口紅
第三十一回開催は4月7日(土)
お題「うそつき!」/新しい
4月1日はエイプリルフールです。
皆様の参加をお待ちしております。
作業時間
(忘れました……)
新しい家に引っ越してきてから丁度一年。ぼくたち夫婦は初めてケンカした。
妻の手からクッションが飛んできた。ぼくはそれを掴む。きっかけは些細な事だ。
近くにハイキングコースがある。そこに梅の花が蕾をつけている。その梅の花の色は何色だったか、という話だ。
ぼくは白と答えたが、彼女は紅。ぼくが白を推すものだから、段々雲行きが怪しくなって来た。
他の誰と見に行った梅の色が忘れられないんでしょう、そうに決まっているわ、と。
思い込みの強い彼女から誤解をどう解けないか考えあぐねていると、今度は手のひらくらいの観葉植物が飛んできた。冗談じゃない、ぼくを殺す気か。既に彼女の手にはノートパソコンが握られている。そんなもの当たったら怪我をするし、仕事のデータが吹っ飛ぶ。
ぼくは慌ててリビングから寝室に逃げ込んで鍵をかけた。妻の激昂が収まるのを待つ。まさかこんな事で大ゲンカする羽目になるとは夢にも思わず、ぼくは長い長いため息をついた。
――翌日。
不機嫌の治らない妻に思い切って声をかける。彼女はぶすったれた表情で、何、と一言、言っただけだった。
「そんなに気になるなら、一緒に見に行こう。お弁当持ってさ、ハイキングには丁度良い陽気になって来たしさ」
夫の役目は妻の機嫌を取る事。これを忘れてはいけない。
「別に良いけど」
彼女はそっぽを向きながらぼくに食後のコーヒーを淹れてくれた。まんざらでもない様子を察して、ぼくは小さくガッツポーズを取った。
――翌週。
一揃いのハイキングセットとお弁当を持ったぼく達は車でコースの入口を目指した。五合目までは車で入れる。ぐねぐねとうねる道をBMW MINIが走る。
その時、車道に狐が飛び出してきた。ぼくは思い切りハンドルを切った。間一髪で車は停まり、狐の親子は逃げていく。
「危なかった……」
言うは束の間。ぼく達の車の前に大きなトラックが突っ込んできた。――それからの意識は、ない――。
ぼく達が事故に遭って、三度目の春がやって来た。ようやく二人揃って、またあの山に登れる。ぼくは妻を車に乗せてゆっくりと五合目までやって来た。
そこから先は、妻の手を引いて。青く茂る枝葉の香りに、あれが良い、これが素敵、と言いながら。
やがて山道は拓けた所に出た。ねえ、と、妻が、ぼくの袖を引く。梅は何色かしら――。
ぼくは陽光に照らされた梅を見た。そこには……。
「きみの言うとおり、紅梅だよ」
「……嘘つき」
「嘘なもんか」
彼女の、事故で光を失った目には、もう、見えない。
目の前には、大輪の豊後。口紅と呼ばれる花弁の周囲が白から薄紅色の美しい梅が咲いていた。