百三十九日目 裏切りもの
キィン、と金属同士がぶつかり合って甲高い音をたてる。
………寒い。歯がカタカタと小刻みに音をならしていた。
「顔色が悪いですよ?」
「残念ながら俺から自分の顔は見えないんでね!」
一回剣を振っただけで体力使いきった気がする。呼吸が乱れる前に立て直さないと。
今度は鎌を投げるのではなく、手で握って切りかかってきた。
咄嗟に剣を盾にして衝撃に耐えるが、踏ん張れずに吹っ飛ばされる。
「ぐっ……ぁ……!」
頭を振って吐き気と痛みを思考の端に追いやって着地する前に体勢を整える。
あまり動き回れそうにない。
早く決着をつけないと。
振り上げられた鎌を鞘で弾いてキリカの鎌の鎖を断ちきる。
「流石はマスター。そこまで体調が悪いにも関わらずこれを切断するとは」
「世辞は好きじゃない」
回し蹴りを叩き込むと何歩か下がったので追撃の為に一歩踏み出すと何かに足が引っ掛かった。
「⁉」
足に、草が巻き付いている。ルーンも詠唱もした気配がなかったのに。一瞬そっちに気が逸れた。
だが、この場の一瞬は命取りになるのはよく知っている。なのに引っ掛かったのはキリカだからと未だに躊躇してしまっているからかもしれない。
俺はもし転んだとしてもキリカから目を離してはいけなかったんだ。
前を見たときにはもう遅く、首に何かが入り込む鋭い痛みが走った。急激に力が抜けていく。
「ぁ……」
手からずるりと剣が落ちる。ぱさりと情けない音を立てながら地面に落ちた。
キリカに腹を支えられた衝撃でまた少し吐血した。
俺いつも貧血気味なのにこんなに血があったんだとどうでもいいことを考える。
キリカは丁寧に、俺がリビングで昼寝したらわざわざ寝室に運んでくれる(いつも別に放置してくれればいいのにと思っていた)時みたいに俺をそっと持ち上げる。
今の今まで殺し合いをしていた相手になんでそんな優しい対応なんだとは思うが、これがキリカだから仕方ない。
「キリカ……? その、どうしてブランさんを……?」
……うわぁ。最悪のタイミングでソウルが帰ってきてしまった。
「………」
「え……その血、誰のですか? ギルマスじゃないですよね……?」
「………」
恐る恐るそう聞いてくるソウルに一言も声を出そうとしないキリカ。沈黙で返すのはは肯定の印だろう。
ソウルの声もどんどん輪郭がぼやけて聞こえるようになってくる。目は既に開かなくなっていた。
「ギルマス? なにやってるんですか……? なんで寝てるんですか……?」
キリカが歩きだした。俺はもう抵抗するどころか抗議の声すらあげられない。
目を抉じ開けてソウルの声がする方を見た。
ソウルは急いで帰ってきたのか、泥だらけだった。沼地を通ってショートカットしてきたんだろう。レイジュは全身を泥で汚してぐったりと地面に身を預けている。
俺の魔力が尽きそうだからレイジュやピネ、ライトは強制送還されるだろう。
「ギルマス!」
「………」
声はでない。口も動かない。だからただ見ることしか今の俺には出来ない。
フワッと重力が一瞬無くなり、辺りが真っ白の光に汚染されていく。転移のアイテムだ。景色が塗り変わっていく度に意識も薄れていく。
完全に白くなったときからの記憶はない。
ーーーーーー≪キリカサイド≫
終わった。終わってしまいました。
口の端から血が垂れているマスターを見て、やっと実感がわきました。これまでの『日常』からまた元の『日常』に戻るだけなのに、それが惜しいと思ってしまう自分が情けない。
血をハンカチで拭いて、また足を動かす。一歩一歩が酷く重く感じるのは、もう二度とあんなお気楽な世界には戻れないからでしょうか。
生温いぬるま湯に浸かった気持ちよくも気持ち悪くもない日々。それが二年も続けば血の道には帰りたくなくなるのは道理だったかもしれません。
「お前は……確か『勤勉』だったか」
「ええ。お久しぶりです」
「そいつは『暴食』か? よくやったな」
「いえ。では」
ここでは互いの名前は呼びあわない。名前を知っていても誰も覚える気はないでしょうし、覚える気はありません。
―――私は七騎士の一人なのですから。今までの事は全て仕事だったのですから。だから、ここが私のいる場所。
鍵を扉に差し込み、開けると部屋が白かった。埃で。
魔法で綺麗にしてからベッドの上にマスターを寝かせます。話しによれば注射器に入っていた薬はかなり強い睡眠薬だそうなので当分起きないかと思います。
ベッドの端に腰を下ろすと小さな声が聞こえました。一瞬マスターが起きたのかと思いましたが、目は開いていないので恐らく寝言でしょう。
長い間主のいなかった部屋を掃除しつつ何か使えそうなものがないか探しますが、あったとしてもかなり旧型のランプや足が取れかかっている椅子など、使えそうにないものばかりです。
掃除を終えて再びベッドに座るとマスターの声がハッキリと聞こえてきました。
その内容は、殆ど文章にはなっておらず途切れ途切れでした。なんとか聞こえる言葉には本心が見え隠れしていました。
嫌だ。苦しい。助けて。泣き言も弱音も吐かない人が涙を流しながらここにはいない人に向かって叫んでいる様子は、なんとも虚しく感じます。
汗や涙を拭きながらずっと側についていると、
「……き、りか……」
心臓が飛び出るかと思いました。起きたわけではなく、これも寝言だったのですが驚いたのはその時の表情です。
全然、苦しそうじゃない。
寧ろ穏やかにいつもと同じ微笑を浮かべている。
……なぜ、私の名前を呼ぶですか? そもそも、あれだけ必死に戦っていたのにマスターからは怒りや悲しみといった感情はなかったと思います。
混乱しているだけなのかとも思いましたが、それにしてはやけに冷静で。
私が裏切るのを、予測していたのかと考えるほどに。




