二百五十四日目 なぜ俺なのか
熱湯を頭からかぶり、全身ビショビショだ。
見かねたライトがタオルを渡してくれた。
「ブランちゃん本当にごめんね、火傷してない?」
「まぁ、俺頑丈なんで」
俺以外の人にかかってたら普通に火傷だけどな。
タオルで顔を拭きながら話をする。
「急に来てしまって、すみません」
「連絡してくれてたから別にいいの。今丁度暇だったし」
目がほとんど見えていないにも関わらず、丁寧な所作で紅茶を淹れていく。
よく転ぶことさえ気にしなければ、目が見えていないことによる支障はほぼないと言っていい。
……彼女の場合、目が見えていても転んでそうだけど。
「それで、フューリーに会いに来たんだよね?」
「はい。俺の今の状態について、専門家にお話を聞きたいと思いまして」
「うん。大変なことになってるみたいだね……」
お茶を注いで俺の前に持ってきてくれたので、礼を言いつつ口をつける。
カップの横で俺のお茶菓子のクッキーを遠慮なくバリバリ食べているピネが、不思議そうにスフィアさんを見た。
『見えてないのに、そこまでわかるの?』
「そうだね。みんなは不思議に思うかもしれないけど、私は目が見えたことがないから不便に思ったことはあまりないの。その代わり、魔力を感じ取るのが得意なんだ」
スフィアさん曰く、俺の周りに奇妙な魔力が纏わり付いているのがわかるらしい。
「でも……あまり不快な魔力ではないの」
「どういうことですか?」
「悪意が、感じられない」
スフィアさんは、多分この世で最も敏感に魔力を認識する能力に長けている。
攻撃魔法を作ることができるのも、魔力や魔法の質を熟知しているからだ。
俺もオリジナル魔法は作るけど攻撃魔法はかなり作るのが難しいから、ほとんどが生活に密着した非戦闘型の魔法だ。戦争で使った氷の城は俺が作った攻撃兼捕縛魔法だけど、あまり殺傷能力が高くない。殺傷力を上げようとすると、必要なルーンが一気に増えるし、内容が複雑化する。
魔法はルーンを書く方法と、詠唱する方法があるけど、ルーンが書けないと詠唱もできない。
その理由は、ルーンがこの世界における魔法の発動方法そのものだからだ。
詠唱するときは、頭にルーンを思い浮かべながら的確に言葉を発しないと成功しない。
ルーンをうろ覚えで詠唱すると、イメージと言葉にズレが生じて最悪魔法が発動途中で爆発する。
この世界の魔法は『そういうもの』なんだ。俺もよくわかっているわけじゃないけど。
ルーンは漢字でいう『火』みたいに、一つ一つが意味を成している。その文字を使うことによって、誰もが火を連想できる。それが焚き火の火なのか、コンロの火なのかとかは個人的な誤差が出るだろうけど。
ルーンはこの世界を歪めるための文字だ。重ねれば重ねるほど、世界を大きく変えられる。
『火』を意味するルーンを重ねて書けば重ねて書くほどに、生み出すことのできる火は熱量を増して、大きく熱くなっていく。
ただ、ルーンは増えれば増えるほど使わなければならない魔力量も増えるし、書ききらなければならないスピードもどんどん速くなる。
ルーンは正しい順番で、決められた時間内に書ききる必要がある。これが複雑な魔法を作りづらい理由だ。
ルーンが増えると、制限時間内に書き終えるのがどんどん難しくなっていくんだ。
だから俺は数本の指を使って同時に書くっていう曲芸にも似た特技を会得してしまったわけだが。
さらに攻撃魔法とは、総じて消費するルーンが多くなる。
仲間に当たらないようにしなければならないし、威力を上げるには多くのルーンを書く必要がある。
そのため、どうしたってルーンは多く書かなければならなくなるんだけど、うまい具合に組み合わせれば少ないルーンで大きな結果を出すことができることもある。
それを見つけるのを得意とするのがスフィアさんだ。
彼女は生まれつき目が見えないせいか魔力を感じ取る素質が異常に高く、ルーンの性質を完璧に理解している。
彼女曰く「使ってたらなんとなくわかった」らしい。天才ってこういう人のことを言うんだろうね。
世の学者が必死こいて研究していた物を、感覚で認識できてしまうのだから恐ろしい。
ルーンを完璧に理解できるとはつまり、どんな魔法でも作ることができると言うことだ。
だから俺は一度『他世界の狙った時間軸の狙った場所に転移する魔法』は作れないかと尋ねに来たことがあって、その時は「0,0001秒以内にルーン書ききることができれば発動する」という不可能としか言えない魔法が完成したわけだが。
物理的に不可能という魔法でも、理論上は完璧だった。確かに、その時間制限内に書ききれば発動しそうだった。
どうあがいたって無理だけど。
話を戻そう。目が見えないスフィアさんは、異常に魔法や魔力を感じ取る感覚が鋭い。
だいぶ前に使われた魔法の残り香から、使用者の感情まで読み解ける。俺は残り香は判っても、さすがに感情まではさっぱりわからん。
そのスフィアさんが、俺に纏わり付いているらしい魔力に『悪意はない』と言った。
「今のブランちゃんはとっても不安定……その理由は、掛けられている呪術とは無関係な気がするの」
「「「えっ」」」
俺がここ最近、体がおかしいのって呪術と関係ないのか⁉︎
「主はどのような状態なのでしょうか?」
「私にも、よくわからない。けど、ブランちゃんはとっても頑丈なのにわざわざ体を作り変えるだけっていう、大変なことをしているのは何ででしょうね?」
……言われてみれば、確かに。
自分で言うのも何だが、俺はかなり強い。体が頑丈って意味でね。
物理防御に特化しているが、魔法防御力も人並み外れているはずだ。
さっきみたいに熱湯を頭から被っても火傷一つしないし、下手なナイフくらいなら刺されてもかすり傷で済む。
呪術への耐性もしっかりついている。生半なものでは当然弾くことができるし、かなり強い威力のものであっても相当な分の威力は削ることができるはずだから、俺に効果のあるものをって考えるとかなりの手間だ。
俺をどうにかしたいのなら、俺ではなくソウルやエルヴィン達に手を出す方が圧倒的に確実性がある。
正直に言わせてもらうと、俺は命に優先順位をつけるタイプだ。
心がないように聞こえるかもしれないが、俺にはどんなものを犠牲にしても守りたいものがある。一瞬でも迷って優先順位を間違え、取り返しのつかないことになったら。
そう考えると、怖くて夜も眠れない。
「なんで俺を狙ったのか……確かに、意味がわからない」
俺の中で、最も優先順位が低いのは俺だ。自分自身は割とどうでもいいと思っているからな。
これ口に出すとソウルたちが怒るから言わないけども。
「ブランちゃんを本当に害したいのなら……別の方法をとってるんじゃないかな?」
そうだとすると……一体誰が何の目的で俺に呪いをかけたのか、余計にわからないな……




