百三十一日目 呪いの副作用
家に帰ってから仕事のために自室に入る。レクスは今日は泊まらずに帰っていったからキリカに送らせた。だからこの家には警備と掃除のメイドしか残っていない。
そう考えると一気に緊張の糸が切れて考えないようにしていた痛みが襲いかかってくる。
「うっ……ぐ……」
呼吸のために肺が動くだけで心臓が圧迫され、苦しさと内側から殴られてるみたいな鈍い痛みが胸を締め付ける。
息を吸い込むのが痛いのに吸わなければ苦しくてしかたがない。
「はぁっ……はぁ」
短く浅い呼吸を繰り返し、壁に体を押し付けながら部屋の奥へ進む。支えがなければ立っていることすら難しい。
たまにぐらりと揺れる視界を壁で無理矢理固定して一番奥にある棚を開ける。
一番上の棚から中身を引っ張り出してその場に座り込む。
震える手で取り出した瓶を開け、そこに入っていた青い錠剤を数粒口に放り込んで噛み砕く。
そこで力尽きて手から瓶が滑り落ちガラスの破片と青い錠剤が床に散らばる。
薬を飲んだからか大分楽にはなったが、あれほどの痛みが一瞬で消えるはずもない。半ば意識が朦朧とする。
「片付けなきゃ……」
無意識に床に散乱する残骸をかき集める。瓶の割れた音が家中に響いたからかメイドが数人俺の部屋に入ってきた。
「マスター⁉ いったい何を⁉」
「……ああ……手が滑って、割っちゃってさ」
「私がやりますので直ぐに手当てを」
「そっか……ごめん、ありがとな」
ガラスの破片が刺さりまくって手が血だらけだった。不思議と痛みは感じなかったから気付かなかった。
手を洗いに行こうかと立ち上がった瞬間、また胸の痛みが戻ってきた。押さえても特に緩和されないのに血が付いた両手でぐっと胸を押さえつける。
「くっ……う、あ……」
体を支えきれずゆっくりと右に倒れ込んで行くのが自分でもわかった。
「⁉ どうされたのですか⁉ マスター⁉」
メイドの一人が受け止めてくれたっぽいが痛みに堪えることに頭がいっぱいで顔も確認できなかった。
「大丈夫だ……すぐ治まる……多分」
奥歯を強く噛んでなんとか意識を保つ。今はこれが精一杯だ。
胸を押さえる手の力が強くなってきて刺さったままのガラス片がどんどん食い込んでいくのがわかる。
それなのにそんなの気にもならない。それほどに心臓が苦しいと悲鳴を上げている。
ポタポタと血が床に落ちては染みになっていく。この絨毯高いのに、とか気にしてられるくらいにはまだ危機的状況ではないと言えるのかもしれない。
「ブランッ! どうかしたのか⁉」
俺の部屋の扉が開けっぱなしになっていたからか家に帰ってきたエルヴィンが飛び込んできた。
「おい、何があった⁉」
「私達にもわかりません……! 突然苦しみ出して……」
エルヴィンは話しながらガラス片を引き抜いて即座に回復をかけ始めた。
「ブラン! しっかりしろ!」
手を治したと思ったらそのままベッドの上に乗せられた。
胸の痛みで自然と体が丸くなる。全身から冷や汗が吹き出ているのがわかった。
「ぐ……ぁっ……く」
「一体なにがあった⁉ 毒か⁉」
解毒剤を探しに行こうとしてエルヴィンが立ち上がった。なんとか動く手で服の袖をつまんでそれを止める。
「ちが……う……はぁ、はぁ、はぁ」
ひと言喋るだけで体温がぐっと上がった気がした。
服をつまむ力すらなくなって、重力に従って手がガクッと下に落ちる。もう、目を開けているのさえ億劫になってきた。だけどこれだけは伝えておかないといけない。
芋虫みたいに体をよじらせてうつ伏せに寝転がる。
困惑しているエルヴィンを指先で軽くつついた。それでエルヴィンは気づいてくれたらしい。
防具もなにもつけていないから簡単なナイフで裂ける筈だ。
それをわかっていたのかは俺にはわからんが、エルヴィンは俺の部屋に飾ってあるナイフを使って服を破った。俺を傷つけないように慎重に。
「これかっ⁉」
俺の背中に触れた感覚がした。それと同時に先程以上に胸が締め付けられる。
「ぐっ⁉ ……ぁあ……が」
今更になってあの時の呪いが発動しやがった。ピネの魔法で緩和されている筈なのにこの痛み。やはり並大抵の呪術師じゃない。
咄嗟に呪いをある程度弱める薬を飲んだが、数分も効かなかった。もう少しは持ってくれるかと思ったんだが……やっぱり副作用もないタイプのやつだとこれが限界なのかもしれない。
これ以上は、もう………
ーーーーーーーーー≪エルヴィンサイド≫
家に帰ってきたらメイドの出迎えがなかった。
それだけじゃなく、一番奥の部屋の扉が開け放たれている。
ブランは屋敷をいくつも持っているがどこの屋敷でも一番奥の部屋を自室兼書斎にしている。
意外と几帳面なブランのことだ。掃除の時以外は基本開けておくなんてだらしないことはしない。
嫌な予感がする。
直ぐ様買ってきたものを玄関に置いて走った。
「ブランッ! どうかしたのか⁉」
血の匂いがする。これは確実にブランのものだ。
ブランの部屋は小部屋が二つくっついた形になっていて、手前が寝室、奥を仕事部屋として使っている。仕事部屋のほうに駆け込むと、いつになくぐったりとしたブランが過呼吸のような浅い呼吸を苦しげに繰り返している。
血の匂いはガラスの破片で切ったものらしく、直ぐに治しはしたものの苦しそうなのは変わらない。
とりあえずベッドへ運ばなければと急いで抱き上げて寝かせる。
余程苦しいのか、いつもは少しでも強がって見せるのに今は寧ろそれを抑えることもできずに体をぐっと丸めて耐えているのがわかった。
「毒か⁉」
とくに外傷は見当たらないとすればそれくらいしか思い当たらない。治癒魔法をかけたときに診てみたが病気の類いでもなさそうだった。
「ちが……う……」
喉から声を絞りだして袖を引っ張ってきた。その動きは普段のブランと比べれば明らかに弱々しい。
たまに咳き込みつつ浅い呼吸と胸を押さえる動作をしながら背を向けてきた。
………まさか。
近くに置いてあったナイフで服を裂いて直接背中を見ると、マグマに似た色の印が以前とは比べ物にならないほど大きくなり中心から脈動している。
ブランの心臓の動きを利用して全身に呪いがかかるのを早めている。これは古い呪術の使い方だ。
呼吸すら苦しそうなのはこれが蝕んでいるからだと直ぐにわかった。恐ろしいのは『これが本来の呪いではない』ということ。
呪いで全身を蝕むための過程でしかなく、呪いの本体はまた別にある。これはただの副作用だ。
解除するために指先に魔力をあつめてブランの呪印に触れるが、当然といえば当然で呪印に簡単に弾かれる。
それだけでなくブランに余計な負担をかけてしまった。触った瞬間に苦悶の声が漏れる。
「どう、すれば……!」
今の一瞬で気絶してしまったのは確かだが、危険なのは何一つ変わらない。苦しみを直に味わうことがなくて良かったと言っていられる状況でもない。
今できることは、なにもないのか―――?




