百七十八日目 死ぬとはどういうことか
ーーーー≪友里サイド≫
足手まといだ。なにもかも。
昔からちょっとどんくさくて、いつも周りに笑われていた。それが嫌で仕方なくて、勉強ばかりして。
勉強で笑われなくなる頃には、友達もいなくなっていた。
お父さんのお陰で学者としてなんとかやっていけているけど、生活の知恵はなにもない。
オムライスの卵すら焼けないし、皿を割る。体調の悪いツキの方が万倍うまい。
みんな最初はこうなるとか言ってくれたけど、結構顔がひきつってたからそれですらお世辞かもしれない。
ツキは、なにを考えているのかな。自分は死ぬとか言っておきながら平然と暮らすことなんて、普通なら出来ない。
だから冗談だと言い聞かせていた。のに。
さっき、偶々二人の会話を聞いてしまった。盗み聞きするつもりはなかったんだけど。会話の内容はわからないことも結構あったけど大雑把に解釈すると『死ぬというのは冗談ではない』ということだった。
家に引き返してから呆然と考える。
「死ぬって、どういうことなんだろう……」
「やけに哲学的な事を考えているね?」
「お、お父さん⁉」
急に出てきたからびっくりした……。
「突然どうかしたのか?」
「いや、その……」
なんて説明したらいいんだろう。お父さんにこの事を話してもいいんだろうか。
「……俺の事ですよ」
上からツキたちが帰ってきた。その表情は普段通りにもどこかぎこちないようにも見える。
ツキは袖を捲って肘を見せてきた。
「「っ⁉」」
大量の刃物でつけられたっぽい傷、青黒く変色した打ち身の痕。見た瞬間にゾッとするほどだった。
「これだけじゃない。背中にも足にも、傷は全身にある。死なない方が面白いくらいには」
「今すぐ病院に」
「行ってもムダムダ。この世の医療じゃどうにもならない。俺が俺を治せないなら何をしたって無意味だ」
おどけた口振りでも、内容が深刻すぎて笑えない。本人はあまり気にしてないみたいに振る舞ってるけど、見るからに痛々しい。
「痛くないの?」
「痛いよ流石に」
「……なんでそのままにしてるんだい?」
「自己治癒能力に任せてみようかなって。まぁ、あんまり効いてないみたいだけど。なんなら体験してみる?」
……体験?
「マスター。お戯れはそれまでに」
「……それもそうか。忘れてくれ」
「ちょっと待ってくれ、お戯れってどういうことか教えてくれないか」
お父さんが妙に引き下がらない。なにか気になることでもあるのかな。
「簡単に言うと……人の痛みを自分が背負ってあげたいって思うことってあるじゃないですか。あれを本当に実現できる方法があるんですよ。まぁ……俺の痛みを背負ったら発狂しかねないんでこれは【冗談】です」
そんな方法があること自体驚きなのに、発狂しかねないとかサラッと言ってしまう辺りツキはちょっと狂ってるのかもと思う。
もしかして、
「あの人達に尋問って」
「良く気づいたな。これを使って体に傷をつけずに痛みをダイレクトに受け渡してたんだ。大抵のやつは痛みに負けて失神するから調節が難しいけど」
軽く笑う。笑い事じゃないのに、笑ってる。
多分ツキの異常性はこれだ。
とんでもないことでも何もかも流して笑っていられる。人としては強いのかもしれないけど、どうも人間味がない。
「やって」
「え?」
「私にそれやって」
「い、いやいや。下手したら死ぬよ? ショック死だよ」
冗談で言っている訳じゃないと直感で判ったのだろうか。目が全くあわない。ツキって普通の人と逆で、大事なことを話すときほど目線を逸らす癖がある。
「やって」
「でも」
「やりなさい」
ツキが一瞬で真顔になった。表情全てが抜け落ちた、歪な仮面みたいな顔。
多分これが素なんだろう。今まで顔に力が入っていなかったときなどなかった。寝てるときくらいかも。
「……わかった。気を確りもって、歯をくいしばって。持ってかれたら本当に危険だから」
「うん」
ツキが人差指を立てて軽く額をつついてきた。
「あっ⁉」
一瞬だった。その一瞬で足がもげて全身に刃物を突き刺されたみたいな痛みが襲いかかってきた。
コンマ一秒も無かったくらいの時間だったのに、酷い倦怠感に膝をつく。
「友里さん、大丈夫か?」
「え、ええ……ツキはこれがいつもなの?」
「ああ、そんなかんじかな……。これだけ痛いのに案外死なないもんだよ」
もう痛くないはずなのに、腰が抜けたみたいに立ち上がれない。
ツキは小さく笑って、
「でも、俺の痛みを共有して俺を怖がらなかったのは三人目だ。強いんだな、友里さん」
「三人目ですか?」
「ああ、キリカは知らなかったっけ? ソウルとエルヴィンの馬鹿二人も同じことをしてな。しかも自分で自分に術かけるからたちが悪い」
俺が切断したくても切らないんだもん、と肩を竦めて言う。さっき、これは痛みを肩替りするものだって言ってたけど、つまり……
「他人に痛みを移している間は君は痛みが消えると?」
「そんなとこです。とはいってもロスが少なからず出るんで完全にって訳ではないんですけど」
考えていたことをお父さんが代弁してくれる。あの痛みを他人に移す事ができるのにそれをしない理由は、多分ないんだと思う。
短い付き合いでもわかる。それがツキの性分なんだ。
「友里さんはちょっと休んだ方がいいよ。しばらくは動けないだろうけど」
ツキはキリカさんに頼んで私をソファに運ばせた。自分でやってくれればいいのに、とはもう思えない。
息をするのも嫌になるほどの痛みを常に抱えている人に重労働しろなんて言えるわけない。
ツキは「ちょっと部屋にいるからご飯食べといて」と言い残してさっさと下の階に降りていってしまった。
「……キリカさんは、あいつの痛みを肩替りしたことあるんですか?」
「いえ。あれは相当高度な術ですので、私にはとても扱えません」
「さっきツキも言ってたけど術ってなに? 誤魔化さずに教えて」
もう私は二人が普通の人間じゃないことくらい十分過ぎるほど察しがついている。
術とかなんとか言われても対して驚かなかった。だって予想していたことだから。
だから包み隠さず教えてほしい。
「あなたたちは、何者なの?」
「……マスターは、身一つで何もかも手に入れてきた、俗に言う【神童】です。持っている情報の精度、戦闘能力、資産、権力。全てをゼロから最高位まで押し上げた天才。私はそれに付き従うメイドです」
ゼロから。その言葉はやけに重みを感じる。どういうことなのか全然わからないのに。
「マスターの名は、ブラン。有事の際には総司令官として前線に赴き、誰一人殺すことなく敵方を制圧する力を有する『切り札』です」
「軍人、ってこと?」
「時と場合によれば、ですが。普段は情報屋として各国を回りつつ傭兵業も営んでおります」
……なんだろう。
……やっぱり、ツキだからかな。
……凄く胡散臭く思えてしまうんだけど……。




