『風に匂う剣士』 その10
魔法術を教えるブラインダスは、≪緋龍一族≫出身だ。魔法使いとしては、まだ若い二四〇歳。長身の痩せ型。真っ白な髪を綺麗に切り揃えていて、少し神経質な面がある。この学校の教職である事を恥じていて、他のレベルの高い魔法学校への転職を願っている。
「では、お前が学んだ成果を見せてもらおう」
≪サス=フレンガル魔法学校≫の生徒を好意的に感じていないブラインダスは、生徒に恥をかかせるのが特にお気に入りだ。ある意味、趣味が悪い。
「ここに、コップがある」
ブラインダスは、側にある小さなテーブルにコップを逆さにして置いている。
「中に何が入ってる? それだけだ。出来るか?」
単純な男だ。生まれてから山の中で獣しか相手にして来なかった為、気持ちをコントロールする術を身に付けていない。頭の中では、『また、口車に乗せられた』と分かっていても、昂る気持ちを抑える事は出来無い。ブラインダスの挑戦的な表情に熱くなったテッドは、勢い良く立ち上がり、大股でテーブルに近付いた。
「へんっ。簡単さ」
さっき成功している。その自信がテッドを後押しした。
テッドはコップを睨み付けるように見た。
数秒して、大きく息を吐き、目を瞑ると再度コップを睨み付けた。
テッドの背中には、教室中の生徒達の目が注がれている。テッドを応援するジェム。心配そうな表情のエコ。面白そうに見る男子生徒。興味無さげに見る女子生徒。詰まらなそうに外を見る一部の生徒。眠気で記憶を失っている生徒。等々……。
「ん……」
全く中が見えない。テッドは、焦っていた。あれ程デカい口を叩いたのだ。このままでは恥晒しだ。
テッドは、コップに顔を近付けた。
「みんな、分かるか? 大体の奴はこうやって目を近付けがちだ。しかし、透視をするというのに距離は全く関係無い。ちゃんと、己の力を理解し、適切な方法を使えば、教室の一番後ろからでも見る事は出来る」
ブラインダスがこれ見よがしに言った。その顔には、意地悪な色がありありと浮かんでいる。
「うるさいっ。気が散る」
「はっはー。テッド、降参しな。無理無理」
サンサが楽し気に茶々を入れて来る。ムカつく奴だ。
「うるさいわよ。テッドの邪魔しないでっ」
エコが代わりにサンサに対して怒っている。
「ほら、お前の女が応援しているぞ。恥ずかしい真似は出来ないな」
サンサのヤジは止まらない。
「くっそー」
テッドは横目でサンサを睨んだ。
「出来無いなら、諦めろ。こんな事で気が散るようでは透視なんか出来ん」
ブラインダスはおもむろにコップに手を伸ばした。
「おいっ」
テッドが声を荒らげても、ブラインダスは構わずコップを持ち上げた。
「あ……」
思わず、エコが声を出した。
コップの下は何も無かったのだ。
「おいっ。何だそりゃっ。馬鹿にしてんのかっ」
「誰も、コップの中に物を入れていると言ってない」
挑戦的に顎を斜めに上げてテッドを見る。それでも、テッドの方が頭ひとつ抜けている。
「いいか。盲目の魔法使いもいるんだ。何故、目が見えないのに魔法使いでいられると思う?」
「そりゃ、魔法使えたら何でも出来るだろ」
「半分正解で、半分間違いだな」
ブラインダスの声のトーンが少し落ち着いた。
「彼らは、見えなくても、我々の姿や周囲の環境を把握している。私だってそうだ」ブラインダスは、目を瞑って見せた。
「どうだ。私を殴ってみるがいい」
わざわざ言うのは、自信があるのだろう。殴って来る相手の拳を難なく躱して見せる。そんな所だ。テッドは、白けた顔で肩を竦めた。自分は、そんなピエロになるつもりは無い。と言うか、既に一回ピエロになっている。それにしても、どうして、今は透視出来無いのか。その方に気が行ってしまう。
「……」
これ以上相手にするつもりは無い。テッドは、口を真一文字に結んでいるブラインダスを残して、エコの横に戻った。
「もう、いいじゃないか。授業を進めろよ」
強がりを言うのが精一杯だ。
目を開けたブラインダスが教室を見回し、最後にテッドを見る。テッドは、にこりともせずに視線を逸らした。
そのままブラインダスはテーブルに手を伸ばし、もう一度コップを上げると、そこには丸い水晶玉が乗っていた。
「あ……」
ジェムが正直に驚く。
「これ、手品?」
エコが正直に口にする。
「自慢さ」
テッドが正直に吐き捨てる。
コップの中には確かに何も入って無かった。ふたりのわずかなやり取りの間に仕込んだのだ。目を瞑って、どうしたのかは分からないが、魔法を使ったのは間違い無いだろう。それにしても、教室の中にいる誰にも気付かれずに、特に最も近くにいたテッドにも違和感無く行ったのは驚きだった。
「いいか。ほんの少しの魔法力でいいんだ。その少しの魔法力を的確に効率良く使えば、こんな事も可能だ。もう一度言うぞ。魔法力の大小では無い。魔法力を如何に己が望むままに使いこなせるかが重要なのだ」
身に付けている魔法力が大きい方が強い魔法使いという訳では無い。その魔法力をより効率良く使うのが良い魔法使いなのだ。
「それより、少ない魔法で大きな効果を上げるのが大事だ。あいつも気付かなかったように……」
テッドは、しかめ面で他所を向いたままだ。
ブラインダスは右の人差し指を床に指した。
「この魔法学校を創建したサスがそういう魔法使いだった。低レベルの魔法一族に生まれたサスは、生まれた時から魔法力が少なかった。しかし、サスは長年の努力により魔法使いになり、この学校を建てるまでの大魔法使いになったのだ。いいか、お前達も諦めてはいけないんだぞ。偉大な創立者にあやかって、死ぬ程学べば、あるいはこの中から名のある魔法使いになれる者も出て来るかもしれん。魔法使いというのは、生まれてから決まっているものではない。生まれてからの生き方が物を言うのだ。分かったか?」
「へー。結構まともな事言うじゃん」
エコが感心気味に言うと、テッドを挟んで座るジェムも深く頷いた。
ジェムが必死に魔法辞典にかじりついているのもそのせいだった。ジェム自身は、自分の魔法力を引き出す能力に欠けているようだった。それをカバーする為に人より多く魔法呪文を覚えて、少ない魔法力でもより効果を出せるように努力している。
エコは、元から自分には魔法力が無いと諦めている。引き出す魔法力が余りにも少ない為、技術を学ぼうともしない。この学校で三年間遊び呆けて、人間界に下りる覚悟だった。
じゃあ、自分はどうだと言うんだ。テッドは自問した。
狩人としての腕前には自信がある。剣術弓術、共に同期では相手になる者はいない。魔法種族としての位置から大きく離れている一族である為、そういう生活をして来たまでだ。自慢出来る事では無い。逆に、魔法学校内では落ちこぼれ一族の中の落ちこぼれだと見られている。剣術や弓術の実力があってもここでは認められない。
(魔法力ねー)
そうは言っても、魔法力自体はあるのはある。ちょっとした魔法は使える。それを生かそうとしないだけだ。
(大体、魔法使いになるつもりはねえし……)
魔法使いへの憧れが無い。それが大きい。周囲に魔法使いがいなかった事もある。憧れの存在がいなかったのもある。上から目線で教えて来る教師にはムカついて来る。その反発もある。別に好きで来た訳じゃ無い。好きで魔法を習うつもりじゃ無い。
自分が好きなのは、永遠に連なる深い森と容赦無く牙を剥く獣達、命を賭けた一瞬、支え合う仲間……。そこに、華麗なる魔法世界は無いし、温暖な人間社会の営みは無い。あるのは、死か、死を先延ばしにする戦いだ。そこには、己が身に付けた技を披露する余裕は無い。誰かの優れた技術は、一族の維持に直結する。素直に尊敬し、自分と仲間の為に教えを乞う。何か特技を持っている事で自慢にするようなさもしい心根を持つ者はひとりもいない。
魔法がどれだけ自分の役に立つか、そりゃ分かってる。だが、それでも、自分の生きて来た道を見下されてまで、奴らの軍門に降る気はさらさら無い。
(ひねくれてんだよ。馬鹿野郎だって分かってるさ)