三百六十日目 分厚いお手紙
学校を辞めたいと言ったイベルの表情はかなり強張っている。
この数日、俺が知らない間に色々考えたんだろうとは思う。辞めた後どうするかも、イベルの事だからしっかり考えてるんだろうな。
正直な所、俺は最初からイベルの考えを否定するつもりは全くない。イベルが他の学校に行きたいと言うのなら幾らでも金は出すし、辞めて冒険者になると言ったとしても止めはしない。
今回の件も全部自分で解決しようとしたからこそ、俺には黙ってたんだろうし。
ただ、それが『本心からの言葉なら』の話だけどな。
「辞めたい、か……」
「学校に通えるように拠点の改造をしたりとか、色々やってもらったのに……ごめんなさい。これ以上、迷惑かけたくないし」
俺は人の感情を察する、というのが結構苦手だ。相手が何を考えて、何をすれば喜ぶのか、言葉にしてもらえなければ分からない。そもそも人の顔をあまり直視できないっていうのもあるんだけど。
だけど唯一、俺に向けられた悪意に関してはそこそこ敏感に感じ取れる。なぜなのかは良く覚えてないけど『騙してやろう』って思われてる時は案外わかる。単純に野性のカンだって友達には言われてたけど。
その嫌な感じが、今、俺の後ろから流れてきている。
扉の向こう側で話を聞いているスルグ公爵だ。部屋全体からその気配がするから、多分部屋の中にも盗聴できる魔法か道具が仕込まれてると思う。
ソウルに目をやると、小さく首を振った。
イベルが本心にもないことを言っている。ソウルがそう判断しているから間違いない。
「金のことなら気にしなくていい。これでも稼ぎはそこそこあるからな」
拠点や従業員も多い分出費も嵩むから結構カツカツになることもあることは内緒だ。
「俺が聞きたいのは何でそう考えたか、だ」
「えっ……だから、迷惑かけたくないから」
「そうじゃない。迷惑だとか、それはお前が決める事じゃないだろ。俺の感情なんだから、俺が迷惑だって言ったんなら受け止めなきゃならんかもしれんけど、そんなこと言ってない」
俺の感情を決めつけるなよ。迷惑だとか、思った事ないわ。
「今は周りのことなんて無視しろ。イベル本人が何をどう考えて辞めたいという結論に至ったかを知りたいんだよ」
「でも……なんて言ったら、いいのか」
多分経緯を話したくないってのは俺でもわかる。多分俺よりも長生きしてるイベルが俺に頼りたくないってのもわかる。けど……
「先に言っとく。別に学校を辞めることに反対してる訳じゃないからな。イベルの人生だ、やりたいようにやってくれれば俺はそれでいい。賢いお前のことだから、辞めることによるデメリットだったりを考えての発言だとはわかってる。だから聞きたいんだ、自分自身、納得して決断したかどうかを」
嫌なことがあったから「学校やめる」って言うタイプじゃないことくらい知ってる。
それでも詳しく知りたい。イベルが今、何を考えているか。
「……わかった。隠し事はしない。こんなことになったのは、この手紙を読んでくれたらある程度わかると思う」
イベルが机の上に出した分厚い紙袋には8通の封筒が入っている。それぞれ日付の書いてある紙が別で貼ってあるから、一回で8通届いたわけじゃなくて8回に分けて送られたものらしいというのが分かる。
開けて読んでみると、一番古いもので半年前の手紙に『私の婚約者になってください』とある。
………ん? 婚約者?
……プロポーズ? の後も延々とイベルへの賛辞が連なっていて、その言い回しが、何と言うか……うん、言葉を選ばずに言うのなら「ちょっと気持ち悪い」かもしれない。
あ、この人コミュニケーション苦手なんだなぁ、って文章からわかる。俺と同類の匂いがするね。
2通目、3通目もほぼ同じ内容を、ひたすら言い回しを変えて送ってきている。しつこいな。しかもなんか所々ポエムってて読んでるこっちが恥ずかしくなってくるやつなんだけど。中二病も同時に発症してるな……完全にブーメランで俺にも刺さるからあんまり追求しようとは思わないけど。
4通目から雲行きが怪しくなってきた。『結婚いただけないのなら学校の屋上から身投げしてしまいます』とか書いてあるんだけど……うわぁ、メンヘラだぁ。
これ連続で送られてくるの、そりゃストレスだわ。
5、6通目も似たような感じでメンヘラ全開のお手紙。ただ、7通目、それまで便箋にびっしり文字で埋め尽くしていたところが、急にど真ん中にルーン文字で呪いが仕込まれている。しかもこれ時間経って黒く変色してるだけで血だな。見たところ致死性はない呪いだけど、一週間ほど声が出なくなるくらいの効果はありそうだ。
呪いの中ではかなり地味だけど、簡単な割に結構長引くから呪術師にすら『陰湿な嫌がらせ』の部類に入る呪い。正直、これを使う人初めて見た。あ、でもちょっと失敗してほんのり書き直してるから最初から効果はほぼ無いね。
呪いって、普通の魔法よりも結構シビアな制御を必要とするものが多いから、ルーンを少しでも書き直したり、一回書いて消してその上から書いたりしたら効果が消えてしまう。しかも最悪の場合術者に跳ね返るから非常に使いづらい。
その分魔力をあまり使わずに効果を作れたり、効果時間をとびきり長く設定できたりするんだけどね。結構前に俺が受けた、数ヶ月単位で傷口が開いたり塞がったりを繰り返す、とかはその中でも特に扱いが難しい呪いだったはずだ。
その分俺は苦しんだけどね。ちゃんと扱いさえすれば低コストでハイリターンを得られるから、呪術得意な人は結構すごい人が多い。まぁ、効果が全体的に『デバフ特化』だからあんまり好まれない傾向にはある。
話は逸れたが、8通目。封筒の中に数枚の似顔絵が入っていた。……一番上がシシリーだ。イベルと一緒に拠点で暮らしているメイドの全員が描かれている。俺やソウルがないのは、単純に拠点で生活していないからだろうな。そもそもイベルとの親子関係は公表してないし。
シシリーはイベルの育て親といっても過言ではない。というのも、俺が世話をシシリーに丸投げしたからだ。イベルがうちに来た時は戦争の真っ最中だったし、その後も戦後処理でバタバタしてたから信頼できるメイドの中から特に子供好きだったシシリーをイベルの世話役に任命した。
それは今でも変わらずって感じなんだけど……そうか、そこを狙われたのか。
「なるほど。大体わかった。辞めたいというより、引っ越したいって方か」
「うん……正直、怖い」
読んでて俺も怖くなってきてるから、当事者のイベル本人はもっとだろうな。
さて、どうするか。




