三百五日目 身分証明証なんて持ってるわけない
洞窟を抜けて牛に乗って走ること四十分。
魔族領への入り口となっている港町ファル・ゼラに到着した。
ファル・ゼラは魔族領と戦争をしていた頃には最前線で、軍がいくつも常駐していた。
今は戦争がないけど、単純に海の魔物への対策も兼ねて軍が派遣されている。
ちなみにここを守れないと人族領に簡単に攻め入られてしまうため、ここへの兵の派遣は様々な国から交代で送られてくる。常に二つの国の軍がいる状態だ。国家間の小競り合いもここ最近は少ないとはいえ、ないとは言えない。その関係で軍の間でギスギスした空気になってしまうこともあるが、この町の重要性から兵を派遣しないという選択は確実に自分の首を締める。
みんな基本的にどんなことがあってもここへの派遣は絶対する。実は俺の仕事のひとつに、ここのローテーションの見張りがある。各国が持ち回りで兵を派遣するので時期によっては派遣したくない時期とかがある。秋とか特にみんな嫌がる。収穫の時期だしね。
他にも、国の大きさによって兵の人数とかもばらつきがある。俺がそれを上手いこと組み合わせて管理して兵の派遣を要求する役目になっている。大体の場合は大国と小国の兵をそれぞれ送ってもらうだけで良いんだけど、国内部の問題で兵が少なくなったりするから、その調整とかをやってる。
俺の仕事なのかなぁ。これ……
まぁ、そもそもここの兵の派遣を待ち回りでって提案したのは俺だし、雑務を言い出しっぺがやらなきゃ示しがつかない。
で、その軍。普段は町の周りの見回りなどをしている。
「身分証明できるものは?」
「えっと……」
ヤベェ……巡回してる兵に見つかった。
町に入ってしまえば商人のふりして身分証明書を偽造できるんだけど、外だとどうしようもない。
入り口のすぐ手前まで来たのに止められるとか、不運すぎる。
誤魔化すしかないか。といっても落としたと言っても胡散臭さが増す。荷物はがっつり牛に積んじゃってるし、身分証明ができる大事なものだけ落とすとか相当怪しい。
「ここに来るまでに色々あって持ってなくって……」
「そうか。ではこちらで照合しよう。どこの所属の誰だ?」
おっとぉ……珍しく真面目な兵隊さんだ。言葉の訛りからしてネベルか? じっちゃんの国って小さいから優秀な人しか兵士にはならない。そんなに人手が必要にならないから、お金の稼ぎやすい兵士は人気職だったりする。職務に真面目な人が多いんだよね。
照合されるとなると、出鱈目なことは言えない。逃げるのも手かもしれないが、ここで逃げたら船には乗れないだろう。
この町から出る船でないと魔族領には行けない。正確には、行くための方法はないわけではないんだけど結構な時間がかかる。急いでいるのならここは正直に言って通してもらうしかない。
「……あの、他言無用でお願いしたいんですが。いいですか?」
「それは立場によるな」
「ああ……まぁ、そうだと思うけど。身内にバレると面倒なことになるんで、積極的に広めないって約束してくれればそれでいいです」
「……? お前家出でもしたのか?」
当たらずとも遠からずだな。
「近いかもしれないです。自分はブラン。ブラン・セドリック・エステレラです。エステレラ家現当主で……あー……肩書きは……五大国特別司令官? がいいかなぁ」
おそらく身分の検索をした時に一番ヒットしやすいのがその肩書きだろう。多分軍のデータベース参照するんだろうし。
「はぁ……? もう少しマシな言い訳はないのか」
「いや俺本当にブランなんですけど……」
「奴を見たことがあるが顔が全然違うぞ」
だってこれ本体じゃないもん……。
「いやだから家出みたいな感じで抜け出してきたんで変装してるんですよ」
「奴の名前を騙る者は皆そう言う。いくら変装の達人とはいえ体の大きさや骨格までは変えられないだろう」
ああ、俺の変装癖がすごい裏目に出てる……。基本的に情報屋として仕事するときは普段から変装をしている。素で仕事することは殆どないと言っていいくらいだ。
プライベートを守るためにやってるんだけど、俺のスタンスのせいで俺の名前を使って悪いことする奴らが急増したのも事実。今変装してるんだって嘘つきゃ全部俺のせいになる。
そしてそれを回避するために色々証明できるものを持ち歩いているんだが。……全部持ってない……
まずい。このままでは俺が、俺を騙ってる犯人になってしまう。




