九十七日目 俺の一日:その5
「その、お辛いことを思い出させてしまいまして」
「全然いいよ。寧ろちょっとスッキリしたかな」
誰にも話さなかったから。
その時、あまりの痛みに気絶したらしく、気づいたら病院のベッドで寝かされていた。夏休み中だったから友達に何かあったと勘づかれることもなくてよかった。
授業でプールのある日は人に背中を見せないように壁に背を向けて着替えたし、スク水も背中が出ないやつに買い換えた。
「当時は少しショックだったな。折角やりたいことがやれると思ったのに、やめざるを得なかったから……」
「マスター……」
「あ、気にする必要はないぞ? もう関係もない話だし、吹っ切れてるしさ」
ポキポキ、と首を回して空のマグカップをキリカに渡す。
「じゃあ、俺そろそろ寝るよ」
「はい。いい夢を」
「お休み」
灯りを消してベッドに入り込む。夏用の薄い掛け布団にくるまりながら、久しぶりに思い出した背中の事を考えていた。
腫れ上がる程に大火傷を負ったあの時は、それのせいで腕が動かなくなるなんて考えたこともなかった。
完全に治るまでは数年かかると医者に言われた時は死刑宣告にしか聞こえなかった。
文字をかいたり軽く運動するぶんには問題ないけれど、激しい肩甲骨の動きは皮膚を無理矢理引っ張るから駄目だと言われた。
その時、瞬時に悟った。わかってしまったんだ。
やめるしかないってことを。
眩しさに目を開くと日が登り始めていた。
いつものように顔を洗って、キリカに髪を結ってもらって、朝食を食べて、動物達から情報収集をして。
何をしているときでも、あのときのことが頭によぎる。
もう一度、やり直せる今でも、もう二度と触りたくはない。
あのときのように純粋に楽しむなんて出来ないのだから。
「主、どうされましたか?」
「え? あ、いや、なんでもない」
少しボーッとしすぎたな……書類にサインをしてライトに渡す。
「寝不足ですか?」
「いや、多分違うと思う。大丈夫だ。なにも問題ない」
ひらひらと手を振ってそう言う。
ライトは心配性だから少しでも調子悪そうにすると直ぐ気付くんだよな……。誤魔化すために演技力が上がった気がする。
「ちょっと考え事をしてただけだからさ」
「考え事、ですか」
「いや、正確には……思い出していたって言った方が正しいかな」
「故郷の、ですか」
「そんなとこ」
あそこに俺の居場所はない。俺はあの家ではただの劣化品、粗悪品だ。それでもあそこのことを考えるのはやっぱりあそこで生きた時間のせいだろうか。
俺は……ちゃんとソウルをあっちに返せるのだろうか……?
「帰りたいのですか?」
「俺は最悪どっちでもいいかな。家族とも不仲だしさ。あー、でもゲームのギルマスの引き継ぎくらいはしないとな。ソウル・ブランが俺のせいで解散するってのもなんかやだし」
世界的にみてもかなり強いギルドだ。
俺を抜いても相当な実力を持っている。
「主はどうしてこの世界に?」
「俺、望んでこっちに来た訳じゃないよ?」
「それでも本気で拒否することも出来たでしょう」
それはそうなんだけど、あの時は……
「ソウルも一緒に飛ばされたって知って……その選択肢は頭から抜け落ちてたかもな。どちらにせよあいつのいない場所なんて生きてる意味はないだろうし」
ソウルがいない場所で、無かったことにして生きるなんて無理だ。あいつがいなくなって、それで……その内思い出せることも少なくなって。俺はそれに耐えられるのか?
俺が死んだところでなにも変わりはしない。葬式の費用分のお金が減るだけだ。
葬式なんて要らないけどな。適当に燃やして海にでも撒いてくれればいい。所詮俺なんてそんな価値しかない。
でもソウルは生きる価値がある。
俺にないものをあいつは沢山持っている。
あれだけ容姿が整っているんだ。俺の代わりくらい何人でも見付かるだろう。
どこに行ってもナンパされるからな………
「主は……ソウルに依存しすぎです」
「ははは……そうかもな」
砂糖以上に俺はあいつの存在に頼って依存している。
「自覚があるのなら、少しずつ治していけばいいのでは?」
「んー……正直このままでもいいかなって思ってはいるんだよ」
「何故? 過度な依存は生死すら危険に侵されます」
「俺が死ななかったのはあいつのお陰だから」
ハッとした顔でこっちを見るライト。
心当たりがあるような、無いような表情だ。
「そちらの世界では死ぬことはそうそうないのでしょう?」
「ああ。無いよ。戦争もない、医療も発達している。俺の家はそれなりに裕福だったから食うにも困らなかったし」
「では、何故……?」
「さぁ………なんでだろうな」
ライトの顔を見ると、ライトは目を見開いて少し口を開けていた。
……わかったか。
「今はその気はないから落ち着け。さてと。お茶もう一杯もらえるか?」
「……はい」
綺麗な色をした紅茶が注がれる。
いい香りがポットから出る液体からふわりと漂った。
俺の価値って……なんなんだろう?
「ふぁあ……あー、面倒……」
水路を移動するゴンドラに乗りながら大あくびをする俺に、メイドのレーナが書類の入った鞄を落とさないよう握りしめながら、
「マスター。そんなことを言ってはいけませんよ」
と少し困ったような口調で言う。
「わかってるけどさ……拠点から微妙に遠いんだよな……」
「遠くなければ狙われるからでしょう?」
真面目だなぁ……。
他のメイド達とは少し考え方が違って、レーナは過保護ではない。寧ろあまり過保護にすると俺のためにならないっていう考えの珍しい子だ。
いや、本来は珍しくはないんだろうけど俺の家のメイド達はほぼ全員やりすぎなんだよ……
「お客さん、商人かい?」
「まぁ、そんなところです」
情報の商人だから間違ってはないはず。
「大変だねぇ、出来る部下がいると」
「ホントですよ。周りが優秀すぎてもう自分がやることなくて暇で暇で」
「はっはっは、そりゃ大変だなぁ」
ゴンドラを慣れた手付きで漕ぎながらおっさんがそう話しかけてくる。
「兄ちゃんこの前公園で歌ってただろ? ちょっとだけ見てたんだよ」
「え、見てたんですか。恥ずかしいなぁ……」
「歌ってくれないか? 運賃タダにしてやるからさ」
「タダならやります!」
無料! なんといい響きだろうか。いや、歌うんだから俺も対価を支払っていることにはなるんだけどな。
曲は……そうだなぁ……
どうせなら大衆向けするやつの、アカペラでもそれなりに格好良いやつ……ミュージカルにしとくか?
じゃあ適当に『サウンド・オブ・ミュージック』のエーデルワイス辺りにしておこうか。
英語でいいか。日本語の歌詞だとなんかうまくメロディに嵌まらない感じがするんだよね、個人的に。
三拍子だからテンポは……これくらいか? 久しく歌ってないから忘れてるな。
息を軽く吸い込んでそれほど声を張らずに歌う。元々山に咲く花の歌だからこの場所とはイメージかけ離れてるけどな‼
かなり短い歌だから橋から橋までのかなり短い区間で歌い終わった。
「やっぱり上手いな、兄ちゃん」
「まだまだですよ。上には上がいますから」
音楽科に入って余計にそう思った。いつだって上には上がいる。
俺は結局、井の中の蛙なんだって思い知った。もうあの楽器に触ることはないけど、きっとあのときの俺はどうかしていたんだろうな……。




