、ちょっとでも夜更かしすると次の日に影響するようだ。
まるで子供だな。
テッドは、干し肉をくわえながら学棟二階の大ベランダに上がった。
≪サス=フレンガル魔法学校≫は、湖に浮かぶ狭い島に校舎が林立している。南に向いた正門から粗い砂利道を進むと、生徒達には≪獄舎≫と称される四階建ての学棟が蔦で鬱蒼とした石壁を露わにしている。その左右には生徒寮がふたつ、西寮と東寮が建てられている。学棟の奥に、狭い中庭とクラブ活動用の木造棟を経て、三本の尖塔が高々と聳える本部棟が威容を見せている。
大ベランダは、学棟の二階南側全面に広がり、花壇や椅子が置かれている憩いの場になっている。少し先の正門の向こうには湖と対岸の耕作地、更に向こうの緑の山々が重層に目を楽しませ、季節毎に美しい景色を披露してくれる。
あちこちで生徒達が固まり、談笑したり昼食を取ったりしている。