百七十六日目 救急車なんて呼べるわけ無い
「ちょっと気持ち悪いかも……」
「どんだけ飲んだのよ……」
「度数40くらいのを、ショットで……50杯くらい?」
「ありえないんだけど」
そりゃ毒耐性も意味がない。強すぎる毒は簡単に通してしまう。あと、血管に直接打ち込まれたりすると一気に抵抗力が落ちる。
毒ガスとかの間接的なものよりも直に注射される方が何倍も効いてしまう。
「で、友里さん。あの事キリカに言ってないよね?」
「……言えるわけないじゃん」
「そっか。ありがとう」
キリカには知られたくない。死ぬことは死ぬ直前で知られればいい。
「本当に悪趣味なやつ」
「フフッ、俺は最後まで意地汚く行動するって決めてるんだよ。最後がいつ来るか、それはわからないけどね」
最後の最後まで足掻く。俺は負けず嫌いだから、負けるとなっても相手に傷痕の1つや2つは残してやるって意気込んでいる。
虚勢を張って、無いはずの勇気があるかのように演じる。そうでもしなきゃ、俺はとっくに生き残れずに死んでいた。
「さて、じゃあ昼飯でも作るかな。リクエストある?」
「え、ええと……オムライス、とか」
「わかった。ケチャップライスでいい? デミグラスとかでも中々いけるけど」
「どっちが楽なの」
「そりゃソースの手間考えたらケチャップだよ」
「じゃあケチャップで」
お腹が空いているらしい。さっさと作ることにしますかね。
材料はこの前買い込んだ分で十分足りるし、もう1つ何か作ろうかな。
そういやマシュマロを使って簡単なムースが作れるんだっけ。マシュマロなら俺がこっそりおやつとして買ってきたやつがあるし、カップもあるからそれにしよう。
マシュマロを部屋に取りに行くと、扉に手をかけようとした瞬間に中からすすり泣く声が聞こえた。俺とキリカは借りている部屋を二人で使っている。
ということは、この泣き声はキリカか。
キリカが泣いているところなんて滅多に無い。俺が魔気熱で一ヶ月寝込んだ時くらいしか見たことがないかもしれない。
取っ手に手をかける途中の中途半端な格好で立ち尽くしていると、部屋の中から銀雪がすり抜けて出てきた。
銀雪のことは既にキリカには話してある。多分こいつの隠密能力が高すぎて中に居たことも今外に出てきたこともキリカは気づいていなさそうだが。
『ご主人。キリカ殿の気持ちも汲んでやってくれないか』
『どういうことだ?』
『キリカ殿はご主人のことを大層心配していた。ご主人とキリカ殿の関係はよくわからないが……』
確かにここ数日はキリカに相談せず、色々と俺が無茶をしてしまっている。
反省はするが、それでも。
『心には留めておく。けど今は悠長にしていられない……わかるだろ?』
『……忠告はしたぞ』
『ああ。ありがとう』
そのまま扉を開けずにキッチンに戻った。料理をしながら考える。
俺がもし【完璧な主人】であるならば本当は扉を開けてキリカに「もう無茶はしない」と約束するんだろう。
でも俺は守れない約束をしたくない。表情の変化にすぐ気がつくキリカなら直ぐに嘘だとバレるだろうし。
いつまで隠せるだろうか。ひょっとしたら隠しきれていないのかもしれない。俺は一度、限界値を越えてしまった。下手したら今、その反動で死ぬかもしれない。
自分の体が、身体能力の高さに耐えきれない。歩くだけで、走るだけで、生きているだけで他人よりも激しく命を消耗する。
吸血鬼になって伸びた三百年分すら、殆ど使いきってしまった。
暴食の強化どころか、簡単な支援魔法でさえ体の一部が崩壊してしまう。常に脳のリミッターが外れているといえばわかるだろうか。
日頃から限界値まで体が動いてしまうのに、そこから更に力を増やして確実に体が壊れていっている。
自己治癒力が高いからあまりバレてはいないが、常に回復と損傷を繰り返し続けている状態だ。
暴食というとんでもない能力の代償なのかもしれない。
だから俺は人間のキリカにすら押し負けてしまう事がある。能力値の高さと体の耐久性が全く一致していないからだ。もし俺が本当の意味で体を使えるようになれば今の数倍は強くなれる気がする。
「っ、く……ぁ」
度々訪れる痛み。体が内側から焼かれていっているかと思う痛みが走る。酷いときは呼吸すら上手くできなくなる。
一旦コンロの火を止めてその場に座り込み、深呼吸をする。一瞬目の前が真っ暗になった。
「や、ば……」
『ご主人! 大丈夫か⁉』
「あ……ああ。少し、横になりたい……」
銀雪の霧状の体が周りに広がる。持ち上げられてソファに運ばれた。掴めない空気みたいなものに乗せて運ばれるなんて不思議な感覚だ。
揺れる視界を目を閉じることで無視をする。まだ、熱い……。
手で首を触ってみるが、手も熱い上に感覚が無くなってきたせいで熱があるのかどうかわからない。
『なにか必要なものはあるか』
「いや、いい……。発作みたいなものだから、安心しろ」
放っておけばそのうち治まる。
少し寝た方がいいかな……でももしもの為の札とか作っとかないと不安だし、先にご飯作っとかないと……。
……ああ、思ったよりヤバイかな。吐き気もしてきたし、典型的な風邪かもしれないな……。
『おい、血が!』
「ただの鼻血だ……。放っておけ」
とはいえ、ソファに血がついたら不味い。机の上のティッシュを取ろうとして、ソファから床に落下した。
「あっ、痛い」
普通にちょっと痛かったけど、視界がぐらついた程度だ。だけど結構でかい音したな。
「どうしたの急に⁉」
落下音で友里さんがこっちを見に来た。そっちの方を向いてしまって鼻血が床に垂れる。
「垂れた。ごめん、ティッシュくれる?」
「なんで突然鼻血なんか……それに凄い顔色悪いよ」
もらったティッシュで血を拭いてから立ち上がる。まだ少し視界は霞むが日常生活には問題ない。熱も我慢できるくらいだ。
「発作に近いもんだから問題ない。よくあることだ」
「よくあっちゃいけないでしょ」
「あるんだよ。っと、料理途中だった、から……あ?」
左足に上手く力が入らず、よろけて壁にぶつかる。支えがないと立てないとかこれ重症かもね……。
「ツキ⁉ 本当に救急車呼ばないとヤバイんじゃ」
「救急車っていうかこの国の医療じゃどうにもならねぇから」
そもそも左足見た瞬間ぶっ倒れるわ。
「じゃあせめて寝てて! ご飯は私が作るから」
「あー……まぁもう焼くだけだし、頼む。俺のぶんはいいから」
「いやあんたはちゃんと食べなさいよ。ご飯食べないから虚弱なんじゃないの?」
「ん、んー? 当たってるような、当たってないような」
確かに食事で栄養摂れないから体弱ってるけど、血さえ飲めればなんとかなるし。だからご飯食べないから虚弱っていうのは間違ってるような気もする。
「いいから、ちゃんと食べなさいよ」
「そもそも下拵え三人分しかしてない。それに俺は俺で飯は食ってるから問題ない」
「なに食べてるのよ」
………え、えええ。これどう言えばいいの?
「え、っと……パンとか」
「肉とか野菜は」
「そ、そりゃ食べるよ」
ひと口くらいはな。
「ふーん? そう」
なんか、自分で自分の胡散臭さを際立たせてしまっている気がするのは俺だけかな……?




