四十八日目 七美徳と七大罪
「我々吸血鬼は自分よりも強い相手を一人吸血鬼にし、その者と添い遂げるという掟がある」
………いや、知らんし。
「貴殿はその点女でもある上に私よりも強い。うってつけの相手だったのだ」
………いや、だから知らんし。
「貴殿の呼吸が止まり、少々焦ったのだぞ。魔力等価で回復できるものであったのは幸いだった」
それに関しては感謝するよ。けど正直あり得ないんだけど。
「そういわれても……」
「何、今は受け入れられずともきっとその内わかる。時間はあるのだからな」
「……時間なんてないですよ。自分……いや、俺には大切な人がいる。仲間で、恋人で、家族だ。その人以外には興味の欠片もない」
恩を仇で返すようだけど、俺にはソウルしかない。日本に帰るという目的すらあいつのためだ。
それは俺のわがままだ。傲慢で救いようのない願いだ。
でも、俺があいつの役に立てるなら俺はそれをやる。そのためなら死んでもいい。元々もう失われた命だ。あいつのために使ってバチが当たることもないだろう。
俺は俺の為にソウルを日本に帰す。そのために生きている。
「助けてくれたことには感謝している。だが、俺はあいつの全てを守るために生きている」
過保護と言いたいなら言えばいい。
俺はあいつがいないと生きていけない。あいつがいるとわかったから外に出られたし、あいつのお陰で安心してわがままが言える。
「俺はあいつがいないと駄目なんだ。俺の最低な我が儘にとことん付き合ってくれるのは昔からあいつだけだから」
他の誰に見限られてもおかしくはないようなことにでもあいつは呆れた顔で着いてきてくれる。
思っていた以上に俺はあいつのことが好きみたいだ。
「だから………⁉」
突然、エルヴィンが上半身裸になった。なんで⁉
いや、意味わかんない。今のこの会話の流れでは脱ぐ必要なかったよね⁉
エルヴィンはナイフを取り出した。
「いったい何、を………?」
今防具もなにもつけていない。防ぐには魔法を多重展開して防御に努めるしかない。
けどその必要はなかった。エルヴィンはそれを自分の肩にほんの少し刺しただけだから。
「なんで………」
何がしたいんだ、こいつ。そう思った瞬間だった。
小さな切り傷から血がほんの少し出た。それが重力に逆らわず落ちていく。高そうな絨毯に血が落ちた。
勿体無い。
無意識にそう思った。
絨毯の心配なんてしていなかった。ただ、流れた血から目が全く離せない。
エルヴィンに抱き締められた。肌と肌が触れ合う。エルヴィンは俺より少し体温が高かった。
乾いた喉が、これが夢でないことを証明するように痛み出す。
鉄臭い、血特有の臭いが鼻につく。何故か呼吸が早くなる。
「………無理をするな」
耳元でそういわれた瞬間に記憶がとんだ。
気が付いたら、エルヴィンと抱き合うような姿で首筋に噛みつきあっていた。
「―――っ!」
理解した直後に無理矢理押し退ける。口のなかにまだ血の味がこびりついている。
それを美味しいと感じてしまう自分が、恐ろしくて仕方がない。
手で口を拭うとベットリと血がついた。俺もエルヴィンも、もうすでに傷は塞がっている。
「これでわかったか? 自分がどうなったのか」
「わかる筈がないだろ………」
「少なくとも人間ではないことは確かだろう?」
人間だ、と叫びたい。でも手の甲についた血が、口に残る味が、鼻に抜ける臭いが。そうではないと否定してくる。
……じゃあ俺は一体なんなんだ……?
どこに噛みつけばいいのか考えていなかった。吸うことも勿論意識していない。これは本能だ。
ただの人間が血を吸うなんて本能、持ってる筈がない。
………くらくらする。ヤバイ。……泣きたい。
ベッドに身を投げて目をつむる。今は何も見たくはない。
「リコッタ。彼女の夕食を持ってきなさい。それと服も」
「畏まりました」
扉の外にいたらしいリコッタと呼ばれたさっきのメイドさんがどこかへ去っていった。その数秒後に、エルヴィンも外へ出ていった。
「…………っ」
俺は、声を出さないようにしながら少しだけ泣いた。
恐い、恐い………。
なんでこんなことになってるんだよ………俺が何かしたのか?
俺はこの世界の人間じゃないから、だからこんなにもいろいろ起こるのか?
俺たちが日本へ帰る道は、こんなにも険しいのか? まだ行動もしていないのに。
諦めろと、そういいたいのか。
偶然は必然だとか言うけれどこれが必然だとしたら俺は一体どれ程の困難を乗り越えなければならない?
あいつも居なくて、仲間は呼べなくて。
心細いという言葉を使えばそれまでだけど、俺は俺が怖くて仕方がない。
自分すら信じることのできないこの状況で、俺はどうするべきなんだ………
肩を触る。HP自動回復が働いたせいでほんの少し熱をもっていた。エルヴィンが俺の血を吸ったところ。
この世界がゲームと同じなら、吸血鬼とヴァンパイアは別の筈だ。ヴァンパイアは同族を増やすために血を吸う。
吸血鬼は鬼の一族で生きるために血を吸う。
俺がなったのが後者なら、俺は生きるために血を吸い続けなくてはならない。そんなの、無理だ………。
血を吸っているときの記憶はない。ただ、快感に近いものを覚えていた。吸うのも吸われるのも苦しさなんて微塵も感じなかった。
ただ、気持ち良かった。楽しいとすら感じていた。
「ひ、めの………恐いよ………」
俺は気づいたら毛布のなかで丸まってヒメノに助けを求めていた。ソウルと呼ばなかったのは何故なのだろうか。俺にもわからない。
ここまでの恐怖、死んだ時以上ではないだろうか。いや、生まれてはじめてかもしれない。
自分が自分でなくなる恐怖。俺が初めて感じた本当の恐怖だった。
ピコン、と音がした。昔、いや、つい最近までよく聞いていた音。
恐る恐る目を開けると、暗い毛布のなかで文字が浮かび上がっている。
〔条件を満たしました。獲得するスキルを選んでください〕
条、件…………?
俺が状況を理解するより先に目の前に二重丸が浮かぶ。これは、職業の固有スキルを変更するときに出てくるアイコン、それによく似ている。
外枠に点が七個、内側にも七個。ただし、光っていない点もある。これはスキルの条件を満たしていないということなのだろうか。
光っているスキルを全て触って中の情報を読む。
内側の丸には点が三つ光っていて、正義、節制、忍耐。外側には四つ光っていて、傲慢、暴食、怠惰、強欲とそれぞれかいてあった。
内側は七美徳、外側は七大罪ってことか。特に説明文もなく、ただ文字が並んで浮かんでいるだけ。
何故かわかる。この中で俺が今一番必要なのは………節制だ。
ただ、何となくこれがいいと思った。勘だった。
指を滑らせてタッチしようとした瞬間に扉が開いた音がして滅茶苦茶驚いた。指は節制をタップしたまま暴食も同時に通り抜け、確認画面もなしにスキルが身に付いたというログが入った。
「え………?」
そしてその画面は、何事もなかったかのように消え去っていった。




