兎人間
ある夜の夢を元に書いたお話です。
夢ならではの不思議な世界観を楽しんで頂けたら嬉しいです。
朝。教室に踏み入れた足が固まった。
耳、耳、耳――。
机の陰から白、あるいはピンクのうさみみが飛び出している。
「あ、楓ちゃん、おはよ……って、え?」
廊下を歩いてきた美央が私の恐怖の表情に気がついて足を止めた。
「見て」
私はかすれる声を絞り出して教室の中へ視線を戻す。
「ん?どうし……」
中の様子を確認した美央の顔がさぁっと青ざめ、笑みが消える。
私が恐る恐る教室に入って、震える靴のカツ……という音に全ての耳がこちらを向いた。言い様のない恐怖を感じながら机を回り込む。
兎、兎、兎――。
自分の顔を白く塗り、拙いメイクで兎の顔になったクラスメイト達が床に手を着き不自然に背を曲げた格好で私を見ていた。
「……」
思わず後ずさる。あと1,2歩で手が届くという距離でしばらく私を見つめていた佐々木君と思われる兎が、ぴょんと跳んだ。兎のように。
彼に続いてぴょん、ぴょんと大きな兎達が迫ってくる。
「なに……。なんで? どうしたの……?」
私の問いかけにも答えず、必死に慣れないうさぎ跳びを繰り返す彼らは異様でしかなかった。
「美央ちゃん……逃げよう」
彼らの目を見て、ここにいてはいけないのだと本能的に悟った。
固まって突っ立っている美央の背中をそっと押してその場を離れる。
カツン、コツン、カツン、コツン――。
廊下には私達の単調な足音だけが響く。そろそろ昇降口、という辺りで耳が別の音を捉えた。
タン、タタン、ドン――。
「ひっ!!」
美央が息を呑む。
「大丈夫?」
彼女は恐怖に震える声で囁いた。
「来る……! 来るよ、うさぎが。うさぎが、兎が、兎が……!!」
「落ち着いて! 人だよ、大丈夫だから」
タタタン、ダン! ドドン! ダ、ダダ――!
姿の見えない兎に押し潰されそうだ。
「いやああぁぁぁ!!!」
耐えきれず、美央が悲鳴をあげる。振り返るとおびただしい数の兎人間が迫っていた。ぞぞ……背筋に震えが走る。
靴を変える余裕もなく、上履きのまま外へ飛び出し、美央と手を取り合って学校から近い私の家へ向かい全力で走った。
息が切れ胸が鋭く痛んでも、あの兎達が来ているかもと思うと休むことも出来ない。逃げなければ。少しでも遠くへ。
前から一台の車が走ってきた。あれは……お母さんの車だ。
「乗って!」
深刻な顔でお母さんが窓越しに叫ぶ。乗り込んだ途端、車を急発進させた。
「……どう、なってるの!?」
息を切らしながらもまず尋ねる。
「わからない……。でも、見て」
前を向いたままのお母さんからナビを受け取った。そこに表示されたアイコンを見て、私は愕然とする。
「なに……これ…………」
兎。可愛らしい兎の顔のアイコンが、ピコピコと点滅しながら動き回っていた。
それも、何十という数で。
「これは?」
横から覗いていた美央が赤い丸を指した。
中央で光る小さな赤い矢印はこの車のこと。じゃあ、さらに南の方で光る大きな赤丸は何を表しているのだろう?
「行ってみる?」
お母さんの問いに私達は顔を見合せ、頷いた。
「それしかないと思う」
無言でその場所を目指した。
着いたのはだだっ広い荒れ野原だった。手入れされておらず伸び放題の草の影に、人がうずくまっているのがちらりと見える。
「……ここだ」
赤丸の位置も、丁度あの人と重なる。服装から見るに恐らく男性だろう。
「……あの。どうかしましたか……?」
ゆっくり近づき、声をかけながら顔を覗きこんだ。その体勢のまま固まってしまう。
その男には、人間の顔がなかった。
本来それがあるべき場所に何があるのか、一瞬わからなかった。
頭部に白いいびつな2つの突起。前面はしわしわで赤と黒が交差した模様のようなものが浮かび上がっている。
数秒かかって、ようやく私はそれが何なのか理解した。
「……! きゃあアアァァァ!!!」
少し遅れて状況を飲み込んだ美央が絶叫する。
そう。それは恐ろしい、でも確かに、兎の顔だった。
学校の人達のようなメイクではない。本物だと分かる。
「か……たい」
気が付くと美央が彼の顔を触っていた。私も恐る恐る手を伸ばす。
本当だ。お面のようで、少しざらざらしている。それなのに皮膚であると分かってしまうのも恐ろしい。
一陣の風に先程より伸びた長い耳がふるふると揺れる。
赤、黒、赤、黒。まるで何かの紋章のような。
もともとの彼の耳は、目は、口は、どこへいった?
あぁ……。そうか。
「だから……。だから皆、自分から」
私の呟きに美央は耳を塞ぐ。
「いやぁ! ああぁぁぁ!!」
この男のように、兎人間にならないように。せめて自分の顔でいられるように、ああやって必死に兎になったのだ。
ひゅうううぅぅぅぅ――。
風に髪が踊る。
あれ? お母さん?
赤、赤、黒、黒。
きっと今、ナビには赤丸が2つ表示されている。
「なんで、皆は知ってたんだろう?」
逆になんで私は、私達は知らなかったんだろう。
ふと何気なく頭にやった手に、何か固いこりっとしたものが触れた。視界の隅に赤色が見える。
そもそも、どうしてこの男は……。ここは、どこ?どうして私はこんなところに……?
なんだかどうでもよくなっていた。考えたって分からないのだ。
こんな世界でたった1人残されたらどう思うだろう。周りの人はみな、兎を必死に、まさに必死に演じ、知り合いは不気味な兎らしき化け物と化して……。
「いやあぁ! ああぁあぁぁあああぁ!!」
どこかで誰かの悲鳴が聞こえる。わずかに残った知性でぼんやりと考える。
自分もいつ兎人間になるかと怯えながら……。頼れる人は誰もいない。
「ううぅ……。ふ……ふふ。あはははは!」
そのストレスに耐えかねたとき、人は……。
目の前で、赤と黒の点が舞う。
びゅうぅるるううぅぅぅ――。
風が泣き叫ぶ。その時……。
頭の上で、何かが揺れた。
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