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吟遊詩人だけど情報屋始めました  作者: 龍木 光
異世界探索記録 三冊目
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二百九日目 互いのために生きる

 いつもの陽気さと豪胆さが消えてしまったマスターは、本当の年齢よりも低い……子供のような印象を覚えます。


 周りの物が倒れたりするだけで過剰に反応して怯えた声をあげ、常に小さく縮こまっている。暗闇を怖がる子供そのものでしょうか。


 今のマスターからすれば、目の前が真っ暗なのかもしれません。記憶もなければ味方もおらず、きっと心中不安でしかないのでしょう。


「ああ、起きたのか」

「っ、なに……だれ……?」


 急に扉から入ってきた傲慢を一瞬驚愕の目で見てからカタカタと震えはじめるマスター。


 明らかに異常に怯えている。見たこともない化け物に追い詰められた村人、というのが一番正しい表現かもしれません。


「忘れてしまったのか?」

「え……」

「お前の……そう、兄だ」

「「⁉」」


 兄⁉


 何を言っているんですか⁉


「そう、なんですか?」

「ああ。いつも通り、兄上と呼びなさい」


 ……記憶がないからって、恐ろしいことを。


 傲慢はマスターがなにもわかっていないことを良いことに改竄した記憶を植え付けるつもりのようです。


 ……それを止められない私も同類ですね……。


「あ……あに、うえ」

「そうだ。自分の名前はわかるか?」

「………」


 無言で首を振るマスターに、傲慢がまたでっち上げた名前を教える。


「フィルだ。覚えておけ」

「………はい」


 傲慢が部屋を出ていくと、マスターが少し困った表情をして訊ねてきました。


「あの人……本当に、兄上なんですか?」

「……どうしてそう思うのですか?」

「いえ……少し、怖かった、から……。少しだけですけど……」


 マスターは他人の表情を見るのが異様に巧みです。


 だからこそ情報屋をやってこられたのではと思えるほどに。


 マスターは人の話を鵜呑みにしません。


 たとえ情報源が婚約者のソウル様や養子のイベル様だろうと、必ずご自分の目で確かめてからなにかしら対処します。


 最後は自分のみを信用されている。


 それには事情がある様子ではありますが……私は深くは知りません。


 そのために、異常なまでに人の顔色を読むことに長けている。


 どうやら傲慢はマスターの記憶は消せてもその力は消せなかったみたいですね。


「そうですか」


 この質問を否定してはいけない。ですが、肯定もしません。


 願わくば、奇跡が起こって。


 マスターの記憶が戻ることになれば、いいのですが……。









 それからマスターは傲慢のことを内心では怯えつつも表面上は兄と慕って過ごしました。


 ですがやはり、記憶は戻りそうにありません。


 ついこの間までのマスターとはかけ離れた態度をとるマスターは、正直、見るに耐えません。


「……キリカさん?」


 髪を結ぶ手を止めていたからか、マスターが不思議そうな表情をしてこちらを見てきていました。


「いえ、なんでもございません」


 パチンとバレッタで髪を留めると、マスターは小さく首をかしげて顔を覗き込んできました。


「なにか、ありましたか? キリカさんのお役に立てることなら、なんでもします」

「いえ。本当になにもないのです」

「そう、なんですか。兄上のところに挨拶に行ってきますね」


 小さく笑みを浮かべて扉を出ていってしまいます。


 あれから、マスターが笑うところは殆どみていません。


 愛想笑いと微笑をたまに浮かべる程度で、恐らく不安があるからかいつも静かに佇んでいます。


 中心に立って周りの不安を吹き飛ばすような笑い声をあげていたマスターとは、まるで真逆。


「一体、どちらなんでしょうか……」


 本当の性格は、今の大人しいマスターなのか、私の知っている誰もが引っ張られるほど明るいマスターなのか。


 私としては、昔のマスターに戻っていただきたいです。







ーーーー≪ソウルサイド≫







「皆さん、準備はいいですね?」


 各々が首肯く。その中には、イベルの姿もある。


「では出発しましょう。僕らのリーダーを取り戻しに!」

「「「はい!」」」


 馬車に乗り込むと、先にイベルとライトさんが座っていた。


 気が逸るのか、ライトさんは何度も外を確認している。


「イベル。こんなところまで来なくてもよかったのに」

「ううん。おれ、ブランに助けてもらったから。借りは返さなきゃ」


 ブランさんはそんな借り、気にしてないと思うけど。


 でも、こういうのを気にする辺りはブランさんに似ている。


 なんだかんだ言ってちゃんと親子なんだ。


「どうですか?」

「主の反応は徐々には近付いてきているのは確かではありますが、距離が計れません。かなり弱々しいというのもありますが」

「……でも、無事なんですよね」

「はい。それは勿論です。主が死ぬはずはありません」


 ブランさんが死ぬわけがない。それは僕ら全員の共通認識だ。


 ライトさんとレイジュがいなければ出発はもっと遅くなっていただろう。


 契約者であるブランさんの居場所は、距離であればなんとなくわかるらしいというのが助かった。


 まぁ、なんとなくわかるってだけで空にあるのか陸にあるのか海にあるのか地中にあるのかもわからないんだけどね。


「……ブランさん。約束、守ってくださいよ」


 大分前、それこそこの世界に来て少し経ったくらいのタイミングでブランさんは言った。


『俺はお前のために生きるから、お前も俺のために生きてくれ』


 簡潔な、それでいて分かりやすい言葉。


 若干照れながら言っていたのがとても可愛いと思った。


「僕のために、死なないで……」


 情報屋を続けられなくなってしまってもいい。また、一緒にいられるなら。それだけで十分なんだ。

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