六十日目 風邪……?
「やっとお休みになられましたね」
「まさかタオルで寝るとは……」
最近目をしきりに擦っておられていましたから、眠気も限界だったのでしょうね。
「キリカは情報の内容、知っているか?」
「はい」
メイド長の私と家族の方にしか話してくださりませんが、もし自分が倒れたときのためにといつも数人にはお仕事の内容を事細かに説明してくださるのです。
この性格だからきっと私は、いえ、私たちは救われたのです。
丁度一年ほど前でしょうか、人身売買が禁止されているはずの町で売り飛ばされようとしていた私達を自身は大ケガをしながらも助けてくださいました。
その時のことは空腹と暴力による痛みであまりよくは覚えてはおりません。が、マスターが貴重な魔力を振り絞って私達の怪我を優先して治してくださいました。
自分の腹部から血を滲ませながらも、震える手で治療を施してくださいました。
限界まで私達の治療に回っていたので最後の一人を治した瞬間に力尽き、丸一日倒れ込んでしまったマスターを私達は恩を返す為に必死に介抱しました。
その時に背中にあるあれを見てしまったのです。
まさかとは思いました。ですが、ご本人も理解していないらしく伺ってもなんの話かわからないと言われました。
ソウル様方にも隠されているだけなのかもしれませんので、私もそれ以上の追求はしておりません。
エステレラ。その名に一体なんの罪があるのでしょうか。
星の名狩りが行われた二十年ほど前、この世界の英雄すら滅ぼしたあの呪いから当時まだ赤子だったマスターやソウル様を何方が救ってくださったのでしょう。
私の償いはマスターに仕えることでなされるのでしょうか。
「っと、すまない。今から会議のようだ」
「では退出した方がよろしいですか?」
「いや、キリカ殿はここで共に説明をしてくれぬか? 中心人物があれではな……」
そういってマスターに困ったような目を向けられます。マスターは目にタオルをかけたままソファーでお休みになられています。
「承知いたしました」
国家間会議にはマスターがお作りになられた魔法通信具が特別に使用されます。マスターは信頼できる王族のところのみにこの通信具を設置されているのです。
勿論私も頂いています。
『通じているか?』
「ああ。こちらは問題ない。だが肝心の白黒がこの有り様でな。代理として白黒の使用人に参加してもらうことになった」
「キリカと申します」
『そなたがキリカか。白黒から話は聞いている。では早速始めようか』
人間国の五人の王が参加する会議には数ヵ月前から情報提供者としてマスターも参加されております。
その影響力は一国の王を超えると言われています故にマスターに下手に逆らうものは誰もいない状況です。
「此度人間国領に侵入してきたのは魔族です。それも、神火だと」
『神火⁉』
『あれが出てきたのか……』
『宣戦はされたのか?』
「白黒ネットワークでは未だその情報はございませんがマスターはそう遠くない未来にそうなるのではないかと申されておりました」
『なんと』
『これを知っているのは誰だ?』
「私共白黒ネットワーク中枢の者とここにいる方々のみで御座います」
マスターはここでいつも普段通りに話しておられるのですか……
私には少し荷が重い仕事です。
この情報ひとつで国が動いてしまうのですから。
『では、どこから攻められるなどという細かな情報はあるか?』
「魔族領のガードが固く、一部の情報、それも偏りのある信憑性の薄いものしか御座いません故、そのお話は情報が入り次第とのことです」
『やはり魔族領は白黒をもってしても破りにくいか』
そもそも魔族領は未知の領域。そこに足を踏み入れたマスターが異常なのですが。
「………仕方がない。ここから先は各国で戦力の増強、戦争に備えるしかないな」
『承知した。……キリカといったか』
「はっ」
『何か情報が入れば我々に即座に伝えてくれと本人に伝えておいてくれ』
「承知いたしました」
通信が切れました。
「中々悪くなかったではないか」
「緊張しました………」
「ははは。ブランも最初はそう言っておったぞ」
マスターも緊張すること、あるのですね……。
それにしても、このゴーグルいつもつけていらっしゃる……お風呂の時でさえ持っていっているような……?
つい、出来心で外してしまいました。
この頭にかける部分は一体なんの素材でできているのでしょう? 伸縮します。
目にかけてみました。
………? いつもかけていらっしゃるのでさぞや強い威力の魔法具かと思ったのですが、なにも起きませんね……?
結局、いつも持っている理由は判りませんでした。思い出の品なのでしょうか。
それにしても起きませんね、マスター……。
頬をつついてみました。
「や、柔らかい……!」
滑らかで柔らかく、熱のせいなのでしょうがほんの少し汗で湿っています。私は汗を拭き取りながらこのなんとも言えぬ柔らかさを楽しんでいました。
これは、この感覚は……そうです。“もちもち”です!
“もちもち”なる魔力から抜け出せる気がいたしません………!
「ん、ぅう……」
………ハッ!
マスターの頬で遊ぶなどなんたる不躾なことを………!
それにしてもマスターのこの症状、本当に風邪なのでしょうか……?
全く起きられませんが大丈夫なのでしょうか?
「おかえりなさい……ってなんで寝てるんです?」
「マスターはお風邪のようです」
「え、ブランさんでも風邪引くんですか……」
まるでマスターは病原菌を殺せる超人のような台詞ですね……超人という言葉には否定しませんが。
「……? ちょっと見せてもらってもいいですか?」
「はい」
ごろんとソファに寝かせます。
「っ、これ風邪じゃないです‼」
「えっ⁉」
「ほらここ! 魔気熱の症状です!」
首筋の辺りに赤い線が幾筋も浮かび上がっていました。
こんなもの、お城ではなかったのに………!
「と、とりあえず病院に‼ あっ、こっちに病院ないんだっけ……診療所に連れていきましょう!」
魔気熱、そんなものが。
魔気熱とは、空気中のマナが人間の体の中の魔力を強制的に気化させて激しい痛みと熱を起こさせる病気です。
無理矢理マナが入り込むので魔力の集まりやすい首筋に魔力の暴れた痕が浮かび上がり、治療が遅れれば数日で死に至ってしまう恐ろしい病気です。
しかも、魔力の多い者の方が被害を受けやすいという特徴もありマスターの天敵ともいえるでしょう。
「ですが魔気熱など突然なったりはしないはず………」
「それは僕も驚いています。そもそも今朝まで元気だったのに、もう首筋の痕が浮かんでいる時点でおかしいんです」
兎に角急いで診療所へ、と馬車を急がせました。
魔法で治そうとすれば寧ろマナが活性化してしまうので今私に出来ることはなにもありません。
「マスター……」
一刻も早く、診療所へいかなければならないのに馬車はこれ以上の速度は出ません。お願い、早く、早く………!




