二十日目 恋心
ーーーーーーーーーー《セドリックサイド》
ヒメノにバレッタを貰って、仕方なくつけた。いや、仕方なくだから! 勘違いするなよ⁉
………俺は、まだ言い出せずにいる。どう考えても女々しいんだ。この女っ気のない俺が。
…………恋を、しているなんて。
考えたこともなかった。人と話すことそのものが苦手で、趣味であり生き甲斐のゲームの話すらしようとも思わなかった。
恋愛感情なんて無駄だとしか思ったことない。学校の廊下で壁ドンからのキスとかしてる現場に偶々出くわして(多分あっちは気付いていない)なんであんな無意味なことするんだろうって思ってたくらいには興味なかった。
よくレッスンで先生に「恋したことないの?」って聞かれた。
同じ先生に、な。イタリア歌曲っていう曲集を声楽の人は一度はやるのが普通。コンクールの課題曲だったり実技試験の曲だったりで。
声楽家が一度は通る曲って感じかな。で、そのイタリア歌曲はほとんどの歌が恋とか愛とか。
作者全部違うのにほぼ全部愛。春って題名なのに春だから恋しちゃおうぜ、みたいな内容の歌とか、完全に題名から恋って言葉が入ってるのとか。
とりあえず、8~9割は恋愛ものの歌。
恋しないとわからない。そんな歌詞も一杯ある。したことのない俺にはわからないし、わかろうとも思わなかった。
恋愛小説は好きだけど、それは小説が好きであって本があったらなんでも読むからって感じでしかない。
理解できない何か。そんな認識でしかなかった。
…………それを、今自分が体感してるとか、あり得ない。マジで、ない。
ヒメノの手を掴んで走ったときもドキドキした。わざと平静を装って何してるんだお前、を貫いた。
認めたくなかったから。
彼氏持ちの友達が言っていた。格好良いとかも思うけど、それ以上に好きだって思うよって。なんだそれはって思った。格好良いと好きは別なのか?
…………じゃあ、好きって、なんなんだろう…………
「ギルマス?」
「ん、ああ、なんだっけ?」
「いや、これからどうしますか」
「そうだな……じゃあ、あそこ行きたい」
小さな店。だけど店は綺麗でお客さんもわんさかってほどじゃないけど切れ目なく入っていく。
見たところ、時計とかを売っている店だった。正直、見たいとか行きたいとは一切思っていない。けど、時間潰しには丁度良さげだった。
「はい、じゃあ行きましょうか」
店に入ると、キラキラと照明に反射して時計や指輪などのアクセサリーが自己主張してくるように見えた。
適当に見て回っていたら、自然とアクセサリーの前に。結婚指輪とかも売ってるみたいだな。…………? あれ? 親父とお袋って結婚指輪付けてたっけ?
……………まぁいいか。お袋はともかく親父には数年会ってないし、忘れたし。
「ギルマスってこういうの好きなんですか?」
「え? ああ、どうだろうな。綺麗だとは思うけど、指圧迫されそう」
「気にするところはそこですか」
「いや、だって」
あれ、血が止まったりしないのだろうか。おもちゃの指輪しかしたことないから知らん。
「ギルマス、指細いですね。折れそう」
「折れたことはない。けど、細長いとはよく言われるな。足の指も長いし。ピアノに向いてるってよく言われるけど俺ピアノ苦手なんだよね」
なんで全部の指に全神経集中させる必要があるのが、わからない。
「ギルマスってなんの楽器弾けるんですか?」
「ん? あー、トランペットとパーカッションは一通り、後は琴とかその他の金管をちょっとかじったくらいだな」
「トランペットはわかるんですけどパーカッションって?」
「あー、打楽器だよ。ドラムとかティンパニとかシロフォン………木琴とか」
木琴にも色々種類があって、俺が一番得意だったのはシロフォンだった。マリンバも出来ないことはないんだけど、四本マレットの左手がどうもうまく動かなくてさ。
「へぇー。凄いですね」
「凄くないよ。できる人はもっと出来るしな」
俺なんて底辺の底辺の底辺。本気でやってる人の前でやったら殴られるくらいのレベルでしかない。何年もやってても上達はしない。
いや、上達自体はしたんだろう。したんだろうけど、俺はいつも二番だから。どう足掻いたって、一番にはなれないんだ。
「ギルマス」
「ん?」
「これ買いません?」
「え」
値段は………ペアで一万ちょっと。………高くないすか? いや、指輪の相場とか知らんし。もしかしたらめっちゃ安いのかもしれないけど。女子高生、しかもお小遣いなしの俺には高価すぎるものだ。
一万だぞ? 俺、これ一個で何ヵ月生きられるだろう。ヒメノとの外出がなければ一生使わずに終わるかもしれない大金だ。
大会で百万単位で金が入ってくるとはいえ、俺は小市民なんだよ。
なんか俺……田舎もんみたいな発言しかしてないな。
「じゃあ俺が払うよ」
「えっ⁉ それはだめですよ、ギルマスが払っちゃ!」
「いや、駄目ってことはないだろ………俺毎年の賞金ほぼ自分のために使ってなくて貯金してるだけなんだ。少しくらい使っても銀行が増やしてくれるって」
預ければちょっとだけ増えるからな。数百万入ってる筈だから結構な金にはなってると思うぜ。一万くらい稼げてる稼げてる。
「でも」
「いいんだって。ヒメノはこれ買ってくれただろ? じゃあいいじゃんそれで」
「桁が違いますよ」
「金は本来使うものだからな。寧ろタンスの肥やしみたいになってるだけだし」
タンスの肥やし。実際そんな感じだと思う。
なんだかんだ言うヒメノを言いくるめて指輪を買ってしまった。一万…………ま、まぁ、問題ない出費さ‼
店員さんが最初から最後までニヤニヤしてたのが頭から離れん。しかも最後に俺に向かってお幸せにって言ったぞ。絶対にカップルだと思われてる。
まぁ、昼間っからこんな店で指輪買ってる時点でなんかもう言い逃れできない状況になってる気がする。
「ぎ、ギルマス」
「なに?」
「………付けます?」
顔真っ赤じゃん。恥ずかしいなら言わなきゃいいのに。
ちなみに俺達が選んだのは小さな宝石のついたやつ。値段の割には装飾が綺麗で繋ぎ目さえも柄に見える、品のいいやつ。
「………折角だし、つけようか」
俺もなに言ってんだろ。何が折角だし、だよ。どの辺りが折角なんだよ。
………でも、悪くない。
小さな箱に入っているそれを取り出して付けた。互いの指に付けたので結婚式の指輪交換みたいになってる。けど、俺達の受け取った袋が各々逆の物だったからってだけ。
なんか作為的なものを感じるけど、あの店員さんにはお礼言っとこう。
互いの中指にぴったりとそれが嵌まる。急拵えの筈なのに、本当にぴったりだった。思っていたほどの違和感もない。
…………これは、今言うべきか? いや、今言わなくてどうする! 今だ! 告れ、俺‼
ヒメノもなんか言葉に迷ってるみたいだし、ほら行け! ゲームの中みたいに素面で恥ずかしい言葉言ってみろボケェ‼
………なんで俺自分を自分で罵倒してるんだろうか。一周回って落ち着いたけど。
こっそりと深呼吸。
「ヒメノ」
「……なんですか?」
「俺―――」
手を握りしめながら顔をあげた瞬間、鼓膜が破れるような爆発音が斜め上から聞こえる。
「「っ⁉」」
ヒメノと同時に空を見上げると、
――――電車が落ちてきた。
人が乗っているのも見える。確か上が線路になっていたから何らかの事故で電車がレールを外れて下に落ちてきているんだ。こんなときに冷静になるのは俺が冷めているからだろうか。
「ギルマス‼」
「!」
ヒメノに呼ばれて我に返った。電車は三両編成、もう少し長かったら線路に引っ掛かってくれたかもしれないが三両くらいじゃ勢いで落ちてこれてしまう。
無我夢中に走った。ヒメノの手を掴んで、とにかく遠くへ、遠くへ――――
「っ⁉」
体が宙に浮いた。最初は意味がわからなかったけど、目の前の光景を見て察した。落ちてきた電車のその破片が足に突き刺さっている。ガラスが降り注いできたせいで全身血だらけだ。
「グッ―――」
三回くらい地面をバウンドしたような気がする。そのまま叩きつけられるかと思ったけど街路樹の中に突っ込んだお陰でそれは免れたらしい。
「はぁ、はぁ、はぁ、うぐっ……ゲホ、ゴフッ………!」
一気に口から血が出た。まさにダバァ、って感じ。………俺なんでこんなに落ち着いてられるんだろう? 我ながら不気味だ。
そこまで考えて、気がついた。
「ヒメ………ノ………?」
あいつがいない。脚はもうダメと言っているほどにグロかった。でも、ヒメノを探すために起き上がって歩いた。
地面に叩きつけられた時にやってしまった右目が全く開かない。これ、眼球あるんだろうか。怖くて確かめられない。
「ひ、めの………! どこ、どこだよ………」
舌が回らない。一気に全身の温度が低くなっていくのを感じる。確か人間って体温度が二十度を下回ったら死ぬんだっけ?
なんか凍死しそうなほど寒い。積もってきた雪が、余計にそう思わせる。
「どこだよ、ヒメノ………っ! ゲホ、ゲホッ」
声を出すだけで白い地面に紅い斑点が出来ていく。これじゃあ歌えないな………学校どうしようか。
変な方に思考がそれるくらいには俺はまいってしまっているようだ。
「ヒメノ!」
いた。ぐったりと倒れているが息はある!
「ヒメノ、ヒメノ!」
変な方向に曲がっている左手は使えないから右手で精一杯に揺する。
「ぎる、ます………?」
「ああ、大丈夫か」
「ギルマスは………?」
「大丈………うっ、ゴホッ、ゲホッ」
危うくヒメノにぶちまけるところだった。その瞬間、それまでじわじわと全身を蝕んでいた寒気が雪崩のように襲いかかる。
「え、なん、で………」
結果的にヒメノの隣に倒れ混む形になってしまった。
なんでだ、ここまで歩いてきたんだぞ、俺は。
………いや、そのツケが来たのか。もう限界なんだ。俺は。
普通なら死んでてもおかしくないような怪我で歩いてきたのが無謀だったのか。
気持ち悪い紅い色のそれが流れ出る度に自分が死に近づいているんだって思う。砂時計が壊れたら、重力に逆らえず全部砂は落ちてしまう。そういうことだろう。
俺の砂はもうないんだ。
辛うじて開く左目を開けるとヒメノが苦しそうな表情で荒い呼吸を繰り返していた。それなのに俺の手をとって、しっかりと握ってくれる。
頑張れって、言ってるような感覚。
…………ああ、嫌だ。俺、やっぱりヒメノが好きなんだ。この人は、この人だけは、絶対に死なせたくない。
俺はどうなってもいい。頼む、誰でもいい………
神様だろうが仏様だろうが怪しげな闇医者だろうがなんでもいい。
俺はなにもいらない。このまま死んでもいい。だから、だからこいつは、こいつを………
――――助けて




