二百十日目 夢の人は
ーーーーー≪ブランサイド≫
フィル。そう呼ばれるのに違和感があるのは、この名前が嘘でできているから。
キリカさんの表情がたまに固まるのは。恐らくフィルという存在が不確かなものだから。
今日も、自分に違和感を感じながら。今の自分を生きている。
「フィル。これがお前の仕事だ」
「仕事……?」
「毎日、これを頭に叩き込んでもらう。それから、どうするかお前が決めるんだ」
地図に書き込まれた大量の文字に、周りに散らばる大量の数字。人の名前に、土地の名前。
なんとなくわかる。これは、
「戦争でも、するのですか?」
「それに似たことは既に始めている。お前の仕事は、円滑にクーデターを進めさせることだ」
「反乱分子を煽れって、こと、ですか」
「そうだ」
嫌だ。
やりたくない。
……怖い。
それでも、拒否権なんてない。
失敗すれば、どんなことをされるのかわからない。
この異常な足みたいに、他の部分もおかしな体にされるのかもしれない。ただ単に引き千切られるかもしれない。殺されるのかもしれない。
怖い。痛いのは、嫌い。
……でも、関係ない人が死ぬのも、怖い。
「やれるな?」
「…………はい」
結局、我が身可愛さに他人を殺す。
クーデターなんて、誰も死なない方法は殆どない。
「期待しているぞ、フィル」
「……はい。兄上」
くしゃりと手元の地図が歪む。
今は与えられるものでしか生きられない。
名前も、話し方も、呼び方も、食べ物も、服も、住む場所も。
全部貰い物。自分で得たものなんてなにもない。
「やりたくない……」
そんな他人に頼りきった立場で、我が儘は言えない。
やるしか、ないんだ。
毎晩夢を見る。金髪の背の高い男の人の夢。
顔はよく見えない。それでも、笑っているのはなんとなくわかった。
きっと。フィルではない、もう一人のボクの記憶。
一体、誰なんだろう。
話しかけようとすると、いつも夢から覚めてしまう。
ここはとても気持ちがいい。少しでも長くここにいたい。
ただ優しげに笑うあの人に、会ってみたい。
どうして、会えないんだろう。
「っ……はぁ……はぁ」
目を開けると、まだ外は真っ暗だった。
……寝汗が酷い。せめて拭くだけでもしておかないと。
冷たい水で湿らせたタオルを用意して体を拭く。喉も乾いたので水を飲んでみるが、いくら飲んでも飲んだ気にならない。
乾ききった地面に降りかかるのが少しの水では吸い込まれて殆ど意味がないように。
「どうして……ボクを守ってくれないの……」
夢の人は、一体ボクの何なんだ。
「そうか。それで」
「……はい。この平原は、近くに鉱山があるので戦況を把握しやすいのですが、数のさがあれば一気に形勢が傾きます」
「じゃあどこで戦端を? 入り込んで仕掛けるか」
「……少々面倒ではありますが、城内で仕掛けるのは危険です。……罠もあるかもしれませんし、なにより城内には騎士が揃っています。最初は持ち堪えられても、数で押されてしまえば負けるのはこちらです」
こういう事ができてしまうから、いけないんだと思う。
ボクの前の性格や職業はよくわからないけど、軍の指揮くらいはできる人だったらしい。
どう動けばどうなるのか、どうすればどうなるのか。なんとなくわかってしまう。
「では妥当に街に火でも放つか?」
「成功確率は高い、と思います。ただ、この街には利用価値があります。……民芸品の魔装飾なんかはうまく流用すれば武器にも使えるでしょう」
「そうだな。ではお前はどうする?」
なるべく人を殺さず、戦わずして勝つ方法。
「……まず、城壁に近い村に警告を出し、少し脅します。殺さずとも勝手に村人は城壁内へ逃げるでしょう。そこに数人手の者を紛れ込ませ、門番を眠らせる。そして深夜に中に仲間を率いれます。門の開閉には音がする上時間がかかるので門からではなく、一時的に上部結界を弛ませます」
結界が弛めば、入り込むことは容易。
音もしなければ結界を始終見張っていなければ弛んだことには気付けない。
後で調べられてしまったら流石にわかってしまうが、その時には既に事が済んでいるだろうから簡単に隠蔽できる。
「弛んだ結界を突破し、城に入り込み王に直談判します。殺してしまえば全面戦争に発展してしまう為、殺さず迅速に。……王が渋った際には、道具を使って町中にその様子を流します。王が民草の命を捨ててまで土地を守るのなら王の信用はがた落ちします。その後は放っておいても勝手に反乱分子が王を始末します」
人とは身勝手だ。
ボクもそうだが、自分の事が基本的に最優先。自分の財産、命、家族を守るために生きている。
だからこそ勝手に国よりも命を引き渡そうとする王に民衆は納得しない。
王としては国を売るのは失格者の行いだ。だが、命を売るのは人として失格だ。
どちらに転んでも、王が全部被害を被ってくれる。
「流石はフィルだな。では早速そう動くとしよう。お前は次の仕事をしろ」
「………はい。兄上」
いつになったら、自由になれるんだろう。




