七十日目 おれの再スタート
ーーーーーーーーーー《???サイド》
おれは物心もついていない頃に親に捨てられた。施設で過ごし、育ててくれたお義母さんに恩返しがしたくて必死に勉強した。
友達はそれなりにいた。勉強も運動も頑張ったから結構持て囃されることが多くてそれで妬まれもしたけど。
市内最難関と名高い大学付属の高校に入学、そのままその大学に進んで社会人になった。
学歴も良かったし、おれ自身自分で言っちゃなんだけど仕事もできるほうだったから就職は容易だった。
高校大学と生徒会長とかもやっていたからそのあたりの評価も大きかったのかもしれないけど。
一流企業に就職して、金を稼いで施設に沢山送った。それで自分の生活が少し苦しくなっても支援だけはやめなかった。
そろそろ安定して仕事ができるようになった頃、最悪な報せが届いた。
――お義母さんが交通事故で死んだという報せだった。
三桁を越える死者や重軽傷を負った人達の名簿の端の方にひっそりとお義母さんの名前が乗っていた。
その事故はどうあがいても回避できないものだった。レールの破損によって電車が脱線、カーブで止まりきれずに数十メートル下の地面に落下。
乗っていた人は全員死亡、落下に巻き込まれた人たちもほぼ全員が死んだ。重軽傷で済んだ人の方が少なかったくらいに。
お義母さんはその電車に乗っていたらしい。あまりにも強い衝撃で死体がぐちゃぐちゃになってしまい、誰かすらわからない状態になっている人よりはまだ良かったけど、体は半分になっていたらしい。
おれはそれからいきる意味が無くなってしまったんだと思う。
仕事を終えて家に帰り、食事をとって寝る。ただそのサイクルが繰り返されるだけ。
女性からは交際の申し出が次々と来るけど、あれはおれを見てるんじゃない。おれの学歴と仕事を狙っているだけでおれ自身なんか誰も見てはくれない。
唯一おれのことをちゃんと見てくれていた人は死んでしまった。
そう、死んだんだ。
誰のせいでもない。
レールの破損は整備点検不足というわけでもなく本当に避けようのないものだったらしい。おれにはよくわからなかった。
わからない。
なにもかも。
これから先どう生きていけばいいのか、なにも判らなくなってしまった。
それでも世界はそれを忘れるかのように無情に冷酷に過ぎていく。辛いと声をあげても誰も見てはくれない。
ただただ機械のように生きた。食事もとらなくなり、まともに寝ることすらできなかった。それがいけなかったのかもしれない。
ゲリラ豪雨が来て、傘を持っていないおれは鞄の中の書類を濡らさないようにして走っていた。その瞬間、強烈な眩暈に襲われた。なんとか屋根のあるところまで走って座り込んだけど、一向に収まる気配がなかった。
これ以上長居をしていたら遅れると思い、地下鉄への階段を下りはじめて………そこからの記憶がない。多分そのまま階段で頭を打って死んだんじゃないかと思う。
気付いたらおれは見知らぬ女性に抱かれていた。
最初は意味がわからなかったけど、徐々に自分が産まれ直したのだと知った。その人はおれを暫く育てていたがある日突然森へ入っていっておれを捨てた。
何故かはわからない。経済的理由だったのかもしれないしノイローゼになってしまったのかもしれない。
ひとつだけ確かなことは……おれはまた捨てられたんだ。
こんな体では自分で動くことすらできない。泣いて助けを求めるか? そう思っていたら、髪色は濃い青、目は透き通るような薄い水色で全身真っ白の服を着た人がおれを見付けた。
ブラック、と呼ばれていたその人は男とも女ともつかない声でとりあえずおれを保護すると宣言した。
おれはその人にお義母さんを重ねてみていたのだろうか? どちらにせよ連れていってもらわないとおれは死ぬ。
そこで初めて知ったんだ。この世界には魔法というものが存在し、剣や槍が現役であることを。
母親(名前すら知らない)はそんなもの使ってなかったし、そもそも家の外に出ることがなかったから剣なんてものは博物館のショーケース越しでしか見たことがなく、最初はひどく動揺した。
ブラックと呼ばれたおれの保護者はかなり偉い人のようで、『総司令官殿』って呼ばれてたから軍人なのかも。本人そう呼ばれる度に否定していたけど。
それから生身で空を飛ぶという貴重な体験をした。落下するときに気絶したから全然覚えていないけど……気付いたらメイド服を着た女性に囲まれていた。
その次の日、ブラックと呼ばれていた人が戻ってきた。焦点の合っていない目で扉を開けて、そのまま倒れこんだ。近くのメイドさんが倒れないように支えたけれど。
数時間後、目を覚ましたその人は疲れきった顔で「条約はなんとかなったけど、その代わりに仕事しろって言われたよ」と小さく呟くように皆に言った。
数人が息を飲む。……仕事ってなに?
「そんな……じゃあマスターは」
「暫くは休業ってことで話をつけてきたが、これもそう長くは持たんだろうな」
軽く冗談っぽく言っているが、表情が堅い。無理をしていっているのは明白だった。
「ブランはそれで良かったのか?」
「いいわけないだろ。理由はどう考えても俺を縛り付けたいってだけだし、よく言って囮だろうしな。けど……承知したと言わざるを得ない状況だった。そもそも無抵抗であるということを知らせるために武装解除して行ったんだから抵抗のしようがないし」
空気が重い。
おれにはあまり理解ができないけど……この人のやってる仕事っていうのはかなり特殊みたいだ。
「とりあえず、ゴーレムをいくつか送ってみて様子を見るさ。それと……」
「それと?」
「凄い言いにくいんだけど」
「なんです」
「………喉乾いた」
え、そんだけ? って思ったのは俺だけみたい。その場の全員が溜息をついた。
「飲み干したんですか、水筒」
「ちょっとでかい魔法を使って……数時間走り続けたら自然と無くなってた………」
『バカね』
「バカで悪かったね⁉」
この世界では飲み物が貴重なのかな。いや、でもさっきみんな普通に飲んでたけど……?
「先日も飲んだばかりだというのに」
「命懸けで戦争止めてきた人に対して皆酷くない⁉」
メイドさんがおれを抱き上げて別の部屋につれていったからその後のことは知らない。
ただ、数日後。
「お坊っちゃんのお名前が決まったそうよ」
「え、そうなの? どなたが?」
「夕食の時間に、マスターが」
「へー。マスターが」
この家(相当広いから屋敷と言ってもいいと思うけど)ではあの人に対しての呼び名が幾つもある。
一番親しい人にはブラン、メイドさん達にはマスター、外からのお客さんはブラック、若しくはハッコク。それといつもあの人の近くにいる執事っぽい人は主って呼んでる。
主とマスターを抜いても、ブラック、ハッコク、ブランの三つの名前がある。どれが正解なんだろう?
ただ、この前お客さんが『エステレラ家』とこの家のことを言っていたからファミリーネームはエステレラなのか?
「お坊っちゃまの名前、イベル様だそうよ」
………へ?
「イベル様かー。どうして?」
「なんでも冬って意味の言葉をちょっと言いやすくしたんだって」
「なんで冬なの?」
「ほら、マスターが使った大魔法あるじゃない。あれから連想していってそうなったらしいわよ」
……な、なんか適当じゃないですか?
まぁ、変じゃないからいいけど……
こうしておれはイベルになった。




